第104話優しい檻(中編)
「……レーラ? こんなところで寝たら風邪を引いてしまうよ。僕がいなくて寂しかったんだよね? ごめんね。もう用事は終わったから一緒に寝よう?」
耳元で囁かれて、ハッと目が覚めると目の前に男の顔があったので小さく悲鳴が漏れる。こちらの反応そっちのけで男はレーラを抱き上げてベッドまで運んでいく。扉の前に座り込んでそのまま寝てしまっていたらしい。
抵抗する気力もなくてされるがままにしていたら、服のボタンを外し始めたのでぞっとしてその手を叩き落とす。
「やめて。わたしジェイさんとはもうしない」
「やだなあ、服が皺になるから脱がしてあげようと思っただけだよ。寝間着じゃないとぐっすり眠れないでしょ? ホラ、着替えようね」
昔、あれだけしつこく発情した兎みたいに迫ってきたくせに白々しい。
そう言ってやりたいけど、また機嫌を損ねられると面倒だから黙って従う。
この男を勧めてきたのは父だった。
お金持ちの一人息子だから金払いがいいだろうって言うから何度かデートしてやった。
女慣れしていないからか、ちょっと愛想よくしてやればあっという間にレーラにベタ惚れになって、デートのたびに欲しいものを沢山買ってくれた。
そのうち恋人なんだからと体の関係を迫られるようになったが、ちょっと触らせるくらいで誤魔化して勝手に満足してくれたので、男との付き合いはさほど面倒ではなかった。
むしろちょっとキスをしたくらいで恋人面して束縛しようとする奴や、他の男といると罵ってくるような厄介な奴等よりよっぽど扱いやすかった。
それどころか、面倒事はたいてい男に頼めばなんとかしてくれる。
一度、恋人に手を出したって因縁をつけてきた女がいたけど、ジェイさんにどうにかしてと頼んだら、どうやったのか知らないけど女を黙らせてくれたし、ついでにしつこくからんでくる男をどっかにやってと頼んだら、翌週にはその男は本当にどこかへと行ってしまった。
頼み事は全部従ってくれる。
金払いも良くて、父はこの男を特に気に入っていたが、レーラは付き合いが長くなるにつれ、だんだんとこの男が不気味に感じるようになっていった。
どうしてか、レーラが行く先々に必ずこの男が現れる。
他の男の人と出かけてもいつの間にか後ろをついてきている。
最初は声をかけるでもなくそっと後ろをついて来て、でもわざと見えるような位置にいたりして、気持ちが悪くて男を撒こうとしても、先回りされていたりして本当にうんざりしてしまう。
男とは恋人になったわけでもない。
レーラが他の男と一緒にいることに対し、不満を抱く男のほうがおかしいのだ。
だからつけ回すなと文句を言っても、たまたまだよとしらを切られ、怒っても怒鳴ってもずっと笑顔でかわされてしまう。
いくら条件が良くても、気持ち悪いと感じてしまう相手とはもう会いたくない。
父がいくら薦めてこようとも、コイツだけは夫にはしたくないと早い段階で嫌気が差していた。
だから関係を切るつもりで、男からの誘いは徹底的に無視するようにした。
待ち伏せされても話しかけられても目線すら合わせず、いないものとして扱った。
それなのに、父はレーラの知らないところで勝手に話を進めてしまった。
父はレーラに勧めた男たち全員に結婚の話を持ち掛けて、結納金をいくら出せるか聞いて一番高い金額を言った人にレーラを嫁がせると言っていたらしい。
レーラがその話を聞いたのは、この男が婚約者になったという事後報告を受けた時で、もう断れる段階をとうに過ぎていた。
もちろん何で勝手に決めるんだと泣いて怒って、取り消してと懇願した。けれどいつもレーラに甘いはずの父がこの時ばかりは聞く耳を持ってくれず、もう結納金ももらったから取り消せないと話を打ち切られてしまった。
この頃にはもう男のことが気持ち悪くて心底嫌になっていたので、レーラは母に、あの人と結婚するくらいなら死にたいと泣きついた。
