第19話



 しばらくずっと、ぼんやりしたまま光る湖を眺めていたジローさんが、ポツリとこんなことを言った。


「あのさ、ディアさんのそういう真面目に頑張ってきたこととかさ、なにもかも無駄だったとかって今思っているかもしれないけどさ、そんなことないと俺は思うけどな。案外さ、見ている人はちゃんと見ているもんなんだよ。

 ディアさんて誰も見ていないからって誤魔化したりズルしてさぼったりできない性格だろ?

 そういうのってナァ……見ている人はちゃんと見てんだよ。

 それにさ……もし人が見ていなくても……精霊や神様がどこかで見ているから、ディアさんがしてきたことは全然無駄じゃないよきっと。

 こうして湖が光るのもさぁ、精霊がディアさんを歓迎してくれていたりするんじゃねえの?ディアさんいい子だからさ、精霊とかがご褒美に綺麗なモン見せてくれてんじゃねえの?」


「いい子……なんかじゃないですよ、私。妬んだり憎んだりして……」


「人間なんだから当たり前でしょうよ。それでもディアさんはいい子だよ。汚れ切ったおいちゃんからすると、眩しくて直視できないわ~」


 ジローさんは目を細めて変な顔で私を見る。



(……精霊様や、神様がどこかで見ている、かあ……)


 精霊に感謝を捧げる収穫祭なども、若い世代ではただの行事としか思っていないが、相談役のお年寄りなどは『精霊様に感謝を』と言ってきちんと祈りを捧げている。

 私はただそれに倣い儀礼的におこなっているだけで、精霊様が本当にいるかどうかなんてあまり考えたことなどなかった。


 でもこの不思議にきらめく湖を見ていると、本当に精霊様が『ここにいるよ』と言っているように思えた。


 キラキラと、光が水の上を跳ねる。




 こんな光景をみせてもらえるのなら、私の生きてきた時間は全然無駄じゃなかったのかもしれないと思えて、胸に温かいものが広がった。









 どれくらいそうしていただろうか。気づけば日が傾き、夕日が私たちを照らしていた。


「ちょっと寒くなってきたな。暗くなる前に帰ろう、ディアさん」


「……ごめんなさい、涙でジローさんの服濡らしちゃった」


「ンンッ……全然いいってェ!女の子抱っこできるなんておいちゃん得しちゃった。ディアさんの涙でぬれたシャツとか最高だわ。これしばらく洗わないことにする」


「ヤダ、洗ってください。それよりジローさん、前にお風呂入ったのいつですか?割と臭いますよ、そういえばその服もずっと洗ってないですよね?」


「えー風呂めんどくさいんだよね~ごめんね、オッサン臭かった?」


「……服は私が明日洗うんで、絶対着替えてください」



 ハイハイ、とジローさんは適当に返事をして、私を馬に乗せた。空はオレンジ色と紫色の濃淡に染まっていて、太陽がもうすぐ山の向こうに消えていくところだった。


 湖を振り返ると、蛍の光のような淡い光がふわっと舞っていた。なんだか、励まされているような気がして、私は心の中でお礼を言う。


(……話をきいてくれて、ありがとうございました)


 そうすると、また不思議なことに光がくるくると飛び交ったので、精霊様が応えてくれたように感じた。



 収穫祭の時のように、なにか捧げものがあるわけでもないが、せめてもの御礼に、奉納舞のひとつにある感謝の姿勢をとり、目を瞑る。

 私は額に手を当て、心の中で感謝の言葉を呟いた。




 私の何が変わったわけでもない。今でもまだラウや家族を恨む気持ちは消えていない。


 でも辛い気持ちに飲まれそうなったら、今日のこの日を思い出そう。

 光が踊る湖の美しさを忘れないようにしよう。

 ジローさんからのプレゼントを受け取った時のあの気持ちを思い出せば、きっと大丈夫だ。



 今日はよく眠れそうな気がした。




 ***



 ジローさんのおかげで、宙ぶらりんだった私の気持ちがようやく座った。口先だけでなく、ちゃんとこの村で生きていこうと思い直した。


 村長さんにお願いして、村の住民票を更新する仕事をまかせてもらって、全ての住人の家を回って、一人一人に挨拶をすることにした。村に新しく住まわせてもらうことになったと丁寧に自己紹介をすると、最初村に来た時に、私を値踏みするように遠巻きに見ていた人も、笑顔をみせてくれた。


