第105話優しい檻(後編)
受け入れてしまえばこの生活もそんなに悪くない。
相変わらず買い物には連れて行ってもらえないけど、欲しいと言ったものは全部買ってきてくれるし、最近は部屋の扉に鍵をかけられることもないから、家の中なら好きに動き回れる。暇なことを除けば何も問題ない。
町の中心部から遠く離れた田舎の家。
逃げ出してもどっちに向かえばいいのかも分からないから、外に出ても逃げようとは思わない。周りに民家は全然見当たらないし、どこかで迷ってのたれ死ぬほうがよっぽど怖い。
白いレンガのこの家は、広くて新しい。可愛いカーテンに可愛い小物。外の畑には、色とりどりの花がいつも整然と並んで咲いている。
レーラだって、外から見たら素敵な家だって褒めるだろう。いつか思い描いた理想の新婚家庭にふさわしい家だと思ったに違いない。
「レーラ。窓辺は冷えるから暖炉の近くにおいで」
男は相変わらず嬉々としてレーラの世話を焼いている。ここから出たいと言わなければ基本的にどんなわがままを言っても怒らないしむしろ嬉しそうにしている。
この間も夜中にオレンジが食べたいと言ってみたら、馬を飛ばしてどこかから調達してきてくれた。
髪を結うのも靴下を履かせるのも男が全てしてくれる。最初は気持ち悪かったが、従者に全部してもらっていると思えば嫌悪感は薄れていった。
服や装飾品は定期的に新しいのを男が買ってきて、レーラは着せ替え人形のように毎日可愛く着飾らせられる。
どこにも出かけられないのにおしゃれしてもつまらないと文句を言ったが、いずれレーラの悪い噂が下火になったら町の中心部へこれを着て出かけようね、と男が約束してくれた。
人の噂なんて皆すぐ飽きるのだから、時間が空けば大丈夫だろうと言われていたし、出かけられる日を楽しみにしていた。買い物もしたいしお芝居も観たいし、久しぶりに酒場も行きたい。行きたいところを話すだけなら男との会話も楽しかった。
「ねえ、そろそろお出かけできる? わたしね、新しい化粧品買いたいの」
「それがね、ダメなんだよ。実はね、レーラのお姉さんが町に帰ってきたみたいで、また皆が当時の話を蒸し返してきて、僕のところにもいろんな人がきてうるさいんだ」
「え、お姉ちゃん帰ってきたの? ねえ、わたしに会うために返って来たのかな?」
「違うんじゃないかな。噂だとお世話になった人に結婚の挨拶をしに来たらしいよ。僕もちょっと見かけたけど、カッコいい男の人と一緒で幸せそうだったよ。言いにくいけど、レーラのことはずいぶん恨んでいたみたいだから……仕返ししにきそうで心配なんだ」
「仕返し? お姉ちゃんが?」
そんなわけないと言いかけて口を噤む。
もしかしてまだ恨まれているかもなんて考えていなかった。
そりゃあ色々あったし八つ当たりみたいな真似をしたけど、それは両親のせいだしレーラは騙されていただけだ。それを姉も分かっているはずだから、そこまで恨まれるとは思えないが……。
「お姉さんは皆から愛されるレーラのことが羨ましくてずっと妬んでいたんだろうね。そんなのレーラのせいじゃないのに、酷いお姉さんだよね。親の愛をレーラに盗られたって恨むのなんて逆恨みもいいとことだよ」
「盗られた……」
家にいた頃の姉の姿を思い出す。
レーラが両親と一緒にいる姿を、姉はいつも遠くからじっと暗い目で見つめていた。家族団らんに加わりたいならこっちにくればいいのに、声をかけてこない姉が悪い。
親に愛されたいならもっと親の望む可愛らしい振る舞いをすればいいのに、遠くから恨みがましい目で見ているだけで何もしない。
親の愛を盗られたなんて、とんだ言いがかりだ。