「母さん、助けて。わたしあの男気持ち悪い。結婚なんかしたくない。なんとかして」
レーラの頼みを断ったことがない母は、じっと黙って話を聞いたのち、こんな提案をもちかけてきた。
「レーラがラウ君と結婚したら? ディアとは上手くいってないみたいだし、ラウ君もあんな不愛想な子より可愛いレーラが妻のほうが嬉しいでしょう。先に既成事実を作ってさっさと結婚してしまえば、もう手だしできないわよ」
「え? でもお姉ちゃんと婚約してるのに今更変えられるの?」
「レーラとラウ君が恋人同士になればいいのよ。あの子は店が欲しいだけでラウ君のことなんてどうでもいいんでしょうから、妻の役目はレーラでも構わないわよ」
「そっかぁ、そうだよね。お姉ちゃんラウに嫌われてるもんね。母さんありがと! わたし頑張ってみる!」
母が言うことだ。間違いないがあるわけないと思っていた。
ラウはお金持ちだしカッコいいし本音を言うと狙っていたけど、店の女将をやれる人じゃないと結婚できないって言われて諦めていた。
でも、妻と女将は別でもいいのよと母は言う。レーラはそうか、なぁんだそうなんだって目が覚めた気分だった。
だから全部上手くいくと信じて疑いもしなかった。
なぜならラウもレーラを可愛い愛していると愛を囁いてくれる。
ラウの友人や同い年の子たちも、家の都合で嫌いな女と結婚させられるなんて可哀想と口々に言って同情していたから、みんなレーラとラウの恋を応援してくれると信じていた。
それがあんなことになるなんて、もう最低。酷い裏切りだ。
――――全部全部、お姉ちゃんが悪い。
絶対ラウのことなんか好きじゃなかったくせに、婚約破棄されて傷ついた不幸な女みたいに振る舞うから、レーラや両親が全部悪いみたいな話になって皆から非難されるようになってしまった。
あんなに姉のことを悪く言っていた女子たちもラウの友達もみんな、手のひら返してレーラを非難する。
姉の婚約者を寝取るなんて。
結婚式をぶち壊すなんて。
とんでもなくふしだらで性格の悪い女。常識も貞操観念も欠落した馬鹿な妹を持ったディアが可哀想。
こんな非難を、ありとあらゆる人からぶつけられた。
「母さんの言う通りにしたのに、何もかもうまくいかなかったじゃない……」
全部ディアのせいだから、ディアに責任を取らせるっていう父の言葉を信じて、自分でなんとかしようと行動したのに、もっと最悪の事態になった。
父が詐欺まがいのことをしていたからって、母と一緒に逮捕されて、レーラはひとりぼっちになってしまった。
何が間違っていたのだろう。
レーラはただ、親のいうことを聞いていい子にしていただけなのに。
「レーラ? 何か心配事? 愛する妻を困らせるものはみーんな僕が排除してあげるから、なんでも言って」
困らせているのはお前だと心の中で毒づくが、口にはしない。今はこの人に逆らっては不利になる。味方になってくれる人と会わないと。味方でなくても、酷い目に遭っているんだと誰かに伝えられればきっと助けてもらえる。
だってこんなの異常だもの。何も悪いことしてないのに閉じ込められるなんて、許されることじゃない。
「……父さんと、母さんに会いたいの。ねえ、今二人はどうしているの? 憲兵に捕まったっていっても、そんな悪いことしたわけじゃないよね? お金を返せなくなったのだって、わざとじゃないんだし……」
「レーラのご両親はもう裁判で有罪になって収監されているよ。方々から詐欺で訴えられて全部有罪になったから、もし釈放されても町からは永久追放だよ。残念だね。ご両親には二度と会えないけど、二人の分までレーラを愛して大切にするからね、心配要らないよ」
「……は? もう、会えない?」
姉を追いかけて行った先の村で、追いかけてきた憲兵に両親は捕まった。
