第7話
家から乗って来た馬車は、当たり前だが待っていてくれなかったので、仕方なく歩いて家に帰ることにした。
レーラや両親はどうしたのだろう。ラウとラウの両親はこれからどうするつもりなんだろう。レーラが妊娠している、とあの場で宣言してしまった以上、もう私とラウがこのまま何事も無かったかのように結婚するなんて無理な話だ。
家に帰ると馬車が二台停まっていて、ラウの両親も私の家に来ているのだとわかった。
ドアを開けると、父と母の媚びるような高い声が聞こえてきて、ああ、なにか話し合いの決着が付いているのだなと察した。
物音で私が帰ってきたことに気付いた父が、廊下に飛び出してくる。
「ディア!お前はこんな大変な時にどこをフラフラほっつき歩いていたんだ!早く客間へ来い、お前にも話がある」
どこって、会場にずっといたのだが、と心の中で思ったが、口答えすると殴られるので黙ったまま父の後ろについて客間へと向かう。
客間には来客用の大きいソファにラウの両親が座っていて、少し離れた小さいソファにはラウがレーラと肩を寄せ合って並んで座っていた。ラウと目が合うが、気まずそうにすぐに逸らされてしまった。
そして父が私に向かって話し始めた。
「ディア、レーラはお前に遠慮してずっといいだせなかったらしいが、以前からラウ君のことが好きだったんだそうだ。でも、ラウ君は家の都合でディアと婚約をしていたし、式の準備も進んでしまっている。ずっと気持ちを秘めて悩んでいたと言っていた。
我が家としても良い縁だと思って、ディアをラウ君の婚約者にしてしまったが、家の都合だけで好き合っていない同士を結婚させるなんてやはりすべきではなかったのかもしれない。それは父さんの過ちだ」
父は悲しげに首を振りながら、妙に芝居がかった様子で言葉を続ける。子どもができるような関係になっていたのなら、全然気持ちを秘めてなどいないだろうと思ったが、私は黙ったまま話の続きを待つ。
「結婚は、やはり愛し合う二人が誓い合ってするものだ。結婚前に大切な娘を傷物にされて、正直、もろ手を挙げて大賛成というわけにはいかないが、レーラのお腹には新しい命がいる。ここはもう、レーラとラウ君の結婚を許すしかないだろう。
ディア、お前ももともとラウ君と恋仲であったわけでもないのだから、構わないだろう?ラウ君とは縁がなかったと思って、結婚は諦めなさい」
……ああ、結局そういうことかと、既に冷え切って凍り付いていた心が、私の中で音を立てて崩れていった。私の両親は絶対レーラを優先すると思っていたが、こんな風に裏切られた私を、父は少しも慮ってくれなかった。
ラウの両親は、お義母さんはそれでいいと了承したのだろうか。お義母さんとは悪い関係ではなかったはずだ。むしろ望まれて婚約者になったのだし、店にも私は貢献し続けていた。
父のように簡単に切り捨てたりしないのではないかと、少しだけ期待を込めてお義母さんのほうを振り返る。
私と目が合うと、お義母さんはまた気まずそうに目を逸らした。
それで、分かってしまった。ラウの両親は、ラウとレーラを結婚させることを許したのだ。
お義母さんは、従業員にも私にもいつも公平に接してくれて、筋が通らないことは決してしない人だった。
だからこんな理不尽な話をそのまま受け入れるとは思っていなかった。
でもこの人は、問題解決のための方法として、うちの両親と同じようにすべての不都合を私に押し付け切り捨てることを選んだんだ。
そう気づいたこの瞬間、私はこの一連の出来事の中で最も打ちのめされた。
「……じゃあ、私は用済み、ということですか」
呟くように言うと、慌てたようにお義母さんが声をあげた。
「ディアちゃん!ラウのことは……本当にごめんなさいね、ディアちゃんに対してあまりにも不誠実だけれど、レーラさんを妊娠させておいて、男として責任をとらないわけにはいけないから……二人を結婚させるしかないの。お願い……分かって頂戴。
でもディアちゃんが用済みなんてそんなことないわ!ディアちゃんはウチの店に欠かせない大切な人なのよ!
それでね……ディアちゃんさえ良ければ、正式にウチの店で働いて欲しいの……。あっ!もちろん経営側の人間としてね、あなたに利があるように取り計らうから安心して!
……いきなりそんなことを言われても、まだ気持ちの整理がつかないでしょうから、落ち着いたらまた話し合いましょう?仕事はそれまで休んでていいから。ね?」
一瞬何を言われているのか理解できなかった。
それは、ラウとレーラが夫婦になって継いだ店で、従業員として働くということだろうか?結婚式に浮気をされて破談となった私が、元婚約者と浮気相手の妹の下で、なんの蟠りも無く働けると思っているのだろうか?
あまりにも心無い提案に、絶句していると、イライラしたように父が口を挟んでくる。
「おい、なにを黙っているんだ。せっかくあちらのご両親がお前の今後について考えてくださったんだ。お前も、本来なら将来が約束されていたのに、いきなり仕事を失うのは辛いだろうからな。
ちょうどいいじゃないか、レーラもお前を追い出すような真似はできないというし、赤ん坊が生まれれば手伝いが必要になるのだから、姉のお前がそばに居れば助かるだろう」
いい考えだといわんばかりの笑顔で父が言う。父に追従するように、母も私にいつもは見せない、媚びたような笑顔を向けてくる。
「いいわよね、ディアはやっぱり結婚とか向いてないと思うのよ。職業婦人として生きていくほうが性に合っているんじゃない?ねえ?
レーラのお腹が大きくなる前に式をあげなくちゃいけないから、急がなきゃいけないし、あなたが助けてあげなさいよ。婚礼衣装も、一度縫っているから手順がわかるし簡単でしょう?妊婦に負担をかけられないんだから、あなたができるだけ作ってあげなさい」
踏みつけられ、ぐちゃぐちゃになっていた私の婚礼衣装。
祝いの模様を刺繍するのにとても時間がかかって、寝る間を惜しんで作ったのに、一度も袖を通すことなくゴミになってしまった。
その私に、レーラの婚礼衣装を作れと言う。
本気で言っているのか?そんなことを言われて私がどう思うか分からないのだろうか?
ぐるりとこの場にいる人々をゆっくり見回すが、誰もこの提案が間違っているとは思っていないようで、特に反論の声は聞こえてこない。
……私のことを気にかける人は、ここにはいないんだ。
「……お断り、します。私には無理です。なにもかも、無理です」
それだけ言って、背を向けて部屋を出る。
後ろから父のどなる声が追いかけてきたが、ラウの両親がなだめる声が聞こえたので、そのまま私は自室に戻り、扉の前に本棚を倒して誰も入って来られないようにしてからベッドに突っ伏した。
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