第26話
ラウは私の剣幕に度肝を抜かれたようで、『え……』とか『いや……』とつぶやいて、真っ青になっている。
今まで私がこんな風にラウに対して言い返してくることなどなかったから、戸惑っているのだ。
思えば、今まで私は誰かに言い返したり逆らったりしたことなんてなかった。嫌われるのが怖くて、相手の言うことに反論するなど考えられなかった。
ラウはきっと、いつものように自分が強く言えば私が素直に従うと思って強気の態度に出たんだろう。
少々強引でも理論が破綻していようとも、強い語気で反論する暇を与えず押し続ければ、大抵の人はその場で反論できずに丸め込まれてしまう。
いつも強気で我の強いラウは、私に対してだけでなく、友人や従業員にもこういう態度をとる時があって、話し合う手間を面倒がって、楽な方法で自分の意見を通そうとするラウを苦々しく思うことがあった。
縛り上げられた苛立ちもあったのだろうが、最初から責める姿勢で、私の罪悪感を煽って従わせようとするラウのやり方に対してものすごく腹が立った。
だから私も今までにないくらいきつい言い方でこれでもかと嫌味を込めて言ってやった。
こんな風に言い返したことがなかったので、初めて言いたいことを言えて、ちょっとスッとした。
きっとラウは思っていた私の反応と違って、戸惑ったのもあるが、言われた内容になにひとつ言い返せないと気付いたのだろう。ここにはラウを援護してくれる人もいない。
ラウは結局なにも反論できず、さきほどまでの勢いを完全に失ってがっくりとうなだれた。
大人しくなったラウを見下ろして、もう話は終わったと思い村長さんに声をかける。
「村長さん、お騒がせしてすみませんでした。この人にはもう帰ってもらいますから。クラトさん、申し訳ないんですけど、ラウの縄をほどいてくれますか?
ラウ、急げば日が暮れる前に森を抜けられるから、今すぐ出発して。そして二度と来ないで。私は死んだことにしてくれればいいわ」
反論する隙を与えず矢継ぎ早に言い捨てると、ラウは混乱した表情で曖昧にうなずいた。
村長は完全に私にドン引きしている。
「ディアちゃんて怒るとこんなんなのね……こわぁ……うん、ワシ絶対に怒らせないようにしよう……。クラト、悪いけど、そのエロ君とやらの縄ほどいてあげて、村の出口まで送っていってやって」
「あ、ああ……はい」
クラトさんもポカンとしていたが、村長さんの言葉に頷いて、ラウの縄をほどいてやる。
ラウは立つように促され、ノロノロと玄関のほうへと向かうが、途中で足を止め、小さな声で私に問いかけてきた。
「ディア……お前、ずいぶん変わった、な。その男がお前を変えたのか?なあ……ディア、ソイツとはどういう関係なんだ?ソイツは……お前の恋人なのか?コイツと一緒に町を出たのか?いつから付き合ってんだよ……」
「はっ?ち、違うわよ!クラトさんはこの村の住民よ!」
「いや、俺じゃない。ディアさんを村に連れてきたのは……」
クラトさんが話そうとした途中で、玄関の扉が開き、ジローさんがこの場にそぐわないノリで現れた。
「こんちわー。ディアさんまだいるぅ?帰りが遅いから迎えに来たんだけどさぁ。もー今日は早く上がれるって言ってたじゃんよ。そんちょーってばウチのディアさんに仕事させすぎだろー?」
よれよれのシャツを着て、寝ぐせのついた頭のジローさんがヘラヘラ笑いながら入ってきた。
あのシャツ、もうボロボロだから捨てましょうって言ったのに……朝にはなかった寝ぐせがついているから、また昼寝していたのね…………。
「……アレが、ディアさんを村に連れてきて、今、一緒に住んでいる男だ」
クラトさんが顔をしかめながら、ジローさんを指し示す。
「ん?なになに?誰コレ?ディアさぁん俺もう腹減った~早く帰ってご飯にしようぜぇ~」
気の抜けた声で欠伸混じりで喋るジローさん。
