3-8

「身体が治せても、ヒタオが出てしまっている。呼び戻さないと!」

 タバナが焦っている。

 普通なら、なにそれ意味わかんないしと言いたいところだが、残念ながら今の私には分かりすぎる。ヒタオの身体に、ヒタオがいないのだ。

 あの時の私と同じ。洞窟で、意識だけが空に浮かんでいた私のように、ヒタオの意識が飛んでいってしまっているのだ。まだ消えていないと思いたい。すぐに探して、連れ戻さないと!

 と思ってから、ふと、あの時の私も、もしかすると死にかけてた……? と、思いいたった。

 タバナが連れ戻してくれたから、生きているのかも知れない。


 集中だ。集中。

 タバナが意識を飛ばすのに合わせて、私も一緒に飛べたら、きっと、ずっと楽だし、ちゃんと出来る。無意識じゃなく意識的にやれば、自分の身体に戻れる。そのためにもヒタオの身体は、しっかり掴んでおかないと。

 身体は、大丈夫だ。血が足りないし肉もかなり削れたけど、穴は塞いだ。壊れた内臓も修復できたし、血管も繋いだから機能するはず。

 身体の主が戻って来れば。

「生命」の入ってない身体が、勝手に生きる訳はない。中身を入れないと。

 抱きしめるけど、ヒタオの身体は脈打たず、どんどん冷たくなっていく。いや死後硬直とか早いんじゃね? ちょっと待って!


「タバナ!」

 引きずられるように、もしくは追いかけるように?

 私の意識が自分の身体から放れた。だんだん要領が分かってきた気がする。最初の時より、早くすんなり幽体離脱できてる。

 タバナの意識が、そこにしっかり『在る』からだ。おかげで見失わないで済む。タバナのことも、自分のことも。

 浮遊する意識。

 浮かび上がって見えた景色は一瞬、ムラのものだった。空に浮かんだ感覚がした。

 が、すぐにへ意識が飛んだ。見えないのに感じるし、見えないのに明るい、不思議な空間だ。いや空間なんてない。存在はしてない。でも、そこに『在る』。

 奇妙な、意識だけの世界。

 なのに自分ではない存在は、個体として、そこに在る。タバナ。ヒタオ。


 ヒタオ!


「駄目、待って!」

「カラナ!」

 タバナが私を後ろから押した。少なくとも、そんな意識を感じた。

 飛んで行ってしまうヒタオに追いつこうと、私を虚空に投げやがったのだ、こいつ。自分の嫁を守るためなら、私をむげに扱うぐらい、なんでもないらしい。いやまぁタバナらしいけどね。

 私だって追いつきたい。

 行かせたくない。

「待って、戻ってきて! ヒタオ!」

 必死で叫ぶ。イメージ。実際には声なんて出てないし、相手の耳にも入っていない。入っていくのは、意識の中に。ヒタオの中に、私の意識が届くかどうかだ。


 果たして願いは……間に合った。

 ヒタオの意識が、私たちを向いたのが感じられたのだ。あとは掴むだけ……と思うも、今一歩届かない。ヒタオはふわりと上がっていく。

「カラナ!」

 タバナの叫びが遠い。すでにタバナは、遥か下方だ。ここまでは上がって来れない。私が上がらないと!

 力は私のほうが強いのだ。タバナは力の使い方が上手いだけ。使い方だって、私がちゃんと思い出せば、私のほうが上手くなる。

 タバナの悔しがる、祈るような必死の気持ちが空気を揺らして伝わってくる。ヒタオに向かって、タバナの意識を投げてやりたかった。こんなに愛されてるんだから。早く降りてきてよ!

 思いっきり腕を伸ばすけど、手が届かない。お願い、ヒタオからも手を伸ばして。


 身体が重い。意識が重い。もっと、もっと透明にならないと。自分が消える一歩手前まで。私が誰かも分からないぐらい薄くなれば、軽くなって上がれるから。

 身体を伸ばして意識を飛ばして。もっと高く。もっと軽く。

「カラナ」

 ヒタオの優しい笑みが、見えた。気がした。

「これ以上は来ちゃ駄目」

 掴めないのに、届いてないのに、押し戻されるイメージだけが流れてくる。身体が何かに阻まれて、浮かばなくなる。重い。

「嫌よ、待って、ヒタオ」

 泣きたくなんて、ないのに。どうしても、顔がぐしゃぐしゃになっているように感じられる。

「あなたに会えて良かった」

 そんな言葉を紡ぎながらも、ヒタオの浮上は止まらない。どんどん軽く、薄く、小さく、ヒタオの意識が消えてゆく。融けてゆく。

「カラナをよろしくね」

 という、その言葉は……。

 カラナたる私に向けてではなく、カラナの中の私に向けられた言葉だ。

「え?」

「あなたの本当の名前を訊く暇がないのが寂しいわ」

 笑みを含んだ声を発するヒタオは、ちょっとイタズラっ子みたいなイメージだ。くすくすと笑っている。

 何かを諦めたような、吹っ切れたような、清々しい笑み。どうして。意味わかんない。


 顔が分からないからこそ、中身でもって対峙してるからこそ、カラナじゃない私が、ヒタオの前にさらけ出されている……の、かな。

 ヒタオの意識が、言葉を紡ぐ。

「悔しいわ」と。

「ヒタオ」

「もっと、あなたとお話がしたかった。もっと、カラナとも話したかった。タバナとも、もっと……ああ、タバナ」

 消えてゆく。必死で手を伸ばした。ほんの少しだけ、ヒタオが手を差し伸べてくれたように感じられた。

 わずかに。

 かすかに、指先が触れた。

 気がした。


「元気でね」


 それが、ヒタオの残した最期の言葉になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る