第24話
それから私とジローさんの関係は少し変わったように思う。
ジローさんは以前のようなおどけた話し方をあまりしなくなった。
これまでジローさんは、自分のことに関しては全くと言っていいほど話題にださなかったけれど、時々昔のことをポツリとつぶやいたりするようになった。
先日も、マーゴさんに教わった煮込み料理を夕食に出した時に、『ああ、これガキの頃よく母親が作ってくれたなあ』と独り言のように言っていた。
村で暮らしていた頃のことなんて口にしたことがなかったのに、そういう事を言うから少し意外な気がした。
それから、子どもの頃のことや、母親のことなどを気まぐれに話してくれるようになった。
私はジローさんが少し心を許してくれているように思えて、彼を身近に感じるようになって、以前よりも私たちの心の距離は近くなった気がする。
クラトさんと時々顔を合わせるが、私がジローさんの家を出る気がないと分かると、考え直すように言ってきたが、『このままでいさせてください』と言うと、もうそのことには触れなくなった。
クラトさんは、家を出ろとは言ったが、ジローさんと何があったかを私に話したりはしなかった。私もクラトさんの口から聞きたくはなかったし、クラトさんも自分が話すのは卑怯だと思っているのか、あれ以降、私に向かってジローさんを悪く言うことはなかった。
村役場に来るご老人がたは、まだ私を誰かとくっつけたいようで、やんわりと色々紹介やお見合いの話を持ってくるけれど、クラトさんが『傷がいえるには時間が必要でしょう?』と若干凄みを効かせてたしなめてくれたら、最後までねばっていたマーゴさんもようやく言わないようになってくれた。それからは誰からも無理に薦められることはなくなった。
こうして、私の村での生活は穏やかさを取り戻し、変化はないけれど平和な時間が過ぎていった。
ジローさんとも少しぎこちないけれど、時々湖に出かけたり、一緒に食事を作ったりして楽しく過ごしていた。
一生このままじゃないだろうけど、続く限りはこの穏やかな生活を送れたらいいな、と漠然と思っていた。
だが私の知らないところで、波乱はゆっくりと迫ってきていたのだった。
***
村での仕事は順調で、村全体も今年は天候にも恵まれたおかげで農作物の収益はかなりよかった。
収穫期が終わり、収穫量の集計や出荷の調整、最終的に国に納める税金を計算してその書類を作成し納税が終わると、季節はもう冬が目前となり、仕事は驚くほど暇になった。
農業が主な産業のこの村は、雪が深くなる真冬は家にこもり手仕事をして、保存品を少しずつ食べて過ごすのだ。
昨日、私はジローさんと協力してコツコツと保存食を作っていた。
昨日の夜も冬ごもりの準備をしながら、雪で外出できない日はなにをする?などと、ジローさんと二人でとりとめのない話をした。
ジローさんは保存食用に色々作った燻製をつまみながら雪見酒をしたいと言う。
ディアさんはなにがしたい?と問われ、色々考えたがパッと思いつかない。
「一日家にいて、なにをしたらいいでしょうかね?そういう時間を過ごしたことがないので、思いつかないです。あっ、手間のかかる服の仕立てとかできますね」
「待て待て待て、ディアさん。冬ごもりのあいだも働くつもりかよ。働きアリじゃないんだぞ?冬ごもりの時くらいゆっくりしようぜ~。
んーじゃあディアさんは一日何もしない日ってのを経験したらいいよ。その日は飯も俺が作るしさぁ、あーんして食べさしてあげるから、一日ゴロゴロして過ごしてみなー」
「ええ?それじゃ病人ですよ」
「いいじゃないのたまには。ディアさんはもうちょっと堕落したほうがいいよ。おいちゃんが自堕落生活の楽しさを教えてしんぜよう。酒飲んで昼間っから寝るとか最高よ~」
「お酒はもう懲りたのでいいです……」
そういえば、私は子どもの頃から家のことをやりつつラウの店でも働いていたので、よっぽどの体調不良以外で休んだことがない。
だから一日なにもしないと言われてもどうしたらいいか分からなかったけれど、ジローさんと話して、そういう時間を想像してちょっとワクワクしてきた。
食べ物をつまみながらジローさんとお喋りだけしてのんびり過ごすなんて、なんて堕落した時間なんだろう。
私は冬ごもりの日を想像して、楽しい気分で村役場から村外へ続く道を歩いていた。
ジローさんと私はここ最近、以前よりも会話が増えて、笑って過ごす時間が増えた。
ジローさんはあれからクラトさんとは関わることはなく、ジローさんもあの時のことは話題に出さないでいる。
私もあえて触れることはないが、ジローさんがあんな風に思う過去とは一体なんなのだろうと時々考えることがある。