 どこに誰が住んでいるか、私は書面でしか見ていなかった。役場に訪れた人にはもちろん自己紹介と挨拶をしていたが、積極的に関わろうとはしていなかった。


 私がこれまで会ったのはほんのわずかな人たちだけで、村長さんもあえて私を紹介して回ろうとはしなかった。


 きっと村長さんは、私がここにずっと住むとは思っていなかった。そう言えば、私になぜ家を出てきたのかとか訊ねてくることもなかったし、仕事も継続的におこなうようなものは回してこなかった。

 ここに居るのは一時的なことで、きっとそのうち村を出て行くと思われていたんだと今更ながら気が付いた。


 以前、村に関わるもので重要な案件は開示してもらえないことに気付いて、まだあまり信用されていないんだな、とちょっと悲しく思ったこともあったのだが、信頼に足るだけの行動を示していなかったのは私のほうだった。



 だから、ちゃんと村人全員に挨拶をしたいと私が村長に言うと、意外そうに驚いていた。けれど、私の気持ちが変わったのが分かったのか、私の提案を歓迎してくれて、それ以降は仕事も来年、再来年を見据えたものをまかせてくれるようになった。




 村のみんなの家を回ったあとから、チラホラと村の人たちが村役場に私を訪ねてきてくれるようになった。


 今まで村長さんだけでは対応しきれなかった、村のこまごまとした相談事をしにきてくれる。解決できることばかりではないけれど、色々と一緒になって考えたり手伝ったりしているうちに、村の人たちに『村の一員』として受け入れてもらえていったように感じられるようになった。





「ディアさん、最近シカが来て畑を荒らすんだけどねえ、どうしたもんかねえ」


「この本に新しい罠の仕掛け方が載っているんですけど、試してみましょうか?山側から来るんですよね、本によると、シカにはこの音が鳴る仕掛けも割と効果があるみたいです。まずはそれをやってみましょうか」


「へえ、そりゃすごいね。そりゃ新しい本かい?村長んとこはふっるーい本しかないからな」


「この間行商の人がいらしたんで、村長さんに買ってもらったんです。どこも害獣の被害が多いって伺ったんで」


 家を一軒一軒回って住民のかたの話を聞いて、今困っていることなどを色々教えてもらえた。農業のことは素人なので、役場にある資料や本で勉強したが、あまりにも古いので、ある程度は買わせてもらうことにした。本も決して安くは無いが、長い目で見ると新しい方法を取り入れたほうが収穫量も上がり収益につながると考え、なけなしの予算から購入してもらった。


 害獣だけでなく、病害なども対処法が見つかったものなどがあり、新しい方法を取り入れることで収穫量が格段に上がると計算したので、決して高くない買い物だと思う。


 村の産業は農業がほとんどを占めている。土地は悪くないのだが、山に囲まれていて、流通の便が良くない。大きな町へもかなり距離があるので、保存のきく作物しか売りにいくことができず、村の財政は昔からカツカツだったらしい。

 そして、働き手が減って畑を放棄した家も多く、実はこの村は廃村寸前なのだという。住民の数に合わせて税も減らされているが、これ以上住民が減るのなら、ここは廃村にして、皆ほかの村に移り住むかということも考えていたという。



「だからねえ、ディアちゃんがここに住んで、子どもをたくさん生んでくれたら希望が持てるんだけどね~」


 住民のかたの相談に乗るうち、村の老人たちが毎日役場に来て集まるようになった。ご老人がたはみんなでお茶を飲みながら、色々と私に色々と話をしたり聞いたりしてくる。


 ジローさんと一緒に住んでいると言ったら、『あのちゃらんぽらんと結婚したの?!弱みでもにぎられているの?!』と心配してくれた。


 ジローさんとはそんなんじゃない、ジローさんは男のひとじゃないので、一緒にくらしていてもそういうことはないと言うと、『あーらまあ、ジローのだらしない下半身にバチが当たったのねえ~』とみんな楽しそうに話していた。


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