第2/5話 一攫千金のチャンス

「失礼したわ」女子は、許可していないにもかかわらず、自信あり気に出入り口をくぐった。扉を、後ろ手にスライドさせ、ぴしゃん、と閉める。「平中芳菜、という名前よ。宣敬くん、瑪瑠ちゃん、あなたたちと同じ、二年生」

「芳菜さんね……」一瞬、こんな女子いたっけな、という思いが頭を過ぎったが、別に、全同期生の顔を知っているわけではない。「で、何の用?」

「宣敬くんを、誘いたいことがあって、来たの」芳菜は、ずんずん、と歩いて近づいてくると、机の向こう側に立った。「初めに、結論を言うわ。宣敬くん。わたしと、ギャンブルをしないかしら?」

「は?」宣敬は口を半開きにした。放り込んだばかりの、粒状のチョコレートが、外へ零れ落ちそうになった。慌てて、いったん、唇を閉じる。「なんじゃ、そりゃ?」

「ま、そう思うでしょうね。今から、順を追って説明するわ」

 芳菜は、後ろにあった、普段は瑪瑠が使用している丸椅子の、座面の左右を掴んだ。それを持ち上げると、机の向こう側に置き、腰かけ、こちらに直った。

「さっき、わたしが廊下にいた時、部屋から漏れ聞こえてきた、二人の会話から察するに……宣敬くん、あなた、宝くじが当たっていること、気づいていないわね?」

「宝くじ……あっ!」思わず大きく開けた口から、今度こそ、粒状のチョコレートが零れ落ちた。「そうだそうだ、買ったんだった、宝くじ、一ヵ月くらい前に。って、えっ?」芳菜を凝視した。「当たった? 当たった、だって?」

「ええ」彼女は、こく、と頷いた。「嘘だと思うなら、結果発表のサイトを確認してみなさいな」

 宣敬は、右手が、菓子を触っていたせいで多少べたついているのにもかまわずに、スラックスの右ポケットからスマートホンを取り出すと、ケースの蓋を開けた。端末のスリープ状態を解除すると、すぐさま、ブラウザーアプリを起動する。言われたとおり、購入した宝くじの公式サイトにアクセスした。

 ブラウザーが通信処理を行っている最中、彼は、スラックスの左ポケットから、二つ折りタイプの財布を取った。机の上に置くと、開く。

 それの、紙幣類入れエリアから、宝くじを出した。そこにしまっていたことも、さきほど、思い出していた。

 宣敬は、スマートホンを、テーブル上、右斜め前に置くと、宝くじを左手に持った。それに記されている組および番号を、ウェブページに載っている情報と、照らし合わせる。

 十秒弱の沈黙があった。最初にそれを打ち破ったのは、宣敬だった。「や……やった!」と叫んで、両手でガッツポーズをする。「当たった! 当たったぞ!」左手の中で、宝くじがくしゃくしゃになってしまっているのに気づいた。慌てて手を開くと、それをスマートホンの左隣に置き、必要以上なまでに皺を伸ばした。

「ほ……ほんほーへふか?!」

 瑪瑠が両目を瞠った。菓子を頬張っているため、まともに喋れていないが、おそらくは、本当ですか、と言ったのだろう。

「ああ!」宣敬は、ぶんぶん、と首を縦に振った。「三等、百万円だ!」

「ひゃふまんへん……」瑪瑠は放心したような表情になった。

 宣敬は、その後しばらくの間、当選の余韻に浸った。宝くじの表面とスマートホンの画面を、何度も見比べたり、さまざまな妄想を──年齢相応に下品なものを含めて──巡らせたりした。

 おっほん、と、芳菜が咳払いをしたことにより、はっ、と我に返った。

「で……話を再開してもいいかしら?」

「そ……そうだ!」宣敬は意図せずして大声を上げた。「なんで、あんた、おれが宝くじに当選したことを、知っているんだ? おれですら、すっかり忘れていたっていうのに……」

 眉間に軽く皺を寄せ、じろ、と、芳菜への視線を強めた。瑪瑠はというと、未だ、口に詰め込んでいる菓子を、もっちゃもっちゃ、と咀嚼している。

「ちょっと、勘違いしないでよね」彼女は、右手を小さく挙げた。掌は、宣敬たちに向けられている。「警戒する気持ちは、理解できるけれど。わたしは、あなたの当選くじを、盗んだり奪ったりするつもりはないわ。もし、その気なら、こうして直接的に会ったり、当たっていることを伝えたりしないでしょう?」

 瑪瑠が、咀嚼し終えた菓子を、ごっくん、と飲み込んでから、首を小さく傾げ、「なら、何が目的なんですか?」と訊いた。

「で、ギャンブルの話に繋がるのよ」芳菜は右手を下ろした。「実はわたしも、三等の当選くじを持っているの。それと、宣敬くんの持っている当選くじとを賭けて、ギャンブルで対決しないかしら?」

 しばらくの沈黙があった。瑪瑠が、「なるほどです」と呟く。「一攫千金のチャンス、ってわけですね。勝てば、もともと持っている当選くじと併せて、二百万円を手に入れることができます。勝ったら、の話ですけれど」

