3-7

 あー、こういう時にも「カラナ」って、名前のほうを呼んでくれるんだ、ヒタオ……。と、その光景を眺めながら、明後日なことを考えた。

 あまりにも現実的じゃなくて。

 ってか、そもそもここに来た最初の時から、ずうっと現実的じゃない訳だけど。こんなの信じない。信じられない。

 お腹に、穴が開くなんて。


 しかも、ヒタオの。


 ヒタオが微笑みながら崩れ落ちるのを、慌てて抱きとめた。軽い。細い身体。

「ミコ様……お怪我は……」

「ヒタオ……ヒタオのほうが」

「ご無事で良かった」

「良くないよ! ヒタオが!」

 ヒタオの微笑みが優しすぎて、綺麗で、泣けてくる。

 なんで……なんでヒタオのお腹に穴が開いてるの! 血がどくどく出てるの!

 尋常じゃない大きさだ。グーで殴られた跡がぽっかり空いたような、大きな穴。向こうが、床が見えてるなんて!

「誰か……早く……誰か!」

 周囲を見渡すが、テラスには私たち以外、誰もいない。

「ヒタオ。ヒタオ」

 フツが駆け寄り倒れこんで、泣きながら、布でヒタオのお腹を押さえた。自分のスカートの裾だ。そうだよね、咄嗟に布なんて、ここには何もない。

 私も私の羽織りをヒタオに巻いたが、何の役にも立っていない。血が止まらない。だって貫通してるもの。背中からも、ダラダラ血が落ちてくるんだもの。

 無意識に、咄嗟に背中に手を差し入れ、フツの手の上からお腹を押さえていた。血が止まって欲しい一心をだけ思っていたら、手のひらが熱くなった。

 いや、もっとだ。もっと熱く。体内の熱さと同じに。この手がヒタオの一部になっても構わない。この穴を埋めたい。破れた内臓を、血管を、皮を、つなげて。

 どうか。


 眼下ではタバナがキヒリを取り押さえ、使者のオッサンも、周囲の兵士たちに囲まれている。取り押さえたキヒリを兵士の一人に預けると、タバナが走ってきた。

 テラスには下から上がってこれない。

 忌々しそうに、もどかしそうにタバナが、社の裏に回り込んで消えた。裏の階段から上がってくるためだ。

 でも、その隙をついてキヒリが兵士の腕から逃れ、飛び上がったのだ! ツウリキ?!

 私たちは咄嗟に、ヒタオを抱きしめた。

 中空に浮かび、地面があるかのように立ち、こちらに寄ってくる。テラスに上がって来そうだったが、そこで止まった。

 キヒリが叫ぶ。

日神子ひみこ、来い!」

「え……?」

 どういうこと?

 ポカンとなってしまった私を見て、何かが分かったのか、キヒリは舌打ちして消えてしまった。一瞬だった。


 殺そうとしたり、連れて行こうとしたり。

 あげくに消えるなんて!


 っていうか、今はヒタオだ。

 消えたヤツは追いかけられない。眼下でも皆が事態を把握してきたのか、「ミコ様!」という声が上がりだしている。

「ご無事ですか?!」

 と、誰かが叫んだが、返事を返す余裕がない。下からは、横たわったヒタオが見えない。なんて言って良いのか分からない。

 早く……早く! 助けて!

「タバナ! ヒタオが! ヒタオ!」

「ミコ様」

「ミコ様!」

 狼狽するフツの呟きに重なって叫んだのは、ヒタオだ。血が流れてるのに、声は力強い。

「落ち着きなさい! あなたが無事だと、皆に知らしめなさい」

 敬語がなくなっている。

 ミコ様を演じるカラナを、思いやっての言葉だ。でも言われた通りにできなくて、そもそも立てなくて、私はヒタオを抱きしめたまま泣きじゃくっている。


「ミコ様はご無事だ!」

 代わりに叫んでくれたのは、駆けつけたタバナだった。

 真っ先にヒタオを抱きしめたいだろうに、職務を全うしてくれた。でも私は駄目だ、とてもそんな風になんて出来ない。そもそも、まだ心のどこかで、私はミコ様じゃないって思ってるし。なのに、こんなことになって。こんな……こんなの、いたたまれない。

 タバナが続けて、手早く指示を出している。と言っても、下にいるオサに引き継ぐものだ。オサが捕えた使者を引っ張って行くのが、ちょっと見えた。

「ミコ様、私も!」

 タバナが叫んだ。

 眼下を見届けると、すかさず私の横にしゃがみ込み、ヒタオに触れた。フツと私が一所懸命ヒタオのお腹を押さえているのを、そのままに、その上から手を重ねた。

「タバナ様」

「フツ、そのまま。集中していてくれ」

「はい」

 フツも分かっているのか、顔つきが変わった。まだ幼い、15歳ぐらいかなーっていう子なのに、いきなり大人の目になった。他の侍女たちも皆そうだけど、この世界の子たちは皆、すごく自立してるなって感じる。やるべきことが分かってる。迷いがない。

 生き方に疑問を持ってないのだ。

 ヒタオが私をかばって飛び出したのだって、すごく自然だった。でも「ミコ様」を守るためでなく、カラナに接した行動だった。


 やり方は多分、雨雲を呼んだ時と一緒だ。

 あの時は意識を空に融かした。今度は逆、身のうちに、体内に向かって意識を掘り下げる。逆だけど逆じゃない、要領は同じだ。大丈夫、さっきからやってる。無意識だった力を、意識的に出すだけだ。手のひらに集中する。

 私という個体を融かして、ヒタオの身体に同調する。タバナがやるんだ、私にもできる。

 皮膚を通り越し、破裂した内臓に行き着く。背骨にも損傷がある。繊維をつなぐ。足りない細胞、肉片を集める。体外にまで飛び散ったものは無理だけど、私の熱で、周囲の空気を練り上げて物質にして、身体にくっつけてやる。

 タバナの意識も近くにあることが分かる。共同作業になっている。私とタバナの意識が融ける。ヒタオの意識も、そこにある。ひとつになる。来て、ヒタオ。あなたの身体は、ここにある。

 でも。


「だめだ」


 タバナが呟いた。

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