第3/5話 四桁数値予想ギャンブル

 そして、一日が経過した。

 宣敬は、蘭田一号公園にいくつか建っている東屋のうち一つの中、そこに置かれている長椅子に腰かけていた。

 さきほど、ここへ着くなり確認した、スマートホンの時計によると、今は、午前九時半。いわゆる、朝、と見なしていいだろう。しかし、園内にはすでに、たくさんの子供たちがいて、遊具だの砂場だので遊んでいた。その、元気たっぷりな姿を目にしていると、なぜだか、こちらの気が滅入った。

 そう言えば、今日は土曜日だというのに、公園の出入り口の前を通っている道を、スーツ姿の老若男女が歩いていくのを、さきほどから、何度か見かけている。休日出勤だろうか。ご苦労なことだ。

 彼は、灰色の半袖Tシャツを着て、ベージュのチノパンを穿いていた。髪型は、昨日と同じだ。

 宣敬は、園内の風景を眺めるのに飽きると、ネットサーフィンで暇を潰そうとして、チノパンの右ポケットから、スマートホンを取り出した。直後、公園の出入り口を、瑪瑠が通り抜けるところが、視界に捉えられた。

 彼女は、こちらの姿を見つけると、早足で向かってきた。別に、待ち合わせ時刻である四十分に遅れているわけではないのだから、急がなくていいのだが。そう思い、小さく苦笑した。

 瑪瑠は、オレンジ色のノースリーブブラウスを着て、薄桃色のミニプリーツスカートを穿いていた。髪型は、昨日と同じだ。左肩に、赤いショルダーバッグのベルトを引っ掻けていた。

 瑪瑠は、東屋に到着すると、少しばかり荒れている呼吸を整えてから、「宣敬くん」と言った。「お待たせしました」

 よく見ると、彼女は、左手首に、腕時計を嵌めていた。デジタル式で、現在時刻のうち、秒まで確認できるようになっている。

「別に、大丈夫だ」宣敬は、ゆるり、と首を横に振った。「待ち合わせの時刻に遅れたわけじゃないんだしな。じゃあ、さっそく、枢藤銀行に向かおうか」

「ええ」瑪瑠は、こく、と頷いた。

 宣敬は、腰を上げると、東屋から離れた。公園の出口に向かい、歩き始める。瑪瑠も、彼の左隣に並んで、ついてきた。

 その後、十分強が経過したところで、目的地である、枢藤銀行の蘭田駅前支店に着いた。二重になっているガラス扉を、次々にくぐって、屋内に入る。

 出入り口のすぐ向こう側は、ATMコーナー、それの右方は、窓口コーナーとなっていた。宣敬は、左方に顔を向けた。

 そこに、カフェコーナーはあった。高さ約一メートル半の衝立が置かれていて、それにより、敷地が区切られている。出入り口やレジは南東に、調理場は北西に設けられており、それ以外のスペースには、客が座るためのテーブルだの椅子だのが置かれていた。

 宣敬は、店に近づくと、衝立の上から、きょろきょろ、と、内部に視線を巡らせた。入る前に、芳菜のいる席を確認しておこう、と思ったのだ。

 カフェは、そこそこ混んでおり、客たちの会話により、不快感を覚えない程度にざわついていた。これなら、店の一角で、宣敬たち三人が、何かしらの勝負を行っていたとしても、大して目立たないだろう。

 芳菜のついている席は、すぐに見つかった。それとほぼ同時に、彼女も、こちらの存在に気がついた。右手で、オレンジジュースと思しき液体の注がれたグラスを持ち、ストローの先端を咥えている。そのまま、ゆるり、と、左手を挙げた。

 彼女は、灰色のベアトップキャミソールを着て、黒いホットパンツを穿いていた。髪型は、昨日と同じだ。

 宣敬たちは、カフェの入り口に立った。遠くにいる店員が、さっそく話しかけてきたので、ひととおりのやり取りをしてから、中に入り、芳菜のいる所へ向かった。

 芳菜がついているのは、四人掛けのテーブル席だった。テーブルは、長方形をしている。それの、西辺の中央に、紙ナプキンがまとめて挿入されている箱や、複数枚のメニューが挟み込まれている台が、まとめて置かれていた。

 椅子は、北辺の前に二脚、南辺の前に二脚置かれている。彼女は、北東に腰かけていた。北西の椅子の座面上には、所有物であろう、青いショルダーバッグが置かれている。

 宣敬は、南西に、瑪瑠は、南東に座った。彼女は、ショルダーバッグのベルトを肩から外すと、本体を両腿の上に載せた。

 芳菜は、ストローの先端から口を離すと、「じゃあ、さっそくだけど、本題に入りましょうか」と言いながら、グラスをコースターに置いた。「まずは、賭ける当選くじを出してちょうだい」

