第94話 side:ジロー





「……葬式?」


 屋敷の門には、その家から死者が出たことを表す黒いリボンが巻かれていて、その横にハクトがこの町で偽名として使っていた名が書かれていた。


 ハクトが死んだ?嘘だろ?

 まさかと思うが訪れる弔問客に紛れて人々の話を盗み聞きする。


『突然暴漢に襲われて』


『医者を呼んだが間に合わず亡くなった』


 聞こえてきた話を理解して、俺は愕然とした。

 暴漢って……俺のことだよな……。


 嘘だと思いたかった。

 致命傷になるほど深く刺した覚えはない。あんな程度で死ぬなんて……。


 でも、もしあの時、腿の太い血管を刺していたなら……。


 血の気が引いて立ち尽くす俺の横を、墓地へ向かうため棺が運ばれていく。


 棺に縋り付いて泣く女はハクトの愛人だろうか。ハクトの偽名を叫びながら墓地へと向かう一行を茫然と見送る。


 (……俺が殺したのか)


 殺してやりたいくらい憎んではいたが、俺はアイツに自分のしたことを思い知らせて後悔させてやりたかっただけだ。本当に殺すつもりなんてなかった。だがいくらわざとではないと自分に言い訳したところで意味はない。アイツが死んだ事実は変わらないのだから。



 そして俺はすぐに町から逃げ出した。


 昨日の用心棒には顔を見られている。ただの怪我ならハクトも黙っているだろうと考えていたが、死んだとなると訴えがなくとも自警団が動き出すかもしれない。


 捕まったって構わねえと思ってここまで来たのに、いざとなると俺は逃げ出すのかと自分が情けなくなった。




 町を出てしまえば自警団は追ってこない。軍警察に訴え出るかもしれないが、偽名で暮らしていたハクトは身元不詳だから訴えが受理されることはない。だから俺が捕まる可能性はほとんどないが、それでも自分が罪人になったという事実は消えない。


 誰にも言わなければ誰にも責められることもない罪だとしても、業を背負ってしまった。


 自分はもう、まともな人生は送れないなと思いながら、それからは生きる目的も見失ってほとんど浮浪者のような生活をしていた。




 各地を放浪して過ごしていたが、ふと故郷に残したままになっている母親のことを思い出すようになった。

 母のことも、故郷と一緒に捨ててやるつもりでいたので、手紙のひとつも出したことはない。


 夫も子どもも出て行ってしまったあの家で、いまだに一人で暮らしているのだろうか。



 俺の生死すら分からないで、母はどんな気持ちでいるだろうかと考えるようになって、せめて生きていることだけでも知らせに、一度顔を出すかなと思うようになった。

 二度と帰らないと思っていた故郷の村だったが、やっぱりもう一度母に村を出ないかと誘ってみようと思い、帰郷する決心がついた。




 久方ぶりの故郷の村は、記憶にあるよりも荒んでいた。


 村が管理する橋や道の補修が行き届いていないし、村に来るまで誰ともすれ違わなかった。以前はもっと人や物が頻繁に行き来していた道なだけに、違和感を覚えた。


 村の端にある我が家に向かうと、一目でおかしいことに気が付いた。


 家の周囲は雑草が茂り随分と荒れていた。

 母はいつも、いつか父が帰ってきた時に気持ちよく迎えてあげたいからと言って家の周囲を綺麗に保つことを心掛けていた。

 こんなに荒れた状態は見たことがないので、母になにかあったのかと、急いで鍵を開けて家の中に入るが、部屋の中はうっすらほこりが積もり、人の出入りがないのは明白だった。


 ……母はどこに行ったんだ?


 しばらく家の中で逡巡していたが、腹をくくって俺は町役場に行くことにした。

 だが町役場だった建屋は半壊状態で誰もそこには居なかった。


 いよいよ焦った俺は、村長の自宅を訪ねてみると、そこにはちゃんと村長が住んでいた。ほっとしたのもつかの間、村長は俺の顔を見るなり拳で殴り飛ばしてきた。


 そして、『お前の母親は去年亡くなったぞ』と衝撃的な言葉を俺に告げた。


 亡くなる少し前から寝込みがちになっていて、その年の作付けもできない状態だったらしい。面倒を見てくれる人もいない母を心配して時々村長が様子を見に行っていたのだが、ある日訪ねて行ったら畑で倒れてなくなっているのを発見した。


 唯一の身内である俺は行方が知れないので、代わりに村長が弔いから埋葬までしてくれたと聞かされ、俺はもう言葉もでなかった。


「戦地でなにかあったらしいことは聞いている。お前が村で虐げられていたのも知っているから、帰ってこないのも仕方がないとは思うが、でも母親に手紙くらいは送ったってよかっただろう」


