第107話 ダメなところも全部好き(後編)
ずーんと落ち込んでしまったジローに構うことなく、クラトとラウは温泉に意識を持って行かれていた。
「すげー! 温泉ってこうなってんですね! 南にはこういうトコないんですよねえ」
「温泉は北の山側に多いんだ。俺が子どもの頃は男女混浴が当たり前だったが、ずいぶん昔に規制ができたんだよな」
「まじすか。その頃来たかったっす」
「その頃お前はどう頑張っても赤子だろ」
ジローは二人の会話を横で聞きながら、今が昔ならディアと混浴していたのかと意味不明な妄想を膨らませる。服を脱いで入浴用の腰巻きをつけていると、服を脱いだラウの体が目に入った。
「……!」
クソガキだと思っていたラウが、腹筋バキバキだった。
肩もがっちりしていて、以前はもっと子供っぽく細身だったのが全体的にたくましくなっている。本気で店を立て直すために寝る間も惜しんで働いていたとディアから聞いていたが、この体を見ると仕事を選ばす必死に働いていたようだと納得できる。
クラトにちょっとしごかれただけで吐いていたあのお坊ちゃんがねえ……と何とも言えない気持ちで、クラトに話を振ろうとそちらを見たら、ずいぶんと痩せたと思っていたクラトも腹筋バキバキだった。
「いやなんでだよ!」
「うわ、なんだ。急に大声だすな」
「クラトさあ! お前病気で全然飯食えなくなって死にかけるほど痩せたんじゃなかったのかよ! なんだその筋肉! めちゃくちゃ鍛えてるじゃねえか!」
「ああ、そうだな。一時期は飯が喉を通らなかったが、まぁ色々あってな。今はちゃんと食っている」
筋肉は以前より落ちて昔のようには動けないと自嘲するクラトだったが、見た限り引き締まっただけで全く衰えた様子がない。
(待て待て待て、お坊ちゃんはともかく、クラトはおっさんに足突っ込んでいるはずなのに、なんでこんないい体してんだよ。おかしいだろ)
焦りながら自分を見下ろすと、傭兵時代に比べてずいぶんとたるんだ腹が目に入る。いや、用心棒をしていた頃はもっとムキムキガチガチだった。もっとイケてたはずだ。この二年間、村でぬるい生活をしていたせいで、だいぶ……いや、ものすごく衰えている。
「おっさんだらしねー体してんなあ。仕事しねーで酒ばっか飲んでたんだろ。なまけ癖が抜けねーとすぐディアに愛想尽かされるぞー」
「うっ、うるせえ! ンなことでディアさんは愛想つかさねえよ!」
ニヤニヤしながら見下してくるラウに言い返すが、負け犬の遠吠えにしか聞こえない。完全に負けている。
「ディアさんに愛想を尽かされなくても、なまけ癖はどうにかしたほうがいいだろうな。その体じゃあ、用心棒の仕事ももらえないだろ」
「おあぁ……久々にクラトの正論でぶん殴られた気分だわ……」
「いや、冗談を言ってる場合じゃないぞ。町で暮らすなら、それなりに稼げる仕事を見つけないといけないが、身分札がないお前が就ける仕事は限られているだろ」
「ヒモのおっさんと結婚したって噂になったら、女将さん連中が黙ってねーぞ~。おっさんなんかよりもっといい男を紹介するから! とか言われて町から追い出されるかもな!」
ぎゃははと笑うラウの頭をクラトが引っぱたいてくれたが、ジローは湯に沈みそうなほど落ち込んでいた。
なにもかも図星過ぎる。女将さん連中に箒でぶっ叩かれて追い出される未来が見える。このままでは予想が現実になってしまう。
「……俺、鍛え直すわ。全盛期は俺だって、オニーサンいい体してんねってよく娼婦に声かけられていたんだから、昔はイケてたはずなんだ。ディアさんが惚れ直す体になって、女将さん連中も納得させてやる!」
「何言っているんだジローは」
「おっさん、頑張る方向を間違えてんだろ」
クラトたちのツッコミもジローの耳に届かず、ざばぁっと勢いよく湯から立ち上がると、決意を秘めた表情で体を洗い始めた。クラトとラウは顔を見合わせて、二人で苦笑いをするしかなかった。
***
男三人が風呂から上がると、女性用のエリアからディアと双子がちょうど出てくるところだった。
ディアは湯上り後のため、薄着で髪を上に結い上げている。はしゃいだ双子を追いかけ、かがんで髪を拭いてやっていた。そのせいでディアの胸の谷間が丸見えになっている。