 宣敬は、チノパンの右ポケットから財布を取ると、中からくじを抜いた。それを、テーブルの上、自分の前に置く。それから財布を、元の場所に戻した。

 芳菜は、体を、こちらから見て左に捻ると、北西の椅子の座面上に載せてあるショルダーバッグのファスナーを、じいい、と開いた。それの内部を、数秒間、ごそごそ、と探る。その後、軽く丸まった、無色のクリアフォルダを出した。

 そこには、当選くじが三枚、収められていた。彼女は、そのうちの一枚を取り、テーブルの上に置いた。それから、クリアフォルダをバッグにしまうと、ファスナーを閉めた。

「それじゃあ、今から行うギャンブルについて、説明するわね」

 そう、芳菜が言ったのを聴いて、宣敬は思わず、上半身をやや前傾させた。

 それを見て、彼女は、軽く苦笑した。「そんなに身構えないでちょうだい。なにせ、どんなギャンブルをやるか、まだ、決めていないんだから」

「は?」宣敬は、ぽかん、と口を半開きにした。「未定?」

 瑪瑠はと言うと、彼のような間抜けな顔こそ披露していないものの、多少、驚きはしたようで、両目をわずかに瞠っている。

「ええ」こくり、と芳菜は頷いた。「あなたたちに、この場で考えてもらおうと思ってね。ほら、こうすれば、公平でしょう? あなたたちは、今日、いきなり、『どんな勝負をするか決めてほしい』って言われたんだから、事前に、この店に、イカサマの類いを仕込んでおくことはできない。そして、それは、わたしも同じ。対戦内容を決めるのは、あなたたちなんだから」

「なるほど……しかし」宣敬は腕を組むと、うーん、と軽く唸った。「いきなり、どんなギャンブルをするか決めてくれ、って言われてもなあ……おれは、何も用意してきてないぞ?」

「蘭田駅前には、スーパーがあるわ。そこで、トランプか何か、買ってきてもいいわよ。

 あ、でも、もし、そうするんなら、早く戻ってきてちょうだいね。もし、何時間もかかるようなら、『イカサマの類いを行うための準備をしている』と見なして、わたし、帰らせてもらうから」

「うーん……」

「ギャンブルの内容について、わたしから、提案があります」

 そう瑪瑠が言ったので、宣敬も芳菜も、彼女に視線を向けた。

「聴かせてちょうだい」

 芳菜がそう言った後、瑪瑠は、スカートの右ポケットから、スマートホンを取り出した。ケースの蓋を開けると、端末のスリープ状態を解除して、操作し始める。

 彼女は、しばらくしてから、「これです」と言って、機器をテーブルの中央に置いた。宣敬と芳菜は、それのディスプレイを覗き込んだ。

 何かしらのアプリの一画面が、そこに表示されていた。上部には、やや縦長の四角い枠が、横に四つ、並んでいる。下部には、赤い丸ボタンが設置されており、そこには、白文字で「生成する」と書かれていた。背景には、金銀財宝をデフォルメしたイラストが描かれている。その中には、宝くじのマスコットキャラクターもいた。

「これは、今回、わたしたちが賭ける宝くじの、公式アプリです。いろいろなくじの結果を閲覧できたり、全国に存在する売り場を検索できたりと、さまざまな機能が搭載されています。

 そして、これは、『4ディジッツ番号ランダム生成機能』の画面です」

「4ディジッツ?」宣敬は顔を上げ、視線を瑪瑠に向けた。「4ディジッツって……あれだよな、宝くじの一種だよな?」

 4ディジッツは、その名のとおり、四桁の数値を使用するくじだ。挑戦者は、0000から9999までの数のうち、好きな値を一つ選んで、それの印字されたくじを購入する。その後、運営が、四桁の数の中から、値を一つ、無作為に選んで、発表する。挑戦者は、購入したくじに書かれている数値が、発表された数値と、どの程度合っているか、に応じて、金を獲得することができる。そんな形式だ。

「そのとおりです」瑪瑠は、こくり、と頷いた。「これは、4ディジッツのくじを購入する時、数値の選択に悩む、という方に向けた機能です。このボタンを押せば、四桁の数値が、ランダムに生成されるのです」

 そう言うと瑪瑠は、右手を、スマートホンへ伸ばした。ディスプレイの下部に位置しているボタンを、たっ、とタップする。

 アニメーションが一秒ほど流れた後、画面の上部にある四つの枠それぞれに、数字が表示された。今回は、「1026」という値だった。

「ギャンブルには、この機能を使いましょう。最初に、わたしたちと芳菜さんとで、どんな数値が生成されるか、予想します。予想した値は、紙ナプキンにでも書いて、裏返しておきましょう。その後、実際に生成された数値に、予想値が近いほうの勝ちです」

「ふうん……」芳菜は一秒ほど沈黙した。「いいじゃない、シンプルで」

「もう一つ、わたしのほうから、提案があります」瑪瑠は、相手の顔を、じっ、と見つめた。「わたしたちが提出する予想値は、一つだけです。対して、あなたが提出する予想値を、三つに増やしてもかまいません」