その姿をみたラウは、あんぐりと口を開けて目を見開いている。
そして私とジローさんを指差しながら、三度見くらいして、ついに大声で叫んだ。
「……お、おっさんじゃねえか!嘘だろ?!正気かディア?!よりによってなんでこんな小汚いおっさんなんだよ!……ダメだ!目を覚ませ!お前騙されてんだよ!やっぱり一緒に町へ帰るぞ!今お前は正気じゃないんだよ!」
さっきまでシオシオにうなだれて大人しくなっていたのに、ラウはジローさんを見て突然叫びだした。
そしてクラトさんの制止を振り解いて私に掴みかかってきた。
延ばされた手が、私の腕をつかんだ時、猛烈に嫌悪感が湧き上がった。
『触られたくない!』と強く感じて、とっさに私は仕事机にあった分厚い本でラウを力いっぱい殴り飛ばしていた。
「触らないでー!」
「ぎゃ!」
本が側頭部に直撃したラウは、冗談みたいに吹っ飛んで行った。
部屋の壁にぶつかり、棚の上にあった荷物がガシャガシャガッシャーンと冗談みたいにラウの上に降り注いで追い打ちをかけた。
「あっ……ごめんなさい……つい」
荷物に埋まるラウはピクリとも動かない。完全にのびている。
「あららーこりゃ大変だ。おいアンタ、生きてるかー?あーダメだこりゃ。ディアちゃあん、エロ君、気絶しちゃってるよ」
「ええっ!どうしよう!ごめんなさい!こんなつもりじゃ……ごめんね、ラウ!」
「しょうがない、クラト、悪いけどコイツそこのソファに寝かせてやって。ディアちゃん、今日はもう日も暮れるし、彼ウチに泊めるから、ディアちゃんはもう帰りなー」
「す、すみません。明日朝早くに来ますから……ジローさん、後で説明するからとりあえず帰りましょう」
ポカン顔のジローさんを押し出して、村長の家から出る。ラウの様子もおかしかったけれど、私も突然来るはずのない人が来てだいぶ混乱していた。
気絶したラウを二人に丸投げして帰るのは後ろめたかったけれど、これ以上なにか仕出かすと余計にまずい。
帰りの道すがら、ジローさんには、何が起きたのかを説明した。
もっと驚くかと思ったけれど、ジローさんは『あーやっぱ探しにきたのかァ』と半ば予想していたかのような反応をした。
「やっぱりってどういうことですか?私が突然家出したら騒動が起きると予想していたんですか?」
「うーん、騒動は知らんけど、ディアさんが居なくなったら大問題になるだろうとは思っていたよ?まあ……ディアさんはあんまし周りが見えていなかったからな。分からないか。
遅かれ早かれディアさんを探しに誰か来るんじゃないかと予想していたけど、思ったより早かったなぁ」
「……そうだったんですか。私、正直家出したあとあちらがどうなっているかなんて全然考えていませんでした。てっきり私のことなんて誰も気に留めないかと……。勝手だって言われるかもしれないですけど、あっちを気に掛けるほどの余裕がなかったんです。さすがにいきなり居なくなるのはまずかったですかね……」
「いやー?向こうで起きたことは彼らの自業自得だろォ。ディアさん何も悪くないんだから、ほっときゃあいいのよ。まさかディアさんアレと一緒に帰るとか言わないよな?!」
「まさか。絶対帰りませんよ。ラウには明日にも村から出て行ってもらいます。彼もそのつもりでしょうし」
「うーん……素直に帰ってくれるといいけどねェ」
ジローさんが不吉な一言をつぶやいたが、聞かなかったことにした。
明日、ラウは村を出て、二度とここには来ない。私がここにいることも、誰にも言わないと誓ってもらう。あれだけのことをしたのだから、それくらい約束させたっていいだろう。
明日が終わればまた、村での穏やかな日常が戻ってくる。この時の私はそう思って疑わなかった。
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