帰郷してから一度レーラの軍警察で事情を説明されたが、難しくてどういう罪なのかよく分からなかった。
気付けば、レーラはいつの間にか夫ということになっていたこの男に引き渡され、この家に連れて来られて以来、ほとんど外に出られなくなっている。
「そう。もうレーラには僕しかいないんだよ。町のみんなは君のこと嫌ってすごく悪く言うし、僕の両親も本当は君との結婚は反対だったんだ。浮気して他の男と関係をもっていたようなあばずれと結婚するなら縁を切るって言われたんだけどね。反対するなら店を潰してお金に換えて町を出るって言ったらしぶしぶ了承してくれたんだよ。だから君の味方はもこの町にはもう僕しかいないの」
「そ、そ、んな、だって、母さんは……」
パサリ、と紙束がレーラの前に放り投げられる。見るように促されて手に取ると、両親の名前があって、罪状がどうとか書かれているけどよくわからない。するとジェイさんがひとつひとつ内容を説明し始めた。
「これはお義父さんがどんな詐欺を働いたかって内容……。それでこれが有罪になってどんな懲罰を受けるかっていう記述ね。お義母さんも同じ。首謀者の分、お義父さんのほうが罪が重いかな? それでホラ……強制労働所に送られるって書いてあるでしょ?」
その年数がこれ、と指示されて呼吸が止まりそうになる。向こう十年は強制労働所から出ることは許されない。その後も町には戻れないので、実質両親とは二度と会えないのだ。
だから両親は、どんなに今レーラが困っていても、助けに来てくれることは、絶対にないのだと理解させられてしまった。
「……もう……会えない」
「そうだね、もう会えないね。家族に会えないのは寂しいよね。でも大丈夫だよ。僕がレーラの新しい家族だもの。これから子どもを沢山作って、大家族なれば寂しくないよ。男の子も女の子もどっちもレーラによく似た可愛い子だといいなあ。ねえ、レーラは初めての子はどっちがいい? やっぱり女の子かな? 育てやすいっていうしね」
孤独。寂しい。誰も助けには来てくれない。もうこの人しかレーラを守ってくれない。
そうなのかな。そうなんだろうな。町の女衆にレーラは嫌われていたし、女の子とは揉めてばかりで友達なんてひとりもいない。男の人はチヤホヤしてくれたけど、最後、いろんな人から尻軽って罵られたから多分助けてくれないだろうな。
「……ジェイさんは、わたしを幸せにしてくれるの?」
「もちろんだよ。僕はレーラにお金の苦労なんてかけないし、可愛い服もたくさん買ってあげる。僕、料理も得意だからレーラに美味しいものたっくさん作って食べさせてあげる。レーラは何もしなくていいんだ。僕のそばにいてくれればそれで。だって僕はレーラを心から愛しているからね。君がいてくれるだけで世界一幸せなんだ」
愛している。好き。可愛い。
そんな言葉を何度も繰り返しながら、男はレーラの肌を撫でていく。
輪郭を確かめるように念入りに何度も何度も、その長い指でレーラをなぞる。
愛されない女は価値がない。そう言った母さんはもういない。じゃあわたしの価値はどこにあるの? 誰が決めてくれるの?
「……わたしのこと、愛してるの?」
「愛しているよ。だって僕は君を一生涯愛するって神様に誓ったからね。愛しているレーラ。愛してる愛してる愛しているよ」
ゆっくりとベッドに寝かされる。覆いかぶさってくる男の顔は相変わらず何を考えているか分からなくて気持ちが悪い。でも愛してくれて、レーラを守ってくれるなら、我慢できるかもしれない。あのどろりとした目を見ないようにすれば、この行為もそれほど嫌じゃない。
……じゃあ、いっか。
力を抜いて男を受け入れる。どうしたらいいか教えてくれる両親はもういない。だから守ってくれる人を今は頼る。だってそうするしかないじゃない?
***
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