「ちょ、ディアさ……」
周囲には風呂上がりで涼んでいる男たちがうじゃうじゃいる。そんなしどけない姿を見せたら変なのが湧くに決まっているので、ジローが慌てて声をかけようとすると、先を越すように若い男がディアに近づいた。
「お姉さん、妹たちの世話をして偉いねー。行商で来たの?」
「えっ? いえ、この子たちは……」
「ディアさん! 律儀に答えなくていいから! そこのお前、うちのディアさんにちょっかいかけんじゃねーよ」
ディアの前に立ち男に威嚇すると、「父親が一緒かあ」と残念そうにつぶやいて男はあっさり引いていった。
「ち、父親……」
「ジローさん、どうしたんですか?」
父親に間違われたことに思いのほかショックを受ける。そこはせめて「男連れかよ!」とか言うべきだろうが。他人から見てやはり恋人には見えないよなァと落ち込んでしまう。
「イヤ、なんでもない……温泉はどうだった?」
「温泉って初めてだったから、子どもたちもはしゃいじゃって。私も楽しかったです。入りすぎてちょっとのぼせちゃったかも」
上気した顔で微笑みかけられて、心臓がぎゅんとなる。猛烈に色っぽい。こんなに可愛くてどうしたらいいのか。
「釣り合わねえなんて、今更だよなァ……」
「ん? なんか変でした? あの、双子たちが何か飲みたいって言うので、外の屋台で買い物してきていいですか?」
「え、駄目駄目。ディアさんがそんな薄着でウロウロしたら変なのが付いてきちゃうから! せめて上着着ないと!」
暑いからまだ上着は要らないというディアと、一秒でも早くその胸を隠したいジローとでもめていると、少し離れたところからラウが双子を呼ぶ声がする。
「おーい、チビども。なんか食うもの買ってやるから俺らと行くぞー」
ラウの呼びかけに応えて、双子がそちらに駆けていく。クラトがジローに目くばせして、二人で子どもたちを屋台へつれていってくれた。
クラトが気を利かせてディアと二人で話す時間を作ってくれるつもりらしい。
「あー……ディアさん。俺らもちょっとその辺歩くか? ホラ、上着着て」
「はい。私も屋台の飲み物、飲んでみたいです」
ディアに無理やり上着を着せ、屋台通りへと歩き出す。人通りはさほど多くないが、親子連れもいて賑やかで楽しい雰囲気である。
珍しくはしゃいだ様子であちこちきょろきょろと見回すディアは、ごく自然にジローの手を握っている。可愛い。これはどっからどう見ても恋人同士の手つなぎデートだ。こんな可愛い子が俺の嫁なんだと大声で叫びたい。
ニヤつく顔を抑えきれずウキウキで歩いていると、すれ違った夫婦らしき二人連れの話が聞こえてしまった。
「仲のいい親子ね」
「そうだね」
「……!」
親子って俺たちのことじゃないよな⁉ と後ろを振り向いたが、夫婦はもう遠ざかってしまった。歩みが遅くなったジローを気にして、ディアが顔を覗き込んでくる。
「どうしました? なんか今日、ジローさんずっと変ですよ。もしかして……やっぱり町に住みたくないですか? もしジローさんが周りの目を気にするなら、商業地区から離れて知り合いのいないところにしましょうか? 郊外は不便ですけど、馬を買えば仕事に通うのも無理じゃないですし……」
「あっ、違う! そうじゃないんだ。すまん、そうじゃなくて……」
商業地区から離れた土地では仕事にならない。馬を買えるほどの余裕もないのに、ディアがジローに気を遣って住みやすい場所を考えてくれている。さっき、少しもめた件を気にしているのだろう。ものすごく申し訳ない気持ちになる。
「なんつーか、二年ぶりに会ったディアさんがすげえ大人っぽくて美人になっていて、眩しくて気後れしちまったんだよ。きっとモテたんだろうなーと想像したら、つまんねえ嫉妬しちまったんだ。ホラ、俺はこの二年、ただ腐ってたからよ……」
成長したディアに比べて自分は……と思うと卑屈になってしまったと正直に白状すると、黙って聞いていたディアはつないでいた手をぎゅっと握りしめてジローに顔を近づける。
「……不安になる気持ちは、私にもすごく理解できます。あなたの隣に立てる女性になるにはどうすればいいのかって、何度も、何度も考えて悩んだので。私に足りないものはなんだろうって何が駄目なんだろうって迷走していた時期もありました」