「そのとおりよ」芳菜は、小さく首を縦に振った。「で──どうするの? わたしの提案、受けるのかしら、それとも、受けないのかしら?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ……」宣敬は両手を軽く挙げた。一度にいろいろ言われたため、情報の整理が追いついていない。「……そうだ、まず、お前が持っているっていう、三等の当選くじ、見せてくれないか? もしかしたら、嘘かもしれないだろ?」

 そう言ってから、しまった、芳菜の機嫌を損ねてしまったんじゃないか、という思いが、頭を過ぎった。それにより、ギャンブルの提案を、取り下げられやしないか。

 しかし、彼女は、特に気を悪くした風でもなく、「いいわよ」と即答した。スカートの右ポケットから、財布を取る。そこから、三枚の宝くじを出すと、テーブルの上に並べた。

 宣敬は、スマートホンを右手に取ると、さきほどの結果発表ページをディスプレイに表示させた。そこに載っている、三等の当選組および番号と、彼女の提示した宝くじのそれを、照らし合わせていく。

「たしかに、どれも、三等の当選くじだな」宣敬は視線を芳菜に移した。「ていうか、なんで三枚も持っているんだ?」

「このような提案をしたのは、あなたたちだけじゃないわ」芳菜は、自分の提示した宝くじをテーブルから取ると、財布にしまった。そして、それも、スカートの右ポケットに戻した。「他にも、同じように、宝くじで三等を当てた人を探しては、ギャンブル対決を申し込んでいるの。身元は、情報屋だの探偵だのに依頼して、調べてもらったわ。

 この三枚は、戦利品よ」

「戦利品……」

 宣敬は無意識的に復唱した。ということは、芳菜は、今までに、少なくとも三回、当選者とのギャンブルに勝っている、ということだろうか。待てよ。一・二等ではなく、三等の当選者を狙っていることは、まさか、もう、一・二等の当選者からは、当選くじを奪い尽くしてしまっている、ということなのだろうか。

 いや。さすがにそれは、考えすぎではないか。一・二等の当選者を相手にしないのは、単に、彼らの身元がわからなかったからとか、自分がそれと同額の金──一・二等は一千万円以上──を用意できなかったからとか、そういう理由かもしれない。

 そうだ。あの三枚が戦利品、という台詞も、怪しいものだ。ハッタリという可能性もある。仮に、本当だったとしても、ギャンブル対決の総回数がわからない。もしかしたら、今までに十人と対決して、そのうち勝てたのは三回だけ、みたいなこともありうるのでは。

「あ、勘違いしないよでね」芳菜がそう言ったのを聞いて、我に返った。「今回、わたしが賭けるのは、このうちの一枚だけよ。だって、そうでしょう? あなたたちが賭けられる当選くじだって、一枚だけなんだから。

 まあ、あなたたちが、当選くじに加えて、さらにお金を賭ける、っていうなら、こちらも、賭ける当選くじの枚数を、増やしてもいいけれど……」

「そりゃ、無理だ」宣敬は、ふっ、と自嘲気味に笑った。「おれたちみたいなごくごく普通の高校生に、そんな大金、用意できるわけがない。そりゃあ、かなりの無理をすれば──何かしらの犯罪漫画みたいな──調達できないこともないのかもしれないが……そんな無理をする気にはなれない。……で」瑪瑠のほうを向いた。「瑪瑠は、どう思う? パソコン部の活動資金、百万円で、足りるか? それとも、リスクを承知で、もう百万円を得るチャンスに、挑んだほうがいいか?」

「へ?」彼女は意外そうな──見ようによっては間抜けな顔をした。「足りるというか、足りないというか……そもそも、宣敬くん、宝くじで当てたお金、クラブの財源にするつもりなのですか? 別に、宣敬くんの好きなように使ってくれていいのですよ? あなたの買った宝くじなのですから」

「ああ。だから、好きなように使わせてもらう」宣敬は、こくり、と頷いた。「おれの目標は──少なくとも今は、勉強に励み、いい成績を修めることでも、恋愛に励み、可愛らしい彼女を作ることでもない……部活動に励み、LFSRゲームフェスタに入賞するような作品を作り上げることだ。おれは、そのために──ゲームのクオリティを上げるために費やせる金があるなら、躊躇はしないつもりだ。

 だいいち、おれは、他に大した趣味がない。自宅でも、暇さえあれば、学校と同じように、パソコン部でのゲーム開発の続きをやっている。当選金を、自分の好きなように使う、ってことは、すなわち、パソコン部のために用いる、ってことなんだ」

「そうなのですか……」瑪瑠は、にこ、と微笑すると、ぺこ、と頭を下げた。「ありがとうございます」上げた。「それで、ええと、部の活動資金が百万円で足りるかどうか、という話でしたね。

 うーん……図々しさを承知で、正直に申し上げますと──足りませんね。いや、もちろん、百万円もあれば、その分、成果物のクオリティや、開発作業の効率を、向上させることができますが……どうせなら、もっと欲しいです」宣敬の目を、まっすぐに見た。「わたしとしては、このギャンブル、受けたいです」

