第97話 side:ジロー
「…………は?」
ディアさんの口から発せられた言葉の意味が理解できなくて、俺は間抜けな声しか出なかった。
「ええと、クラトさんて二人兄弟ですよね?そのお兄さんですよね?だったらその方生きてますから、ジローさんが殺したっていうのは勘違いだと思うんですけど……」
「はっ?……はああ?!いや、いやいやいや、なんでディアさんがハクトのこと知ってんだ?!だって俺はアイツの葬式を…………え?ディアさんはハクトに会ったのか?クラトも知っているんだよな?」
「あ、いえ、私が知っているのはほとんどクラトさんから聞いた話なんです。クラトさんからジローさんへ音信不通だったのは、お兄さんを半殺しにして一時期収監されたりしていたせいだと思います。とにかく大変だったんですよ」
俺はもう口をパクパクと開け閉めするだけで、もう何も言葉が出てこなかった。
茫然自失になっていると、ディアさんが慌ててその経緯を説明してくれた。
それもまた驚くべき内容で、俺はもう今日だけで一生分驚いた気がした。
ディアさんが教えてくれた話は、まずあのお坊ちゃんが町から出奔したことから始まる。
母親が自死して自暴自棄になったラウが、何もかも放り出し突然町を飛び出して行った。恐らくラウは母親を見捨てた父に復讐するつもりなのではと考えたクラトは、ラウを連れ戻すためにディアさんを町に残しラウの後を追いかけて行ってしまったそうだ。
ラウの父親が住む港町まで来てようやくクラトはラウを捕まえることができたが、ラウはどうしても父親と話をつけないと気が済まないと言い張るので、そのまま町に連れ帰るわけにもいかず、暴力を振るわない約束をさせたうえで、クラトはラウに付き添って父親の元へ向かった。
そこで『ラウの父親』だと紹介された男が、なんとクラトの兄のハクトだった。
容貌もだいぶ変わっていて、クラトはすぐには気付かなかったのだが、相手がクラトの顔を見た瞬間、叫び声をあげて逃げ出そうとしたので、その時点でクラトも記憶にある兄と目の前の男の特徴が重なってようやく気が付いた。
ずっと行方不明だった兄がラウの父だった事実にクラトは混乱したが、そもそも兄とは名前も違うしラウから聞いていた父親の経歴とも違っていた。
ハクトは人違いだと言って認めようとしなかったが、嘘を言い連ねる兄にクラトが切れて、つい手が出てしまったのをきっかけに、殴り合いに発展してしまった。
クラトももちろん随分なけがを負わされたが、それよりもハクトのほうが重症で、騒ぎを聞きつけた人たちから憲兵を呼ばれる騒ぎになり、先に手を出したクラトは拘束されてしまい、傷害で投獄されてしまった。
だがクラトの証言によりハクトは軍警察に取り調べを受けることになり、最終的に、他人の名前と身分を騙っていた事実が証明されてしまった。
ハクトは死んでなどいなかった。ラウの父親の身分を乗っ取って、全くの他人に成りすまして長年暮らしていたのだ。
……なんてこった。
あの町で俺はアイツとすれ違っていたってことじゃねえか…………。
「じゃ……じゃあ……あのお坊ちゃんはハクトの子だったのか?嘘だろ……全然似てねえから……俺……」
「あ、それが違うみたいなんです。入れ替わったと思われる時期と、ラウの年齢が合わないので、取り調べで問い詰めたら、ラウが赤ん坊の頃にお義母さんと出会って……その……不倫関係にあったようで、だからラウは自分の実子ではないと証言しています。
だから、身分乗っ取りの際にお義母さんと共謀して夫を殺したんじゃないかと新たな嫌疑をかけられていて、今も調べが終わってないんです。
いかんせん二十年くらい前の話で、当時のことを知っている人を探すのも大変らしくて、詐欺と身分詐称と合わせても取り調べが長引きそうだと教えてもらいました」
元々ラウの母親もあの町の出身ではなく、ラウが小さい頃に移住してきて、夫が卸業で扱う品の小売店を母親と息子の共同名義で開店させた。
経歴や周囲の証言をたどっていくと、どうやらその移住前に本物の夫と入れ替わったようだということはハッキリしているらしい。
本物の夫と付き合いのあった人や取引先と顔を合わせないように、取引も中止し移住をしてしまったため、結局今の今まで誰にとがめられることもなく、入れ替わりは成功してしまった。
よく考えてみれば、俺はあの時ハクトの遺体を直接見ていない。ハクトが使っていた偽の名前で出された葬式を見かけただけだ。
「マジの話なのか…………俺は今までアイツを殺しちまったと思っていたのに……。いや、俺のことよりも、クラトは大丈夫なのか?アイツ、兄貴のことを尊敬してたし、自分の身内が罪を犯したって変に責任を感じてそうだが……」
「実はそうなんです。釈放されてようやく戻ってきたクラトさんは『ラウに申し訳ない』ってものすごく落ち込んでいて、なんていうか、廃人みたいになっちゃってて……」
ディアさんが言うには、ずっと音信不通だったクラトがようやく帰ってきたと思ったら、会話もまともにできないくらいに病んだ状態になっていたそうだ。
クラトが拘留中にも次々と兄の悪事が明るみになって、それだけでも真面目なクラトには許しがたい事実ばかりだったのに、挙句ラウの本当の父親も兄が手をかけたのかもしれないと知らされ、打ちのめされてしまったらしい。
自分の兄の不始末とはいえ、ラウに申し訳が立たない、死んで詫びるなどと言いだして、本当に死にかねない様子だったので、馬鹿な真似をしないようラウがクラトを縛りあげて無理やり町に連れ帰ってきたそうだ。
