第106話 ダメなところも全部好き(前編)


 結婚の約束をした時に、村を出ることはふたりのなかで決まっていた。


 村長も今年中には住まいと隣村に移すから、ディアが来なくてもいずれはジローもどこかへ引っ越す必要があったため、移住することに否やはなかった。

 すでにある程度荷物の整理は進めていたから引っ越しの準備は簡単に終わった。クラトも自分の家を整理しに行ったが、家具などはほとんどおいていくため片付けにはさほど時間はかからなかった。クラトもいずれは移住しなければと考えていたから、元々片付けるべきものは大して残っていなかったのだ。


 ディアたちは一週間ほど村に滞在して、最後に村長に別れの挨拶を済ませて村を後にした。

 ジローは自分の荷馬車にディアを乗せて、ラウの馬車の後ろをついていく。荷馬車を引く馬はもちろん、ディアと逃避行した時に連れてきた牝馬である。ディアがいなくなった後もジローと二人仲良く暮らして大事にされていたらしく、もう歳なのに元気いっぱいだった。

 行きはずっと同じ馬車に乗っていたディアと分かれてしまったことで、別々に乗り込む時、双子が寂しそうにしていたので少々申し訳ない気持ちになる。

 時々後ろの幌を開けてディアの様子を窺う二人を見て、途中であちらの馬車に戻るかもしれないとジローに告げた。だが今は、これからどうするのかジローと色々話し合いたかった。

 まず一番重要な問題として、住まいをどうするかだ。

 宿に泊まり続けたらお金もかかるし、荷物の保管場所の問題もある。町に着いたらすぐ家探しをしないといけない。だからある程度、条件を絞っておきたかった。


「住む家のこと、どうしましょうか。やっぱり便利な中央付近のほうがいいですよね。部屋数はどうしましょう? 一応二部屋あったほうがいいでしょうか」


 もちろん一緒に住むこと前提で、そのうえでどんな家がいいか相談するつもりでいたのに、ジローに話を振ると、気まずそうに目を逸らされてしまった。

 ん? と思ってじっと見つめると、ジローはためらいながらも口を開いた。


「ディアさん……俺たちさ、やっぱ最初は一緒に住まないほうがいいんじゃねえか? いきなり得体のしれないおっさんと住み始めたら、絶対面白おかしく言われてディアさんが嫌な思いするだろうからさ」

「……えっ?」


 カーテンの色やお揃いのカップを買うところまで想像を広げていたディアは、「一緒に住まないほうがいい」などと言われて、わくわくしていた気持ちが急にしぼんでいく。そして拒否されたことがショックでついジローを責めるような言い方をしてしまう。


「なんで結婚するのに別々に住まなきゃいけないんですか? 噂して面白がる人がいてもいいじゃないですか。面白おかしく言われるなんて、今更ですよ。誰に何を言われても私は気にしません」

「ええ~ディアさんつよ……。でもさぁ、クラトから聞いたけど、町ではディアさんが憲兵の妻だって噂になっているんだろ? それで守られている部分もあったんだろうけど、その誤解をされたまま俺と同棲を始めたら、浮気だの二股だのと言われると思うんだよ」


 ジローに言い返されて一瞬言葉に詰まる。すっかり忘れていたが、一時期厄介な人を追い払うために「憲兵の妻」という噂をそのままにしていたのを思い出す。

 噂を鵜呑みにするような人たちとは交流がないので、今でもその噂が残っているのか分からないが、確かにそれをネタにされそうな気はする。


「それは……一部の人はまだそう思い込んでいるかも知れないですけど……でも近しい人にはちゃんと説明しています。実際、リンドウさんとは何もないですし、二股なんて言われる謂れはありませんよ。何か言われたら普通に否定すればいいだけです」


 リンドウの名前が出たとたん、ジローがあからさまに顔をしかめて不機嫌になった。


「へー、リンドウって言うのかぁ。ソイツが告白されて断った相手かー。軍警察で社会的地位もあるイケメンなんだっけ? へーそっかーリンドウ君かー」

「え、なに、なにが言いたいんですか? 本当にリンドウさんとは何もないですよ。双子が保護施設を出てからは、お世話する子がいなくなったんで仕事でもほとんど会わなくなっていましたし」


 なにやら急に面倒くさい雰囲気になったジローに戸惑い反論するが、まだねちねちと絡んでくる。


「でもしばらくはそのリンドウ君がディアさんの夫役だったんだよな……イケメンか……有望株か……俺とは大違いだな」

「もう本当になんなんですか? リンドウさんがどんな人でも関係ないじゃないですか! 何が言いたいかわかんないです!」


 御者台の上でわーわー騒いでいると、前を走っていた荷馬車からクラトが顔を覗かせた。


「何を騒いでいるんだ。恋人になって早々喧嘩か?」

「違うんです。ジローさんが変なこというからいけないんです」


 ラウの荷馬車の後ろには、クラトとアデリとシャルが乗っている。ラウは御者をしているのでこちらの騒ぎに気づいていないようだった。

 むくれているディアの顔を見て、双子たちが目を丸くしている。普段のディアはいつも冷静で、感情的になることは滅多にない。こんなふうに子どもっぽくむくれたりする姿に戸惑っている。


「そろそろ馬に水をやるから休憩にしよう。ジローもちょっと頭を冷やしたほうがいい」

 クラトの仕切りで街道沿いの町で休憩することにした。子ども連れであるため、割と頻繁に休憩を入れるようにしている。

 町に入ると、辺鄙な場所にある町の割には栄えていて、商店が立ち並ぶ大通りを多くの人行き交っていた。


「ずいぶんと賑やかな町だな」

「門の受付で聞きましたけど、この町は温泉があるんですって。だから不便な土地だけど旅人が足を延ばしてこの町に寄るから、宿場町として栄えているらしいです」


 身分札を持つディアが受付をした時に、町のことを色々教えてもらってきていた。保存食の店など、門番から聞いて来た情報をクラトと話して何を購入していくかを相談するため、行きの旅でも町に入った時はこうして二人で話し合うのが恒例となっていた。