「なっ──」宣敬は、大声を上げそうになり、慌てて声量を下げた。「何を言っているんだ、瑪瑠」

「落ち着きなさいよ……」芳菜は、呆れたような視線を彼に向けた後、表情を元に戻し、瑪瑠に目を遣った。「何か、条件があるのでしょう?」

「はい」瑪瑠は首を縦に振った。「代わりに、あなたの賭ける当選くじを、一枚から、三枚に増やしてください」

 なるほど、予想値一つにつき、当選くじ一枚、というわけか。

 芳菜は、数秒間、黙り込んでから、言った。「その提案、受け入れてもかまわないわよ。ただし、それに関して、一つだけ、わたしからも、要求したいことがあるわ」

「要求?」宣敬は怪訝な視線を芳菜に向けた。「何だ、それは?」

「引き分けはわたしの勝ち、ということにしてちょうだい。予想値が被った場合とか、予想値と結果値の差が同じ場合とか。そうしてくれたら、予想値を三つに増やすのと引き換えに、当選くじ三枚を賭けてあげるわ」

「何だって……」宣敬は思わず、軽く芳菜を睨みつけた。「それは、ずるくないか? 引き分けの場合も、自分が勝ったものとするように、だなんて……予想値が三つに増えるだけで、じゅうぶんだろう」

「これも、駆け引き、ってやつよ」芳菜は、彼の視線をまったく意に介さずに、ふふん、と、不敵に笑った。「手は抜かないわ。少しでも有利になることができるなら、遠慮なく、有利にならせてもらうわよ。

 この要求、呑んでくれないんなら、当選くじは、一枚しか賭けないから。わたしの予想値も、一つでいいわ」

「く……」

 宣敬は小さく唸った。引き分ける可能性なんて、そう高くはないはずだ。ここは、芳菜の要求を呑んでもいいんじゃないか。しかし、絶対に引き分けない、と断言できるわけでもない。なら、拒むべきなのだろうか。

「わかりました。それで、かまいません」

 瑪瑠が即答したので、宣敬は思わず、視線を彼女に向けた。彼女は、凛とした顔つきで、相手の顔をまっすぐに見つめていた。

「交渉、成立ね」芳菜は、にこっ、と微笑んだ。「あっ、あと、ギャンブルには、あなたのスマホに入っているアプリではなく、わたしが今から自分のスマホにインストールするアプリにしてちょうだい。可能性は零に近い、とは思うけれど……もしかしたら、その、あなたのスマホに入っているアプリ、すでに、何かしらの細工が施されているかもしれないでしょう?」

「そんなことは、ありませんが……」瑪瑠は心外そうな表情をしながらも、頷いた。「お気持ちは、じゅうぶん、わかります。それで、かまいません。

 ただ、スマホは、テーブルの上に置いて、ディスプレイが、わたしたちにも見えるようにして、その状態で、インストールを行ってください。アプリは、ストアで検索すれば、すぐに出てきますから」

「わかったわ」

 その後、芳菜は、言われたとおりに、アプリをインストールした。

「じゃあ、さっさく、シンキングタイムを始めましょうか」

「あ、ちょっと待ってください」瑪瑠が、右手を軽く挙げ、掌を芳菜に向けて、彼女を制した。「その前に、4ディジッツ番号ランダム生成機能が正常に動作するか、確認させてください。いざ、ギャンブルをする時になって、動かなかったら、興醒めですから」

「そうね、いいわよ」

 瑪瑠は「では」と言うと、右手を伸ばし、芳菜の、こちらから見ると上下が逆さになっているスマートホンのディスプレイを、タップしたりスワイプしたりして、操作し始めた。アプリを起動すると、4ディジッツ番号ランダム生成機能の画面を表示する。

 その後、ボタンを四回押した。そのたびに表示された値は、「4843」「9202」「3587」「5838」だった。

「大丈夫そうですね」瑪瑠は右手を引っ込めた。「この次に、ボタンを押して、生成された番号を、結果値としましょう」

「じゃあ、あらためて、シンキングタイム開始ね」芳菜はそう言うと、北西の椅子に置いてあるショルダーバッグのファスナーを開き、中を、ごそごそ、と探りだした。「わたしは、ギャンブルに必要になるかも、と思って、ボールペンを持ってきていたけれど。あなたたちは?」

「わたしは、持ってきていません」瑪瑠は、ふるふる、と首を横に振った。

「おれもだ」宣敬は、がた、と椅子を引くと、腰を上げた。「買ってこようか? 駅前のスーパーで」

「いいえ、いいえ」瑪瑠は、慌てたように、ぶんぶん、と、首を横に振りながら、ばっ、と立った。テーブルが、彼女の右腿にぶつかられ、がん、という音とともに、軽く揺れた。「わたしが、わたしが買ってきます。宣敬くんは、ここに残って、芳菜さんが、シンキングタイム中、イカサマの類いを行わないか、見張っておいてください」

「あら、心外ね」芳菜は、おどけ気味に、不満そうな顔を露にした。

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