第28話
もんもんとした日々を過ごしていたある日。
私はいつものように仕事を終え、家に帰ろうとして、役場の玄関を出た。
そういえば今日はラウが仕事部屋に居なかったなと思ったが、仲良くなったご老人のお宅にでも行っているのだろうと思い気にも留めなかった。
今日はジローさんが夕食当番だけど、また昼寝しているかもしれないな……馬に飼葉はちゃんとあげたかしらと考えながら、家に向かって歩き出したところ、急に後ろから腕をつかまれ、村役場の裏手にぐいっと引き込まれた。
「きゃあ!」
「待て、俺だよ。そんな暴漢に襲われたみたいな声出すなよ……」
私の腕をつかんでいるのはラウだった。振り払おうとしてもビクともしない。
「ちょっとなんなの……?やめて、離してよ」
「落ち着けよ、話がしたいだけだって。なあ、いつまでもこうしていてもしょうがないだろ。ちゃんと話す時間をくれよ。
村の人たちからも俺とちゃんと話をしてみろって言われているじゃないか。俺もなにも話をしないままじゃいつまでたっても帰れないし……意地を張ってないでお前も俺に向き合ってくれよ。別に俺のしたことを許せなくったっていいんだ。ただあの後色々あって……俺がここに来たのもお前が思っているような理由じゃないんだって」
ラウは勝手にベラベラと喋りだした。町でなにがあったとしても、故郷を捨てた私には関係が無い。
「向き合う?話をする?…………私と話し合いたいと思うんだったら、結婚式より前にいくらでもその機会があったわよね?でもラウはそれをせず、挙句あんな最低なやり方で私との結婚を潰したのに、今更すぎるわ。もうあなたと話して分かり合える時はとっくに過ぎたのよ。あの後なにがあったのかだなんて、もう私が知ったところで何もできないしするつもりもないって言ってるじゃない。……早くこの手を放して」
「だから……それは悪かった。お前は俺になにも言わないから、甘えていたんだ。
ディアがいなくなって、心底後悔したんだ。ずっと一緒にいるのが当たり前だったから、お前の大切さを忘れていた。結婚して、一生、一緒にいるのが当然だと思っていたから……馬鹿なことをした。本当にすまない。でも、結婚したいと俺が思うのは、昔も今もディアだけだ。それだけはわかってほしい」
自分勝手な言い分をベラベラとしゃべられて猛烈に腹が立ち、掴まれていないほうの手でラウをバシバシと何度も殴る。
でも、鍛えているラウの胸は私に殴られても全然痛くもないようで、ビクともしない。
「……分からないし分かりたくもないわ!そんな嘘を言ってきかせて私をどうしたいっていうの?!あなたそもそも、レーラと結婚したんじゃないの?子どもはどうしたのよ、もう生まれたんでしょ?早く町へ帰りなさいよ」
「ああ、レーラは……妊娠していなかった。本人は流れてしまったと言い張っているが、診察した医者が確認したから間違いない。そもそもレーラは最初から妊娠していなかったんだって。
だから結婚する話も全部白紙ってことになって、俺はディアを探すため町を出てきたんだ。なあ、ディア。本当にもう俺とはやり直せないか?お前が町へ帰るのが嫌なら、どこか違う土地で、二人だけで生活を始めたっていい。それでもダメか……?」
ラウがとんでもない事実を告げた。あまりの衝撃的な事実に混乱して言葉に詰まる。
「は……?妊娠してなかった……?え、そんなことあるの……?じゃあレーラが嘘ついていたってこと……?なんで……?
