第10話 繊細族の朝市
「ジェイク~、これ見て」
ロゼッタが一枚のチラシを手に、退屈そうに店番するジェイクの元にやってきた。
「ん?何だこりゃ」
「朝市?だって」
そのチラシの見出しの文字を読んでジェイクは思わず歓声を上げた。
「ヒャッホウ!繊細族の朝市じゃねーか!また来るんだ?!」
突然上がった大声の歓声に、工房で作業していたアントンが作業の手を止めて近寄ってきた。
「へえ、この街にも繊細族の朝市が来るんですね。百合ヶ丘かあ。結構歩くな。早起きしないと」
ジェイクとアントンで話が進んでしまって、ロゼッタは置いてけぼりだ。
「何なの繊細族の朝市って?」
「ああ、お前は知らないのか。繊細族の商人が、早朝の霧が濃く出る日だけ立ち上げる市だよ。古今東西の珍しいものが一堂に会して、海外旅行しなくても他国のお宝が手に入るんで、狙ってるやつも多いんだぜ」
「外国のお菓子やおもちゃも並ぶから、ロゼッタも楽しめると思うよ。僕とジェイクは武器を探しに行くのがメインだと思うね。店に並べる商品の仕入れもできるから」
それを聞いて、いまいちイメージがつかめないロゼッタ。
「早起きしないといけないの?」
「そうだな。陽が高くなって霧が晴れると、霧と一緒にすうっと消えちまうんだ。繊細族は霧の中を渡って世界中どこにでも行けるんだよ。だから霧が晴れたらタイムオーバー。夜明け前に起きていかないと間に合わないぜ。起きれるか、ロゼッタ?」
ロゼッタは朝に弱いため、早起きする自信がなかった。だが、楽しそうな雰囲気は感じていたため、何としても早起きして二人についていこうと考えた。
「起きれる」
「じゃあ土曜日の夜は早めに寝て、日曜日は夜明け前に起きるぞ!」
そして、3日後、待ちに待った繊細族の朝市の朝がやってきた。
まだ夜明け前。ロゼッタが目覚まし時計を止めて二度寝しようとして朝市のことを思い出し、飛び起きた頃。ジェイクとアントンはすでに起きてリビングで朝食の準備をしていた。
「お、ロゼッタ。ちゃんと起きたみたいだな」
「ほんとに今日繊細族来る?」
「バッチリだ。外を見てみな」
ロゼッタが窓を開けると、ひんやりとした湿った空気が流れ込んできて、窓の外は暗い水色に濁っていた。濃霧だ。
「霧だ!」
「さあ、軽く朝飯食って、出かけるぞ!買い物袋用意して行けよ!」
三人が百合ヶ丘にたどり着いたころにはすっかり空が白んで、真っ白な濃霧に覆われていた。既にガヤガヤと人の声が聞こえてくる。
「僕はこっちから右回りに見て歩きますね」
「じゃあ俺は左回りに」
アントンは二手に分かれることを告げて一人で歩いて行ってしまった。
「ロゼッタ。はぐれないようにしっかり俺の尻尾掴んでついてこいよ」
ジェイクが背後のロゼッタに声をかけると、ロゼッタはジェイクの尻尾を握って「わかった!」と頷いた。
濃霧で遠くまでは見渡せないが、歩いていくと突然ボウっと繊細族の露店が霧の中から現れる。ジェイクは一店一店立ち止まって、露天の品揃えを眺めていく。ジェイクが次々とすたすた歩いて行ってしまうため、じっくり物色はできなかったが、綺麗な宝石のアクセサリーや、美しく彩色された食器、袋に入った菓子など、実に様々なものが売られていた。店主の繊細族に若者の姿は少なく、年老いて萎んだ老人がほとんどだった。皆眠っているかのように目をつむり、じっと動かず折りたたみ椅子に腰掛けている。
その中で、ロゼッタは見覚えのある商品を見つけ、「あっ」と声をあげた。それはセルロイド製の人形だった。当時発明されて間もないセルロイドをおもちゃに利用した商品は珍しく、ロゼッタたち女子小学生の憧れだった。友達がセルロイド人形を買ってもらったと自慢していたのを羨んで、ロゼッタも親にねだったが、当然買ってもらえず涙をのんだ。あの憧れの人形が陳列されている。状態もよく、新品のようだ。ロゼッタが思わず立ち止まって見入っているため、尻尾を引かれる形になったジェイクは気が付いて引き返してきた。