 村は今、若い奴らがほとんど出て行ってしまって復興する見込みもないから、このままだと廃村になることなどを村長は俺に話していたが、ほとんど耳に入ってこなかった。



 俺は村長に母を弔ってくれた礼を言い、要らんと言われたが葬儀代としていくばくかの金を無理やり置いて村長の家を出た。


 母の墓の場所を聞いたので、そちらに向かう。


 村人の多くが埋葬される辺りではなく、村の外れに母の墓はあった。村長は何も言わなかったが、多分村の年寄りどもが余所者だった母を村の墓地に埋葬するなとでも言ったのだろう。死んでまでも差別されるようなこの村に、どうして母は残り続けたのかと思うともう虚しさしか湧いてこない。


 母の墓を前にしても、言うべき言葉が見つからず、いたたまれなくなってすぐにその場を離れた。



 母が居ないのなら、わざわざ村に来た意味もなかったな……。

 もうここに居る意味もない。

 空き家になった家のことや、墓の管理など考えるべきことはあったのだが、ここに居るのが辛くて、すぐにでもこの村から離れたかった。



 だが、ふと懐かしい場所を思い出して足を止めた。


 墓のあった場所は、俺が昔いじめられていた頃、村に居られなくて逃げ場所にしていた湖の近くだった。


 あの頃も毎日が辛かったが、光る不思議な湖をぼんやり眺めていると心が癒された。あそこだけがこの地獄みたいな村で唯一俺の居場所だった。


 今度こそ、もう二度とこの村には戻らないだろうから、最後にあの湖の光景だけ見ておきたいと思った俺は来た道を逸れ、湖へ向かう小道へと足を薦めた。


 見納めだなんて自分に言い訳していたが、この時俺はきっと何かに慰められたかったのだ。小さい頃あの湖だけが俺の居場所で救いだった。

 どうしようもないやるせ無さをあの場所に行けば晴らしてもらえるんじゃないかと、そんな都合のいい期待をしていた。






 久しぶりに訪れた湖は、記憶にあるような光景ではなかった。


 目の前にある湖は、どこにでもあるような普通の湖で、時折木々の隙間から光が差し込むだけで、別段変わったところのない何の面白みもない場所だった。


 思っていたのと違ったことに俺はがっかりした。


 何度見ても、記憶にあるような美しさは全くなく、ただのつまらない湖だ。



 ああ、ガキの頃はこんなところでも神々しく見えていたんだな……。


 ガキの頃に感動するほど美味かった菓子とかでも、大人になって食うと『あんまし美味くねえな』とがっかりするアレみたいなものだ。

 ただ木漏れ日が差し込むだけの光景だったが、どこにも居場所がなかった俺にとっては、ここが特別で、なにより美しくて尊い場所に見えていたんだ。


 持て余したひとりぼっちの時間をつぶすために、精霊がいるかもしれないなどと妄想して、神様とかが本当に居たら、俺をここから助けてくれんのかなあと、居もしないものに祈ってみたりしていた。


 友達なんて一人もいない孤独で弱いあの頃の俺は、現実逃避をして自分を慰めていたんだ。






 そう思った瞬間、涙が止まらなくなった。


 俺にとって唯一、いい思い出だと思っていた記憶すら、ただの幻想だった。


 

 親友との友情も、全て嘘で作られた幻だった。

 村の奴らと上手くやれて受け入れられるようになったと思っていたのも、俺の都合のいい思い込みだった。


 俺が努力して築きあげて得たと思っていたもの全てが、本当は存在しないものだったのだと、今改めて気付かされた。


 家族もいない。友人もいない。もう俺には大切なものなんてなにひとつ残っていなかった。




 でもこれは全て自業自得だ。

 俺がもっと頭が良くて物事を正しく見られていればこんな事にはならなかった。

 嘘に踊らされ、己の境遇を呪って、恨んで憎んで、結局自分で全部ぶち壊した結果だ。



 なんて馬鹿で愚か者なんだと自分で自分に呆れる。


 でもきっと、人生をやり直せたとしても、俺はまた同じことをするに違いない。

 こんなことになってもまだ、俺は母親のことが許せていないし、ハクトに対してもされたことの恨みを忘れるなんてできない。


 そういう醜い人間なんだと改めて突き付けられたような気がして、俺は涙が止まらなくて、誰もいない湖のほとりでひたすら泣いた。



 もうこの先、家族を持つことも大切な友人を作ることもないだろう。家族を見捨て元親友を殺した俺が、人並みの幸せを得るなんてことはきっと許されない。



 そう思ってずっと、家も持たず友人も作らず、流れ者としてフラフラと生きてきた。

 これからも、死ぬまでずっとそうなんだと思っていた。





 ディアさんに会うまでは。



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