ギャンブル×ランダマイザー

吟野慶隆

第1/5話 銃撃と爆発

「おい、平中(ひらなか)!」

 そんな、話者の興奮が感じられるような調子の声を、背後から、かけられた。平中芳菜(よしな)は、ぴた、と足を止めると、くる、と振り返った。

 芳菜は、車道の中央を歩いていた。車道の両脇には、白線を引くことにより、歩道が示されている。歩道の奥には、高さ二メートルほどのブロック塀が立てられていた。塀の向こう側には、廃屋だの、公園だの、空き地だのがある。

 すでに、午前一時を回っていた。そのため、辺りには、まったく人気がない。こんな通りを、成人すらしていない女子が、ふらふら、と歩いていたら、何かしらの犯罪の標的にされる可能性が高いだろう。もっとも、彼女の場合、今、このような場所にいるのは、わざとだったが。

 振り返った彼女の、数メートル先には、予想どおり、酪藤(らくどう)慕陽(もとはる)が立っていた。中年で、髪は薄く、腹が出ている。灰色の半袖Tシャツを着て、黒の半ズボンを穿いていた。

「か、返せっ!」彼は、唾を飛ばしながら、喚いた。右手を、掌を上に向けた状態で、前方へ突き出すと、声の調子に合わせて、ぶん、ぶん、と縦に振った。「おれから奪った、あれ、返しやがれ!」

「返せ、って言われても……」芳菜は、ふう、と軽い溜め息を吐いた。「あれは、もう、わたしの物よ。だって、そうでしょう? あれを賭けたギャンブルで、わたしが勝ったんだから」

(ま、ギャンブルで負かした相手が、賭けていた物を返せ、って言ってくるのは、別に、珍しくもないことだけれど……)彼女は、そう、心の中で呟いた。

「う、うるせえっ!」酪藤は、もともと怒りで赤くなっていた顔を、恥ずかしさのためか、さらに赤らめた。「と、とにかく、返しやがれ!」

 彼は、いったん、右手を、ズボンの右ポケットに、ずぼっ、と突っ込むと、すぐさま、ひゅばっ、と引き出した。そこには、ナイフが握られていた。

「返さないんなら、こ、ここ、殺してでも取り返す! その、左肩にベルトを引っかけている、青いショルダーバッグにでも、入っているのか?!」

 酪藤は、目や鼻孔、口を全開にすると、はあーっ、はあーっ、と荒い呼吸を繰り返し始めた。右手が、ぶるぶるぶる、と震えていた。

 芳菜は、瞼を半分ほど下げると、じとっ、とした視線を彼に向けた。一秒後、目を完全に瞑ると、はあーっ、と、大きな溜め息を吐いた。

 その後、彼女は、瞼を開けると、左手で、ショルダーバッグのベルトの根元を押さえた。右手で、ファスナーの引き手を摘まむと、じいい、とスライドさせた。

 芳菜は、バッグ内に右手を入れた。酪藤は、要求に応じてくれた、とでも思っているのか、目と鼻孔は全開にしたまま、口を閉じ、にやり、と唇を歪めた。

 数秒後、彼女は右手を外に出した。そこには、オートマチックタイプの拳銃が握られていた。サイレンサーも取りつけられている。

 酪藤は、ぽかん、と口を全開にした。芳菜は、流れるような手つきで、銃口を彼に向けると、引き金を引いた。

 ぱしゅっ、という音が鳴った。一瞬後、酪藤の眉間に、風穴が開いた。彼は前方に、ばったり、と倒れ、顔を路面に、ごつん、とぶつけた。頭を中心として、血が、周囲に、どくどくどく、と広がり始めた。

「ギャンブルをした時から、あなたの意地汚さは、わかっていたわ。負けたとしても、あれを手放すことを諦めきれず、暴力に訴えることで、取り返そうとしてくるであろう、ということも、容易に想像がついたわよ」

 芳菜は、そう呟きながら、拳銃をショルダーバッグにしまった。次いで、ホットパンツの右ポケットから、スマートホンを取り出した。ケースの蓋を開くと、端末のスリープ状態を解除して、操作し始めた。

「あなたを放置していては、後日、わたしの都合の悪い時に、襲われる可能性があったわ。だから、ギャンブルをした今日、こちらの、反撃の準備が整っている間に、襲ってもらおう、と思って、わざと、人気の少ない道を歩いていたんだけど……正解だったわね」

 芳菜は、通話アプリを起動すると、名前欄に「掃除屋さん」と表示されている連絡先に電話をかけた。しばらくして、繋がる。オペレーターに、合言葉を伝えてから、さっそく本題に入った。