「そんな、ディアさんに足りないものなんかひとつもねえよ」
話の腰を折るかたちで否定すると、ディアはふふっと優しい顔で笑う。
「でも、いろんなことに向き合って毎日必死に生きていたら、なんか足りないものを考えること自体が間違っている気がしてきたんです」
よく分からず首をかしげると、ディアは「上手く言えないけど」と目線を落とす。
「きっと、私が足りないものを補って完璧な人間になったとしても、それで好きになってもらえるわけじゃないと思うようになったんです。だって私自身が、ジローさんのいいところもダメなところも全部含めて好きだから、人を好きになるってそういうことじゃないんだろうなって」
だから無理に自分に何かを足そうとするのを止めた、とディアは言った。
「結局それで、村に来たのも当たって砕けろの精神だったんです。私はあなたが好きで、それを伝える以外にできることはないと思ったんです。だから私の気持ちを全部伝えて、真正面からぶつかってみて、それで駄目なら諦めるつもりでした」
「ディアさん……すげえな。俺はやっぱ駄目だな。歳食って色々憶病になってたんだ。ぶつかって苦しむよりも、諦めて逃げるほうを選んじまった。家のことも、余計なこと考えて逃げていた。本当にごめんな」
「いいえ、きっと私のために色々考えてくれたんですよね。それなのに、怒ったりしてごめんなさい。私、気持ちが先走っちゃって、ジローさんが心配してくれているのに失礼なことを言いました」
「いやいや、違うって。俺が悪いんだから謝らないでくれよ。俺な、自分がディアさんに釣り合わねえって悩むくらいなら、釣り合うように努力しようって温泉入って決意したんだ」
「そうなんですか? 温泉で一体なにが……」
「見ててな、ディアさん! 俺ムキムキになって、ディアさんを惚れ直させてみせるからな!」
「む、むきむき……?」
惚れ直すと関係ある事柄なのだろうか……? とディアの頭には疑問符が浮かんでいるが、ものすごくいい笑顔になったジローが盛り上がっているため問い返せなかった。まあいいか、と聞き流し、ジローの手を引く。
「別に何をしなくてもジローさんはそのままで素敵ですよ」
「いやぁ、ンなこと言うのディアさんだけなんだって。さっきも親子に間違われただぜ? 周りには君の恋人って思われないくらい釣り合わねえの」
「でも……昔は私たち人買いと買われた娘と間違われていたんですよね。その頃に比べれば、親子に間違われるくらい近しい関係に見えるってことですよ」
「あ……そっか」
そういう見方もできるのか。夫婦は似てくると言うし、親子に見えるならそれだけディアとの距離が縮まったと考えれば悪くない気がする。
それに、以前のディアはあまり自分の意見を主張しなかったから、ジローが言うならそうなんだろうと大抵のことは受け入れてしまうので、喧嘩にもならなかった。だから今回、喧嘩のようになって落ち込みもしたが、はっきりものが言えるようになったディアの変化が嬉しくもあった。
意見をぶつけあって、喧嘩したり仲直りしたりして『夫婦』になっていくのだろう。
「夫婦か……いい響きだなあ」
「ん? なんですか? あっ、ジローさんあの屋台の飲み物が気になっていたんです。半分こして飲みませんか?」
「ええーなに半分こって。可愛いなあ。じゃ、あの串焼きも半分こしようぜ」
キャッキャしながら歩く二人の姿は、もう親子には見えない。
周囲の人の見る目は、温かいというよりも「若い嫁もらって浮かれているのね……」というジローに対する生ぬるい視線だったが、二人はそんなことに気づくこともなく、仲良く一つの飲み物を幸せそうに分け合っている。
この温泉での出来事は、ジローとディアのなかでこの後も折に触れて楽しかった思い出として語られることになる。
ついでにこの日を境にジローが隙あらば筋トレをするようになって、事情を理解していないディアを大いに困惑させたのであった。
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