「どうしたロゼッタ。なんか欲しいもんでもあったか?」
「あ、ううん。何でもない」
ねだっても他人のジェイクが買ってくれるわけがない。ロゼッタは遠慮して何でもないと嘘をついた。ジェイクは改めて品揃えを見て、奥に陳列されている人形に目を止めた。
「あの人形か?」
「えっ」
「欲しいなら買ってやるよ。いくらだおっさん?」
「三五〇ファルスです」
ロゼッタは驚いた。決して安くない人形なのに、ジェイクは気軽に買ってくれるという。さすがにロゼッタも遠慮した。
「い、いいよ。高いよ?」
「そうか?そんなに高くないぞ。せっかくだから買ってやるよ。お前の誕生日がいつか知らないけど、前借りで貰っておけよ。ほらおっさん、三五〇!」
あれほどまでに欲しくて欲しくて、夢にまで見たセルロイドのお人形。高いからダメだと叱られて、買ってもらえなかったお人形。決して安くないことはロゼッタにも分かった。だが、それをこともなげにポンと買ってくれたジェイクが、男らしくて眩しく見えた。ジェイクから人形を手渡され、おずおずと手を伸ばして抱きしめる。予想に反してずっしり重かったそれは、まるで生きているような魂を感じた。運命の出会い。感動よりも戸惑いが先に来て、ロゼッタは呆然としていた。
「おっさん、この人形はどこ製の人形だ?この子、この人形のこと知ってる風だが?」
ジェイクの問いかけに、店主は
「隣国のネルドランで制作されたセルロイド人形です。三年前に発売されたもののデッドストックですよ」
と答えた。
(ネルドラン……。ありうる。こいつの経済力じゃ、どんなに遠くてもネルドランぐらいの距離しか移動できないはず)
ジェイクはロゼッタがネルドラン人なのではないかと推察した。
「ありがとう。ほら、ロゼッタ。尻尾掴め。行くぞ」
そう言ってジェイクが立ち去ろうとするので、ロゼッタは慌ててジェイクの尻尾を掴んだ。
「あっ、ジェイク!」
「何だ?」
「……ありがとう」
ロゼッタにはジェイクのすらりとした長身も、猫耳も、艶やかな黒髪も、細い尻尾も、何もかもが美しく見えた。
初めて出会った時から輝いていた、仮面の猫族の男・ジェイク。その格好良さは、見間違いなどではなかった。気前が良く経済力もある大人の男。奢った恩着せがましさもなく、スマートにプレゼントするクールさ。
(あたし、この人のお嫁さんになりたい)
この尻尾を手放したくない。ロゼッタはこの人に一生ついていこうと心に決めた。
その後、珍しい武器を見つけたアントンと合流し、もう一周会場を三人で見て回る頃、にわかに霧が晴れてきて、あれほど沢山あった繊細族の露店が忽然と消えてしまった。まるで夢を見ていたような心地だが、両手に抱えた荷物の重さで、あれは現実だったのだと再確認する。
戦利品は少数民族のナイフ、プレミア品の拳銃と猟銃、アントンの故郷の焼き菓子、そしてセルロイド人形といったところだ。
「結構珍しい武器手に入ったな。売れるぞー!」
「ナイフマニアが飛びつきそうでしたね。ロゼッタ、帰ったらこのお菓子三人で食べようね」
ロゼッタは相変わらずジェイクの尻尾を握っていたため、ジェイクは「おい、そろそろ離せよ」と手から尻尾をするりと引き抜いた。
「ジェイク、ありがとうね。一生大切にする」
「おう」
ジェイクは気にも留めていないようだが、ロゼッタは喜びを噛み締めていた。
「その人形?買ってもらったのかい?良かったね」
「アントンよりあたしの方がジェイクに大事にされてるから」
「?!」
突然の勝利宣言に驚いて固まったアントン。斯くしてジェイク争奪レースは本格的に走り出した。果たしてジェイクと結ばれるのはアントンか、ロゼッタか、本命のモモか。
ロゼッタはこの恩を何とかしてジェイクに返したいと、人形を抱きしめながらああでもないこうでもないと思案にふけるようになった。
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