あ……いや、でも!もうそんなこと関係ないわよ!レーラとは恋人同士だったんでしょ。それで私と結婚したくなくてわざわざあんなことしてまでぶち壊したんだから、計画通りレーラと結婚すればいいじゃない。
ラウは私のことを嫌っていたくせに!私のことを、本当に嫌だ、うんざりするって言っていたの知っているんだから。今更そんな嘘ついて取り繕ったって、さすがに騙されないわ。
やり直すもなにもないわよ。私だってあなたのことなんかもう大っ嫌いよ。顔を見るだけで吐き気がする」
ぐっ、とラウが私の腕をつかむ力が強くなる。激高させるようなことを言うべき状況じゃないのはわかっていたが、あまりにも勝手なことをいうので我慢ができなくて口をついてでてしまった。
殴るか怒鳴るかくらいされるんじゃないかと思って身構えたが、意外にもラウは落ち着いた様子のまま、私を引き寄せ耳元でささやくように話しかける。
「ディア……吐き気がするくらい嫌いだっていうのなら、逆にそれだけ俺に気持ちを残しているってことだろ?それほど嫌いって思うほどに、俺に執着がまだあるってことだ。どうでもいい相手だったらなんの感情も抱かないだろ。
俺はそうだよ。お前とは一緒にいる時間が長すぎたから、男女の好き嫌いだけの気持ちじゃない、いろんな感情をお前に対して持っているし、婚約者じゃなくなっても、いきなり他人になんてなれない。
まあ、家族みたいに近い存在だったからこそ、なにを言っても許されるような気でいて、甘えていたから……こんなことになったんだよな。……大切にしなくて悪かった。
でも俺、ディアが今こんなに怒ったことが結構嬉しいんだ。ディアはさ……俺との結婚がダメになっても、ひょっとして仕事の話をするみたいに淡々と今後の対応とかどうするとか話すんじゃないかなって思っていたんだ。俺に対してなんの感情も抱かないんじゃないかと、ずっと思ってた。
俺に対して本音で喋ったことなんてなかっただろ?だからこんな風に怒るほど、俺に気持ちがあったことが意外で……少しだけ感動している。
なあ、だったらなおさら俺たち離れるべきじゃない。このまま会えなくなったら、きっとお前も後悔するはずだ」
「は?そんなこと……」
嫌いだと思うくらい、気持ちを残している?執着がある?この激しい嫌悪感はそういうことなの?確かにラウの言うことひとつひとつに腹が立って、どうでもいいと無関心にはなれない。
だったら、あとから思い返して、あの時もっと話をしておくべきだったって思う時がくる?
……いや、そんなわけない。きっとそんなことにはならない!
(後悔しない?本当に?)
頭の中で誰かが問いかけてくる。
だが頭を振ってそれを打ち消す。
ダメだ、違う。これはラウの論法なんだ。惑わされちゃいけない。ここで言い負かされたら、これまで村で私が立ち直るために頑張ってきたすべてが台無しになってしまう。
「……そんなことないっ!そんなことありえないっ!二度とラウに会いたくないから町をでたの!早く帰って!私の前から消えてよ!」
「…………嘘だ。お前はいつだって俺に本音を言わないよな。本当に、俺よりもあのオッサンのほうがいいのか?あり得ないだろ、あんな小汚いオッサンと本気で一緒になるつもりか?おかしいだろ、いい加減目を覚ませよ。
でも、あんなのに騙されるほど、追い詰められていたんだよな……なにもかも俺のせいだってわかっている。だからこそ、ちゃんとお前と話をしたいんだ。ずっと、すれ違ってきたこと、後悔しているから……今度こそ、大切にしたい」
ぐい、と腕をひかれ、ラウの胸に顔がぶつかる。
ラウの胸にすっぽりと埋まる形で抱きしめられて、反射的に押し返そうとしたが、両腕で抱き込まれて身動きがとれない。
ふと、懐かしい日向のような匂いが鼻をかすめる。
ラウの匂いだ。
そう気が付いた瞬間、条件反射のように、切ないくらい愛しく思っていた頃の記憶が蘇ってきた。
同じ目線で微笑み合えた幼いころ。
一緒に店番をして、二人で一緒に仕事を覚えた。
シロツメクサの花束をくれたあの時の嬉しさ。
いつからか私に背を向けるようになったラウを、切ない思いで見ていた。
仕事のことでも、ラウと話ができた日は、それだけで心が浮き立っていた。
ぎゅうっと胸が締め付けられる。
幼いころからずっとずっと好きだった。少しでいいから私を見て欲しいと切なく思っていたあの頃の可哀想な自分。
……でも、それは今の私じゃない。
今の私の大切な人は、ラウじゃない。
笑顔が見たいと思うのも、喜んで欲しいと思うのも、抱きしめて欲しいと思うのも、一緒に居たいと思うのも、ラウじゃない。今の私の大切な人は、この人じゃない。
ラウの匂いも体温も声も、全部が嫌だと体が拒否をする。
でもどれだけあがいてもラウの腕は緩まない。むしろもがく私を逃すまいと更に力をこめてくる。
自分でどうにもこのできない状況が、ラウを嫌だと思う気持ちが、乗り越えたと思っていたあの結婚式の日の出来事を思い起こさせる。
……気持ちが悪い……吐き気がする。
せっかく心穏やかに暮らせるようになったのに、辛い記憶も乗り越えられたと思っていたのに、あの日の記憶が追い打ちをかけるように私の脳裏に鮮明に蘇ってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます