第93話 side:ジロー
ガキの頃、執拗に追い回されて嫌がらせを受けていたのは、ガキ大将だったハクトがやらせていたのだ。
助けてくれたと思っていたのも、恩を売って俺を自分になんでも従う子分にするためだった。
実際俺はハクトの目論見通り、孤立無援の自分を助けてくれた恩人だからとアイツの言うことに従ってきた。親友だと言われ、利用されていることにも気づかず浮かれて何でも許してしまっていた。
「ふ、ざけんな……!俺がどんな思いをしたと……!このクズ野郎!だったらお前が死ねよ!ぶっ殺してやる!」
そう怒鳴りながら俺はハクトにつかみかかった。もつれるように地面に倒れこみ、ハクトと揉み合いになる。
するとハクトが隠し持っていた小刀を俺に向かって突き出してきた。刃先は俺の服をかすめ、空振りしたハクトの腕をつかんで力ずくで小刀を奪い取った。
ハクトが奪い返そうと俺の手をつかむ。その手を振り払おうと腕を引いた時、刃先がハクトの頬をかすめ、血がパッと飛び散った。
「ぎゃああああ!」
ハクトが大声で叫んだので、一瞬深く切れてしまったのかと思ったが、刃先がかすめた程度だ。そんなに叫ぶほどの怪我では……といぶかしく感じていると、目が合ったハクトがニヤッと笑った。
その意味を理解するより前に、俺は後ろから仲間たちに掴まれ引き倒された。
「ジロー!なんてことしてんだ!」
「刃物を放せ!」
「誰か縛るもん持って来い!」
まるで俺が発狂してハクトを殺そうとしたかのように言われ、正当防衛だと言おうとしたが、ハクトが皆に抑え込まれる俺を見て一瞬馬鹿にしたように笑ったのを見て、ようやくこれがアイツの筋書きだったと気が付いた。
ハクトが持っていた小刀は俺の手元にあって、アイツは頬から血を流して叫んでいる。
どっからどう見ても、俺が悪者だ。最初に切りかかってきたのがハクトだと主張したって他の奴らが俺を信じるわけがない。
最初っからケンカ腰で過去のことも暴露してきたのは、俺を逆上させて自分は被害者を装うのが目的だったのだ。
俺がこの後何を言ったとしても、ハクトの言うことのほうが皆には信用できるだろう。ハクトが嘘の証言をしたというのも、今の俺が言ったところで信じる奴がいるわけない。
何もかも、アイツの思い通りに動いてしまっていた。今までもずっと、俺はアイツのいいように使われて、手のひらで転がされて……全部、全部…………。
「……放せ!アイツだけは許せねえ……!汚え手を使いやがって……だったらもうお望みどおりぶっ殺してやる!」
俺が切れれば切れるほど思うつぼなんだろうが、怒りでそんなことを考える余裕もなかった。
結局俺は皆に縛り上げられ鍵のかかる部屋へそのまま放り込まれた。この間にもハクトは自分に都合よく話を作っているのかと思うと怒りでどうにかなりそうだった。
翌日、慌てた様子の仲間たちが俺のところにやってきて、『ハクトがいない』と言った。
どこを探しても見つからないから、また俺ともめ事になったんじゃと心配して聞きに来たらしいが、俺は昨日縛り上げられてここに閉じ込められていたのだから知るわけがない。
ハクトが出ていった理由は多分、嘘が露呈しそうになったからだろう。
宿舎で乱闘騒ぎがあったのだから、軍の上官が事情を訊きに来ていた。上官には捕虜となった時の出来事を全て報告してあるから、ハクトが嘘をついているのは知っている。
村の人間は騙せても、軍人には通用しない。分が悪いと悟ったハクトは、面倒なことになる前にさっさと逃げ出したのだ。
逃げ出したと言っても、報酬はかなりの額を受け取っているから、向こう数年は遊んで暮らせる。村へは、ほとぼりが冷めた頃に帰ればいい。
俺が真実を訴えたとしても、村ではハクトの言葉のほうが真実になる。俺は村でそういう扱いで、そういう立場だからだ。
それをアイツも分かっているから、この場だけをやり過ごしてしまえばどうとでもなると思っているんだ。
……このまま、アイツの思う通りになんてさせるかよ。
必ず捕まえて、俺と同じ目に遭わせてやる。
そう決意した俺は、世話になった上官と軍人の数人にだけ事情を話し、すぐにここを出て行くと告げた。上官は無駄に拷問された俺にひどく同情してくれていたので、自分の署名の入った紹介状を書いてくれて、職に困ったらいつでも頼ってきてくれと言ってくれた。
怪我が治りきっていない俺の体を心配してくれて、辻馬車も手配してくれたので、翌日には俺はこの宿舎を出発することができた。