「ひどい。そんなのわたしのせいじゃないのに」
「でもね、レーラのせいじゃないって説明しても、きっとそういうのは理屈じゃないから納得はしてくれないだろうね。だから会わないようにするしかないんだよ」
そうなのかもしれない。恨むなと言われたって、はいそうですかとなるわけない。だったら会わないほうがいいんだろう。両親がいなくなってしまった今、もう頼れるのは姉しかいないと思っていたけれど、仕返しされるなら会いたくない。
もし姉がなにかしてこようとしても、僕が守るから心配いらないと男がレーラを一生懸命励ます。
でもまたしばらくは遊びに出られない。姉が帰ってこなければそろそろ遊びに出掛けられたのに。どこに行こうかと楽しみにしていた分、がっかりする気持ちが大きい。
「仕方がないね、またほとぼりが冷めたらお出かけしようね。お姉さんもずっと町にいるわけじゃないみたいだから、すぐ噂も落ち着くよ」
「うん。わかった……」
***
また家の中だけで過ごす日々。
男はここ最近忙しいみたいで、家にいないことが多い。
レーラが暇を潰せるように、綺麗な画集や恋物語の本をたくさん置いてくれてあるので、時々それを読んで過ごすがすぐに飽きてしまう。
レーラは本来、人と会ってお喋りしてお酒を飲んだり皆でわいわいと食事を楽しんだりするのが好きだ。黙っている時間がとにかく苦痛でしょうがない。
この日は珍しく男は家にいたが、畑の手入れをしなくてはならないからと朝早くから外で作業をしていた。
庭に設えた四阿で一緒にお茶をしようと誘われたが、花畑が満開になっているせいで外はミツバチが飛び交っていて怖いから断った。
虫が入らないよう窓を閉めて、ベッドに寝転がりウトウトとまどろんでいた時、外で話し声が聞こえた気がした。
たまに花の収穫のために従業員が来ることもあるので、人が来るのは珍しいことではないが、そういう時はいつも事前に男がレーラに伝えて、部屋にこもっているよう注意されるのに、今日はそれがなかった。
急な来客かと気になったが、顔を出すとまた男の機嫌を損ねるかもしれないから、そっとカーテンの隙間から外を覗いてみる。
男女の二人連れが男と話している様子が目に入ってきた。
「……お姉ちゃん?」
間違いない、姉だ。隣にいる男は誰だ? 知らない人だ。背が高くて整った顔。あんなカッコいい人、知り合いの中にはいなかった。町の人間じゃないのかもしれない。
姉は結婚して夫を連れて帰ってきたらしいと男が言っていた。
じゃああれが姉の夫なのだろうか。
以前、村で見た小汚い男とは似ても似つかない。
あの時は、なんであんな自分の価値まで下げそうなダメ男と付き合うのかと腹立たしくてしょうがなかったが、やっぱりアレと結婚したわけじゃなかったのか。
何をしに来たのか。もしかしてレーラに会いに来たのではないか。
仕返し? それとも本当はレーラを心配して訪ねてきた?
ドキドキしながら姉の動きを見守る。やっぱり心配してきてくれたに決まっている。なんだかんだ言って姉はレーラに優しかった。可愛い妹を見捨てるはずがない。
きっと迎えに来てくれたんだ……!
そうだ、両親がいなくなってもレーラにはまだ姉がいる。両親の代わりにレーラを助けて守ってくれる。
早く、早く来て。やっぱりあの男は気持ち悪くて嫌だ。お姉ちゃんがいい。お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん!
心の中で必死に呼ぶが、姉は庭で男と何か話をしただけで、家に入ってくる様子はない。そのうち背を向けて夫と寄り添い合いながら帰り道を歩いて行ってしまった。
なんで!? どうして帰るの!?