「死体の処理をお願いします。殺人です。あわせて、現場の清掃や、痕跡の隠蔽もお願いします。ええと、場所は──」

 しばらくの間、芳菜は話を続けた。仕事の依頼を終えると、通話を切る。

「ふう……」

 芳菜は、小さく安堵の溜め息を吐いた。通話アプリを閉じると、再び、スマートホンを操作し始めた。

「次は……そうね、この人と、ギャンブルをしようかしら」

 芳菜は、ディスプレイを眺めながら、そう呟いた。そこには、男子高校生の写真が表示されていた。

 教室で授業を受けているところを、窓の外から撮影されたらしい。画像の下には、「豪堂宣敬」というキャプションが添えられていた。


 豪堂(ごうどう)宣敬(のぶたか)は、エンターキーを、かちり、と押した。それと同時に、都市の中心に建っている、レトロな見た目の図書館が、大爆発を起こし、たちまちのうちに崩壊した。

「ふむ……いちおうは、問題なさそうだな。いい爆ぜ方、崩れ方だった」

 宣敬は、デスクトップパソコンのディスプレイを見つめながら、そう呟いた。

 その直後、画面に、ステージリザルトが表示された。獲得したスコアの総計や、入手したアイテムの一覧、新たに解放されたステージなどだ。

 ふう、と、宣敬は一息を吐いた。マウスを操作し、ゲームのウインドウを最小化する。それの代わりに、ディスプレイには、統合開発環境アプリのウインドウが表示された。

 彼は、黒髪を無造作に伸ばしていた。瞳は黒く、目つきは悪い。今は高校にいるので当たり前だが、制服である、白い半袖ワイシャツを着て、黒いスラックスを穿いていた。

「うーん……建物の破片の飛び散り具合が、少し、物足りなかったな。もうちょい、派手に吹っ飛ぶよう、調整してみるか……」宣敬は、そう呟きながら、キーボード上に、両手の五指を置いた。

「宣敬くん。ちょっと、休憩しませんか?」

 そんな声が、背後から聞こえてきた。丸椅子の上に載せている臀部を回転させ、振り返る。

 宣敬の数メートル後方には、横長の机が置かれており、その向こう側には、パイプ椅子が二脚、据えられている。それらのうち、彼から見て右のほうに、津亥下(ついした)瑪瑠(める)が腰かけていた。

 彼女は、黒髪を、胸元に届くくらいに伸ばしている。頭の左右には、シニヨンが付いている。瞳は黒く、目つきはおっとりとしている。身長は宣敬より頭一つ分低く、胸はとても平たい。高校の制服である、白い半袖ブラウスを着て、水色のミニスカートを穿いている。

「あー……」

 休憩したい、というような気持ちは、ついさきほどまで、露ほども抱いていなかった。ゲーム開発に集中していたおかげだろう。

 しかし、他者からそのようなことを言われたところ、途端に、心の底から湧き起こってきた。それは、あっという間に、脳内を埋め尽くした。

「そうだな」宣敬は、こくり、と頷いた。「休憩するか」

 彼は、がた、と、丸椅子から立ち上がると、机を回り込んだ。空いているほうのパイプ椅子へ移動し、どか、と腰かけた。

 机の上、中央あたりには、白い大皿が置いてあった。そこには、さまざまなおやつが盛りつけられていた。

 宣敬は、大皿に手を伸ばした。そこに配されている菓子のうち、「アマッタル・ボールズ」のエリアから、一つを摘まみ上げる。個包装を破くと、中身を取り出し、口に放り込んで、咀嚼し始めた。

「アマッタル・ボールズ」は、球形をしたビスケットだ。名前のとおり、とても甘い。しかしながら、気分が悪くはならないような、絶妙な味である。

 最近は、「トライ・ユア・ラック」というキャンペーンを開催していた。なんでも、十万個に一個、甘いどころか激辛の菓子が入っているらしい。はたして、それを引かずに、袋に詰められているビスケットをすべて、食べきれるか。そんな内容のイベントだった。

 宣敬がいる部屋は、ひどく殺風景だった。上から見ると、ほとんど正方形に似た長方形をしている。広さは、六畳ほど。出入り口は、北辺の壁の中央に設けられており、スライド式の扉が取り付けられている。東辺の壁には、右端をくっつけるようにして、縦長の机が据えられている。それの上には、デスクトップパソコンが二台、置かれていて、それぞれの前には、丸椅子がある。二人のついている机は、室内の西部に位置している。

 南辺の壁には、大きな窓が、一つだけ付いている。そこから見える空は、鮮やかなオレンジ色に染まっている。明日は休日──六月最後の土曜日──であるためか、町にいる人々は、みな、どことなく浮足立っているように感じられる。

「作業の進捗は、どうですか?」瑪瑠は口の中にチョコレートを放り込んだ。「ステージ6の開発は」

「順調だが……牛歩だな」宣敬は顔をわずかに顰めた。「物理演算に使っているアプリケーションが、フリーウェアであるせいか、あまり、性能がよくない。統合開発環境も、無償版であるせいで、機能がかなり制限されていて、便利とはいいがたい」

「やはり、そのような感じですか……」瑪瑠は、棒状のスナックの端を咥えると、ぱき、と、中程で折った。「こちらも、似たような具合です。わたしが思うに、一番の問題は、パソコンの処理能力の低さですね。ただでさえ、物理演算を駆使するようなゲームなのに……」