 その二人並んで話しながら歩く姿を、ジローがジトーッとした目で見ている。

 横でジローの様子を見ていたラウがドン引きしていた。


「おっさんさあ……クラトさんにまで嫉妬してんのかよ? みっともねーな」

「いやだって、クラトの奴妙に距離が近くねえか? アイツ昔はもっとディアさんに対して余所余所しかっただろ。なんであんなに仲良さそうなんだよ。離れて歩け、微笑むな」

「うわ、めんどくせえ。おっさん、歳食ってんだからせめて大人の余裕とか見せろよ。そんなに余裕ねーとすぐディアに愛想尽かされるぞ」

「うぐ……」


 言葉に詰まるジローをみて、言い負かしたとラウは嬉しそうににやにやしている。

 そのやり取りを黙ってみていたアデリとシャルが呆れたようにため息をついた。いつもはまともな店主が、このおじさんに絡むととたんにクソガキみたいになるのが二人にとって割とショックだった。

 ディアに惚れぬかれていて、ラウの知能指数を駄々下がりさせるこのおじさんは一体何者なんだろう……と双子の中のジローの人間像が定まらず混乱していた。


 せっかくの温泉がある宿場町に来たということで、今日は宿に泊まるのはどうかとクラトが提案して、皆がもろ手を挙げて賛成する。行きに店の商品を積んで行商しながら来たため、路銀に割と余裕があったのだ。

 とはいえ、節約のために比較的安価な宿に決めたが、子連れということでディアと双子の部屋は広めの良い部屋を都合してもらえたので、部屋キレイ! とアデリとシャルがはしゃいでいた。

 窓の外を見て、さっそく温泉に入りたいと双子がディアにねだる。

 宿の裏手に大きな温泉があり、その周りを囲むようにたくさんの宿が立ち並ぶ造りになっている。温泉を見たことがない双子はそれを見て控えめながらも大歓喜していた。


「入浴用の服があるから、それに着替えて入るみたい。おっきな泉がお風呂になっているんだって。すごい、楽しみだねー」

「はやく」

「いきたい」

「うん、行こう行こう!」


 部屋が分かれているため、ディアはさっさと荷物を部屋に置いて双子を連れて温泉に向かってしまった。

 おいて行かれた男三人は、なんとなく微妙な空気が流れる。


「まあ……せっかくだから俺たちも温泉に入るか」

「そ、そっすね! 入口に書いてあったけど、湯に浸かると怪我とか体の不調に効果があるらしいっすよ。俺も温泉って初めてなんすよね」

「温泉かぁ~昔はこの町、娼館ばっかりだったんだけどなァ。今は普通の宿場町になってンだな」

「おい、ディアさんの前でそういうこと言うんじゃないぞ。彼女は娼館なんて見たこともないだろうから、せっかく温泉で喜んでいるのにそれを知ったら水を差された気分になるだろ」


 ジローの若い頃はそういった宿ばかりがあった土地だったことを、クラトも知っている。その後、売春に関する取り締まりが厳しくなり、娼館も商売の許可が必要になって一気にその数を減らした。

 この宿の建物が元々は娼館として使われていたかどうかは分からないが、純粋に初めての温泉に喜んでいるディアが知ったら、そういうことに使われていた場所かもしれないと思うだけで嫌な気分になるだろうというクラトの配慮だった。


「あーそうか。考えナシだった、すまん」


 そこで話は一度終わり、荷物を置いてさっそく温泉に向かおうとしていた時、ジローがボソリとつぶやいた。


「クラトは、ディアさんのことよく理解してんだな。なんか昔より、すげえ信頼し合っている感じだし」


 なんだそれとクラトは言いかけたが、振り向いたジローの顔が思ったより暗かったため、返事に困る。するとラウが口をはさんできた。


「当たり前だろ。町に帰ってきてからの二年間、ディアはすげえ大変だったんだ。そん時に支えになって一番近くにいたのはクラトさんなんだからよ。おっさんはその間なんもしてねーじゃん。ディアにとってクラトさんが身近な頼れる人だったんだよ」

「いや、俺は途中でラウを追いかけていってしまったから、むしろディアさんには迷惑をかけっぱなしだ。精神的に落ち込んでいる時もずいぶん支えてもらった。彼女の支えになっていたのは、多分軍警察の憲兵のほうだろう。仕事も私生活もあちらを頼りにしていたしな」

「け、憲兵ってのは……リンドウとかって男か?」

「そうだ。村にも一度来たことがあるからジローも面識があったか? 実直でいい男だよ。てっきり彼はディアさんを好きなんだと思っていたんだがな、本当に親切なだけだったようだ」


 ディアは求婚された件をクラトたちには話していないらしい。リンドウとはクラトも付き合いがあったらしく、彼のことを手放しで褒めている。

 ディアから聞いてその憲兵に色々世話になったのは知っている。だが下心込みでの親切だろうとジローは内心穏やかでない。

 離れていた二年間。

 再会したディアは以前の儚さが消えて、凛とした強さを持った大人の女性に成長していた。自分で未来を切り開ける力強さを持っていて、二年間腐っていただけのジローには彼女がまぶしくて、自分が情けなくてひっそりと落ち込んだ。

 ラウの言う通り、ディアがつらい時にジローは何もしてやれなかった。求婚してきた憲兵やクラトにまで嫉妬してしまうのは、いつの間にか成長して強くなった彼女を見て、焦りのような気持ちがあったのだ。

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