「そうか……」宣敬は数秒間、口を噤んだ。「だが、もし、博打に負けたら、二百万円どころか、一円も手に入らないぞ?」

「もちろん、その可能性はあります」瑪瑠はゆっくりと頷いた。「しかし、芳菜さんとのギャンブルに勝つ確率よりも、今後、再び、このような、大金を獲得できるチャンスが巡ってくる確率のほうが、はるかに低いでしょう。なら、ここは、手持ちの百万円を取られるリスクを覚悟のうえで、挑むべきです。

 それに……こう言ってはなんですが、賭けるお金は、いわゆる泡銭、棚から牡丹餅ですからね。仮に、失ったとしても、精神的なダメージは、あまり受けずに済むのではいでしょうか。これが、例えば、長時間の労働で貯めたお金なら、話は違うのですが……」

「そうか……よし」宣敬は、視線を芳菜に移した。「受けよう、お前とのギャンブル対決」

 芳菜は、にこ、と微笑んだ。「ありがとう」

「それで」瑪瑠は円盤状のサブレを真っ二つに割った。「具体的に、どう勝負するんです? ギャンブルの内容とか、場所とか……」

「今から、説明するわ。まず、場所だけれど、蘭田(らんだ)駅の前にある、枢藤(すうどう)銀行の支店よ」

「ああ……」宣敬は、ゆっくり首を縦に振った。「あそこか。何回か、学校からの帰り道、貯金を下ろすために、寄ったことがある」

「あら、それなら話は早いわね。ほら、あの銀行って、中に、窓口コーナーやATMコーナーの他に、カフェコーナーがあるでしょう? あの店に、明日の午前十時に来てちょうだい。先に、四人掛けの席について、待っているから。ギャンブルは、そこで行うわ」

「わかった。……だが、一つ、訊きたいことが」宣敬は芳菜の顔を、じっ、と見つめた。「なんで、銀行のカフェコーナーなんかでやるんだ? いや、別に、不満があるわけじゃないけど……そうだ、そんな所で、当選くじを賭けたギャンブル──まあ、何も知らない他人からすれば、ただ遊んでいるだけにしか見えないんだろうが──とにかく、そんなことをやったら、誰かに咎められるかもしれないだろう? もっと、第三者に認識されないような場所でやったほうが、いいんじゃないのか?」

「あなたたちがとうぜん抱くであろう不安を、払拭するためよ」芳菜は、ふふ、と微笑んだ。「今回、わたしたちが賭ける宝くじの、当選金への引き換えは、高額な場合、スポンサーでもある枢藤銀行で行われるわ。

 ほら、行内にあるカフェでギャンブルをやれば、仮に、あなたたちが勝った場合、獲得した当選くじを、すぐに引き換えることができるでしょう? これなら、負けたわたしが、例えば──あくまで例えば──後日、引き換えのために銀行へ向かっているあなたたちに襲いかかり、力尽くで当選くじを奪い返すかもしれない、っていう心配がなくなるじゃない。

 ま、あなたたちが望むんなら、別の場所でもいいけれど……別に、こちらとしては、絶対に行内にあるカフェコーナーがいい、ってわけじゃ、ぜんぜんないから」

「いいや」宣敬は首を小さく横に振った。「そう言われてみれば、ギャンブルに勝ったら、すぐに当選くじを引き換えられる、というメリットは大きいな。カフェでいいよ」

 横から、「わたしもです」と言う瑪瑠の声が聞こえてきた。

「それで、肝心の、ギャンブルの内容だけれど──これに関しては、当日に話をするわ。だって、今、教えたら、いろいろ、準備が出来てしまうでしょう? 戦術を練ったり、先に店へ行って、イカサマの類いを可能にするような仕掛けを施しておいたり」

「たしかに、そうですが……」瑪瑠は抗議の意思を孕んだ視線を芳菜に向けた。「それは、あなただって、同じでしょう? それに、対戦の中身が判明するのが、当日であるならば、あなたは、勝負に対する用意が行えるのに、わたしたちは行えない、ということになるじゃないですか?」

「まあ、とうぜん、そう思うでしょうね……今の時点では、その心配は要らない、としか言えないわ。詳しい話は、当日にするけれど……わたしも、その日まで、ギャンブルに対する準備の類いは、できないから」

「信用できませんね……」

「残念だけれど、こればっかりは、信用してもらうしかないわ。

 他に、質問は?」

 宣敬が右手を挙げ、「最後に、一つだけ、訊かせてくれ」と言った。「失礼な質問かもしれないが──いや、実際、失礼な質問だが──もし、おれたちがギャンブルに勝ったら、本当に、その、三等の当選くじ、くれるんだろうな? おれたちが勝つなり、あんた、約束を反故にして、当選くじを渡すのを拒む、なんてことはないだろうな?」

「当たり前でしょ?」芳菜は、いくぶんか呆れたような顔をした。「もし、そんなことをする気なら、こんな、ギャンブルなんて提案せずに、最初から、盗むなり奪うなりしているに決まっているじゃないの」

「そりゃ、そうですね」瑪瑠は、うんうん、と頷いた。

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