無理に聞き出すことはすまいと思っているが、いつかジローさんが私を心から信用してくれたら、話してくれる日が来るのだろうかと、少しだけ思わないでもない。
ジローさんは私をとても甘やかすが、逆に私が彼に踏み込もうとすると、スッと引いていく印象を受ける。私にべったり寄りかかられることを警戒しているのかな、と最初思っていたが、そういう感じでもない。
ずっと故郷の村にもほとんど帰らず、あちこちを転々として寄る辺なく生きてきた彼は、人と深く関わることを恐れているように思えた。
それが少し寂しく感じたが、私なんてまだ関わるようになって一年も経っていないのだから仕方がないことだ。
この冬のあいだに、色々な話をして、少しでも彼の心に近づけたらいいなと思っていた。
昨日雨が多く降った時に、家が雨漏りするので直して欲しいと村役場へ頼みに来た人がいるのだが、クラトさんは村役場に顔を出さなかった。
雨漏りなので屋根裏も心配だから早く直したいが、足が悪く自分ではどうにもできないというので困っていると言うので、私が今日直接頼みにクラトさんの家へ向かうことにした。
クラトさんの家は村の一番端にあり、その先は隣町に続く大きな道が続いている。
その村の外に繋がる道から、荷馬車が来るのが見えた。
(誰だろう?荷馬車だから行商かしら)
今日は行商が来る日ではなかったけれど、定期便のひとではないのかもしれない。
遠目に見た限り、見覚えのない荷馬車の幌だった。
受付として村役場へと向かうにしても、本来の場所は廃墟と化しているし、初めて来た人は戸惑うだろうと思った私は、こちらに向かってくる荷馬車に声をかけた。
「あのー、行商のかたですか?この村に御用ですか?」
私が声を上げると、御者台の上から男が飛び降りてきた。
フードを被った大柄な男は荷馬車を放置して私に向かってズンズンと歩いてくるので、なにか不審なものを感じた私は急いでクラトさんの家に向かって駆け出した。
なにも返事をせず迫ってくる男は明らかに行商人ではない。人を攫って闇市で売る人売りというヤツかもしれない。
恐ろしくなって、一番近い家のクラトさんに助けを求めるべきだと思い、急いで駆け出した。
私が走り出したら、男も駆け足になって後を追ってくる。やっぱりあの男は人さらいかなにかなんだと思った私は、逃れるために必死に走った。
だが女の足ではすぐに追いつかれ、腕を掴まれてしまった。
「イヤ――――ッ!!!触らないで!誰か―――!人さらいがいます――――!」
力いっぱい叫ぶと、男は驚いて私から手を引いた。
その隙にまた駆け出すと、声を聞きつけたのか、クラトさんが家から飛び出してきて、悪いほうの足をかばいながらも全力で駆けてきてくれた。
クラトさんの元へたどり着く前に男が再び私の腕を捕えたが、その次の瞬間、クラトさんが目にも留まらぬ速さで男の腕を捻りあげ、地面に引き倒した。
倒れた上から体重をかけた膝蹴りを食らわせると、男は『ぐえっ!』と悲鳴を上げておとなしくなった。クラトさんは腰にさげていたロープで素早く男を後ろ手に縛り上げる。
「クラトさん!」
クラトさんは縛り上げた男を地面に転がすと、急いで私に駆け寄ってきてくれた。
「ディアさん大丈夫か?!コイツになにかされたのか?!」
「いえっ……まだ。で、でも突然追いかけてきて、私を捕まえようとするから、ひ、人売りかと……」
怖かった。震えて上手く喋れないでいると、クラトさんが背に手を当て宥めるようにトントンと軽く叩いてくれた。
「俺が来たからもう大丈夫だ。ディアさんに手出しはさせない、安心していい。足は悪いけど、それでもこんな奴には負けないよ」
そして安心させるように背中をさすってくれた。ホッとして気が緩むとようやく震えは止まった。クラトさんは男の視界から遮るように私を背中に庇ってくれ、地面に転がされた男をきつくにらむ。
「あ、あの、私はもう大丈夫ですから、助けてくれてありがとうございます。……その人どうしますか?」
クラトさんにそう話しかけていると、いきなり地面に転がされている男が怒声をあげた。
「ディア!お前!やっぱり男と逃げていたのか!俺のこといえねーじゃねえか!この浮気者!」
名前を呼ばれ、『えっ?』と声をあげてソイツを見ると、フードが外れた顔をみて驚愕した。
「…………ラウ?!嘘でしょ、なんであなたがここに……」
怒りの表情を向けるその男は、私の元婚約者、ラウだった。
***
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