窓を開け放って声の限りに叫ぶ。
「お姉ちゃんっ!!!」
レーラが呼びかけると姉が驚いたように振り返る。
「お姉ちゃん! わたしっ……わたしも連れて行って! 置いていかないで!」
声が掠れてしまったせいで姉には言葉が届かなかったようで、戸惑ったような顔をするばかりでこちらに来てくれない。もう一度叫ぼうとした瞬間、後ろから肩をぐっと掴まれた。
「レーラ? 何をしているの?」
男が上からレーラの目を覗き込んでいる。何も映していないような真っ黒な瞳に見つめられ、背筋からぞっと寒気が襲ってくる。
「ああ、お姉さんが来たんだよね。何をしに来たのかと思ったんだけど、結婚の報告だったよ。素敵な旦那さんをレーラに見せびらかしたくてきたのかなあ。ラウ君よりいい男を捕まえたって自慢したかったみたい。自分の幸せな姿を見せつけることが、お姉さんなりの復讐なのかもね」
はっとして男を振り返る。
先ほどと違い、男は憐みの目でレーラを見つめてくる。
「きっとレーラが今不幸だったらお姉さんはすごく喜ぶんだろうね。自分が幸せで憎い相手が不幸になっていたら復讐が成功したことになるもんね。だからお姉さんがレーラに会わせろって言ってきたんだけど、僕は君を傷つけられたくないから帰ってもらったんだ。勝手に追い返してごめんね。レーラはお姉さんに会いたかった?」
レーラが不幸ならお姉ちゃんが喜ぶ?
自分が幸せだから?
レーラが不幸だったら嬉しいの?
「でもさ、レーラも幸せだからご心配なくって言ってやればいいんじゃない? だからおかまいなく~って言ってやりなよ。そうすればお姉さんも、つまんない見栄みたいな復讐は止めようって思うかもよ?」
ホラ、と窓に向けて背中を押される。
窓から姉の姿を見ると、不安そうな顔でこちらを見上げている。でも隣に立つ夫らしき男は、姉のほうを向いて心配そうに寄り添っている。肩にそっと手をかけて労わるような仕草で、姉はとても大切にされているのだとみて分かる。
ギリ、と思わず歯を食いしばる。
見せつけられていると感じた。
窓から身を乗り出して、姉に向かって叫ぶ。
「お姉ちゃん! わたし……し、幸せよ! だから心配しないでっ!」
男に言われたとおり、自分は幸せだと言ってやる。わたしが不幸じゃなくて残念だったね! と更に叫ぼうとしたが、その前に男がさっと窓を閉めてしまった。
「よかった。レーラが幸せって言ってくれて、僕も嬉しい。僕、もっともっと君を幸せにできるよう頑張るよ」
優しく抱きしめられて頭の上に何度もキスをされる。後ろを振り向いて姉の様子を見たかったが、ぎゅうぎゅう抱き込まれて身動きができない。
ようやく解放された時にはもう窓の外には姉の姿は無かった。
本当にあれでよかったのだろうか。
文句でも恨み言でもいいから、直接話をすべきだったのではないだろうか。
レーラはいつもカッとなって感情のままに動いてしまう。後から後悔するなんてしょっちゅうあったのに、またやってしまった。
「や、やっぱりお姉ちゃんと……」
会いたい、という言葉は男の唇に塞がれる。
「んっ……! んう!」
角度を変えてしつこく繰り返されるキスに気が遠くなりそうになった頃、ようやく解放された。ぜいぜいと肩で息をするレーラを男は愛おしそうに見つめ、長い指で頬を撫でる。
レーラを見る男の目は、底の見えない沼みたいに暗く濁っている。この目に見つめられていると、ずぶずぶと足元から沈んでいくような気持ちになって不安に飲み込まれそうになる。
「愛しているよレーラ。一生一緒にいようね」
「…………うん」
今は頷くしかない。レーラを守ってくれるのはこの男しかいないのだから、機嫌を損ねてはいけない。
素直に頷くレーラを見て、男が満足そうに微笑んでいた。
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これにて番外編のレーラちゃんのお話は終了です!
最後まで読んでくださりありがとうございました。
小説&コミカライズ版も発売となっておりますので、そちらもどうぞよろしくお願いいたします。
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