「まったくだ」宣敬は、はあ、と、小さく溜め息を吐いた。「……金があればなあ。高性能な物理演算アプリケーションを買えるし、統合開発環境の有償版ライセンスを取得できるし、パソコン本体だって買い換えられる」

「そうですねえ……」瑪瑠は、楕円形をしたクッキーの端を、かり、と齧った。「しかし、サッカー部や野球部のような、規模が大きく、それなりの実績を挙げているクラブなら、ともかく……わたしたち、パソコン部はねえ。部員は、わたしと宣敬くんの、二人しかいませんし……ゲームを作ったり、完成品をコンテストに応募したり、いろいろと活動してはいますが、大きな成果を挙げられてはいませんし……」

「コンテスト、ねえ……」宣敬は、ふと、窓の外、オレンジ色に染まっている空の遠くを見つめた。「高校生の間に、とまでは言わないから、せめて、社会人になる前に、LFSRゲームフェスタで、入賞できればいいんだがなあ……」

 LFSRゲームフェスタとは、毎年の十二月に催される、非商業制作限定のPCゲームコンテストだ。日本において、コンピューターゲーム黎明期の頃から開かれている、権威のある大会である。たとえ、佳作であったとしても、応募作品が選出されれば、かなりの名誉を得ることができる。二人は、小学校六年生の頃から、共同でゲームを開発しては、それに挑んでいた。

「そうだ、LFSRゲームフェスタと言えば……あれ、知っているか? 『X‐Shift』のニュース」

 X‐Shiftとは、三ヵ月前、MWCエンターテインメントから発売されたテレビゲームだ。五年前のLFSRゲームフェスタにおいて、最優秀賞を獲得。そのまま、企業による本格的な開発がスタートした。今までにない、斬新なランダム性を売りとしている。いや、していた、と形容したほうが正しいか。

「昨日、あれに、深刻なバグが見つかったらしい。なんでも、ステージ上において、決まった行動をとることによって、ゲームの内容を、自在にコントロールすることができてしまうんだと。任意のアイテムがドロップされるようにする、とか、攻撃すれば確実にクリティカルダメージを与えられるようにする、とか。

 ああいう類いのニュースを見ると、他人事ながら、肝が冷えるよな。完成品に致命的な動作不良が見つかる、なんてさ……」

「そうですねえ……」瑪瑠は、ラスクを口に放り込んだ後、そのまま、唇を結んだ。「……そのバグ、きっと、ランダム性を実装するために用いている擬似乱数が、自在に操作できてしまうんでしょうね。普通は、そんなことにならないよう、調整することができないような値に基づいて、擬似乱数を生成するようにしておくものですが……例えば、プレイヤーが何かしらのアクションを行った時刻を、ミリ秒単位で計測した値とか」

「同じ目に遭わないように、質の高いテストを行わないとな。そのためにも、資金の調達は必須だ……」宣敬は思わず、はあ、と小さく溜め息を吐いた。「……まったく、一攫千金のチャンスでも、巡ってこないものかねえ」

 直後、宣敬は、何か、微妙に重要なことを思い出しそうになったが、すぐに思い出せなくなってしまった。一瞬、何を思い出そうとしたのかを思い出そうとした。しかし、まあ、思い出せなくなる程度の重要性なのだし、今、無理に思い出そうとしなくてもいいだろう。そう判断して、思い出そうとする努力をやめた。

「一攫千金のチャンス、ですか……」瑪瑠は、グミの真ん中を上下の前歯で挟み込んで、ぶち、と千切った。「仮に巡ってきたとしても、はたして、ものにできるかどうか……宣敬くんは、幼稚園時代から、付き合いがありますから、ご存知でしょう? わたしの、運の悪さを」

「まあな……」宣敬は、こくり、と頷いた。「ほら、あれなんか、今でも、おれたちのいた小学校で、語り草になっているらしいぜ。商店街のくじ引きイベントに、トップバッターとして挑戦したら、百個あるくじのうち、九十個の外れを引き続けて、後には当たりだけが残された件。あ、それと、ほら、中学の修学旅行で乗った飛行機のエンジンが、全部、完全に停止して──」

 彼が、そこまで言ったところで、左方から、がらがら、という、扉がスライドされる音がした。一瞬後、「巡らせにきたわよ、一攫千金のチャンスを」という声も、同じ方向から聞こえてきた。そちらに、視線を遣る。

 出入り口のすぐ向こう側に、女子が立っていた。高校の制服を着ている。銀髪を、膝まで伸ばしており、蝶々結びにした水色のリボンを用いて、ツインテールに纏めている。瞳は銀色で、目は釣り気味。身長は、瑪瑠よりも、頭二つ分小さいくらいで、胸が、かなり大きかった。

 饅頭を口いっぱいに頬張っており、ハムスターのようになっているせいで喋れない瑪瑠に代わって、宣敬が言った。「どちら様?」

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