「あのしっかりしたクラトさんがそんな状態になってしまっていたんで、とても驚いたんですが、もっと驚いたのは、そんなクラトさんを見てあのラウが急に真人間になったことですね。
町に帰ってきてからのラウは、クラトさんのお世話をしつつ、昼も夜もなくとにかく必死に働いて、貯めたお金で未払い分を全部返還して、迷惑をかけた人たちに謝罪して回ったんですよ。その努力の甲斐あって、取引先とも関係を修復できて、廃業した店を再開することができたんです」
一度は潰れた店だったが、規模を小さくして同じ場所で新しく開店したそうだ。
あの尻を出してサカっていた馬鹿息子が、本当に改心して人生をやり直している。
この二年間の間に、ディアさんも馬鹿息子もどんどん成長して、未来を切り開いていた。
俺はこの二年、何をやってたんだ…………なんもしてねえ…………。
ひっそりと落ち込む俺にディアさんは気付かないで話を続けた。
「ラウの変わりように皆ビックリしていたんですけど、本人曰く、今まで散々クラトさんに支えてもらったんだから、今度は自分が恩返しする番だから、しっかりしないとって思った結果だそうです」
一時期は廃人のようになっていたクラトも、必死に働くラウの姿を見て、自分だけごく潰しでいるわけにいかないと、店を手伝ったりしているうちに鬱状態から脱したようで、今では店の従業員として働いているそうだ。
「クラトの奴、そんなことになってんなら余計に手紙で知らせろってんだ。あ……そういやあクラトも村に一緒に来てんのか?」
「はい、クラトさんは正式に町へ移住することを決めたので、ここの家を片づける目的もあってみんなで一緒に来たんです。
クラトさん、過去のことをジローさんから改めて聞かせてほしいって言ってました。お兄さんの言葉を鵜呑みにして、一方的に悪者扱いしてしまったことを謝りたいそうです」
「クラトが…………」
クラトにそんなことを言われる日が来るとは思ってもみなかった。
クラトもしょせんこの村の人間なのだから、どうせアイツも俺の話など信じやしないと思って、真実を分かってもらうことなど諦めていた。
「っ……そうかァ。俺、ハクトを殺してなかったんだから、クラトに過去のことを話してもいいんだよな…………」
俺が自暴自棄になってクズ同然の生活をしてきた過去は変わらないが、ハクトを殺していなかったという事実を知って、ずっとのしかかっていた重荷が解けたようで急に心が軽くなった。
「ジローさんがずっと気に掛かっていたことはそのことだったんですね。…………じゃあジローさんが罪人じゃないのなら、私があなたに関わってもいいんですよね?」
ハクトの話が衝撃的すぎて、正直ディアさんの申し出のことが頭から飛んでいた。
いきなり話を戻されて、頭が回らないまま返事を返す。
「あ、あー……いや、ハクトのことは……そうだが…………いや、あのな、それだけが理由じゃあねえんだよ。俺はどうせもう汚れた手なんだからって、生きるために汚い仕事もしてきたし、こんな歳になるまでろくでもないことばかりして生きてきたんだよ。
金もねえ、地位も名誉もねえオッサンだ。人生やり直すとかいう歳でもねえ。もう無理なんだよ。こんな俺じゃあ、ディアさんを幸せにしてやれないんだよ……」
ハクトのことを抜きにしても、こんな将来性のかけらもない俺がディアさんの人生を食いつぶすことはできない。彼女はもっとちゃんと幸せにしてくれるまともな男と人生をともにすべきなんだ。
俺の言葉を聞いたディアさんは、以前のように取り乱すこともなく、そっと俺の傍らに膝をついて座ってきた。
そして俺の手を取って両手でぎゅっと握った。
「……私がいつあなたに、『私を幸せにしてほしい』と言いましたか?私はあなたに、自分を幸せにしてほしくてそばに居たいといっているわけじゃないんです」
「?じゃあ……ディアさんは幸せになりたくないのかよ」
「なりたいですよ。でも私は誰かに自分の幸せを託そうとは思わないんです。幸せって、誰かに決められて与えられるものじゃないですよね。
私はあなたと過ごす時間が人生で一番幸せでした。あなたと食べる食事が一番美味しいと感じました。冬の間、あなたと色々なことをして、一緒に笑いあっている時、楽しくて楽しくて、ああ、幸せだなあって心の底から思ったんですよ。
私の幸せは、あなたの隣にあるんです。
ねえジローさん……きっと大切にしますから、あなたの人生を私にくれませんか?私が必ずあなたをしあわせにすると誓います。だから……お願いです。私と一緒になってください」
これ以上ないくらい情熱的な言葉を言って、ディアさんは俺の手を引き寄せ、大切そうに頬ずりをした。
……やめろ。ディアさんの綺麗な頬が汚れちまう。
たくさん汚いものを掴んできた手だ。
そんな宝物みたいに大切そうにしてもらえるモンじゃないんだ。
そんな資格ないんだ。
ダメだ。俺は断るべきなんだ。
この子を解放してやるのが正しいことなんだ。
「……っでも、好きな女にここまで言われて断れる男がいるかよ……」
断る言葉をいくつも頭の中で考えたが、俺の口から出てきたのはそんな台詞だった。
俺の言葉を聞いて、嬉しそうに微笑むディアさんは女神のように綺麗で、ああ、俺は絶対この子に敵わないなと思った。
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