こうして俺は逃げ出したハクトをすぐに追うことができたので、捕まえるのは難しくないと思っていたのだが…………俺はこの後何年も各地を転々としハクトの行方を捜すはめになるとは、この時は予想もしていなかった。
宿舎から近い町を全て回って、アイツの痕跡を探したのだが、どこにも手がかりは見つけられなかった。
上官からもらった紹介状があったから、町の自警団にも聞き込みができたので、見つけられないはずがないと思っていたのに、全く手がかりがつかめなかった。
今にして思うと、多分ハクトには匿ってくれる協力者がいたのだ。そうでなければ、目立つよそ者が全くどこの町にも痕跡を残さないのは不可能だ。
多分、協力者は女だ。ハクトは天才的に女を口説くのが上手かった。すぐに女をひっかけて嘘で丸め込んで身を隠したのだろう。そうでなければ身分札も持たないアイツが町で隠れられるわけがない。
そう当たりをつけ、娼館や立ちんぼうの娼婦に目星をつけて捜索を続けていると、俺の勘は当たっていたようで、ようやくアイツの足跡が見えてきた。
娼婦の情夫だった時期もあるようだが、それは最初の頃だけで、その後は堂々と偽名を使い出し、投資家を名乗り金持ちの女をひっかけて各地を転々としていた。
ようやく居場所をつかんだ時、ハクトは女のヒモになっていて、与えられた屋敷で悠々自適に暮らしていた。
俺はワクワクしながら屋敷から一人で出てきたアイツの前に立ち塞がった。
ハクトはまさか俺がこんなにもしつこく自分を探して現れるとは思っていなかったようで、俺の顔を見た時幽霊にでも出会ったかのように驚いて言葉を失っていた。
「同じ目に遭わせてやるよ」
挨拶も無しに、一番言いたかった言葉をかけると、アイツは一目散に逃げだした。
執念深く追いかけていた俺に殺されるとでも思ったのだろうか。とにかく俺から逃げることしか考えていないようでハクトは必死に走って逃げようとしたが、アイツは随分と自堕落な生活をしていたようで、昔と違い力の差は歴然ですぐに捕まえられた。
ひとまず二、三発殴っておとなしくさせてから、俺はハクトの上に乗り、小刀を取り出して見せつけるように鞘から刀身を引き抜いた。
「俺とおんなじ、女ァ抱けない体にしてやっからさァ。だーいじょうぶ、殺しゃあしねえよ」
この時の俺は、興奮して笑うのを抑えられなかった。ゲラゲラ笑う俺を見てハクトは蒼白な顔でガタガタ震えていた。
ハクトは『ヒイィ』と情けない叫び声を上げながら死に物狂いで抵抗してきた。それを抑え込みながら刀を振り下ろす。
「ぎゃああ!」
タマを切り落としてやろうとしたが、ハクトが身をよじって暴れたので刃は太ももに突き刺さった。
「チッ」
刃を引き抜いてもう一度刺そうと刃を振り上げた瞬間、俺は横から誰かに蹴り飛ばされた。
一回転してその場から距離を取り体勢を立て直すと、屈強な男がハクトを助け起こしていた。ハクトがその男に何か指示を出していたから、ハクトの用心棒のようだ。相手は警笛を鳴らして得物を手にしたので、分が悪いと感じた俺は一旦引くことにした。
邪魔が入って目的は達成できなかったが、ひとまずはこれでいい。
今回、俺が接触してきたことで警戒をさらに強めただろうから再び近づくのは難しくなりそうだが、あれだけ俺に怯えているのが分かっただけでもかなり溜飲が下がった。
それに、みっともなく泡を食って逃げ出したハクトの姿を見て、あれだけ滾っていた怒りが少し冷めてしまった。
俺をあんな目に遭わせておいて、アイツがそんなことをすっかり忘れて人生を謳歌していたらと思うとずっと腹が煮えて仕方がなかったが、ハクトはずっと俺の影におびえて逃げ回っていたのかもしれない。
そう思うとなんだか怒りよりも呆れのほうが大きくなってきた。
アイツに復讐できるなら、罪人になっても構わないとすら思っていたのに、よく考えるとあんな奴のために投獄されるのもばかばかしい気がしてきた。
だからといってこのまま引き下がるのも癪だ。
まあ、しばらく嫌な思いをさせてやって、最後言いたいこと全部アイツにぶつけてそれで終わりにするか……。
刃で刺してやったが、この程度の怪我では、身分も詐称しているハクトはどこにも訴え出ないだろうと考えていた俺は、ハクトとの接触を試みるため、アイツの屋敷の周囲に張り込むつもりで再び訪れたのだが……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます