十円玉の神像 作:麦茶

 銅像を作れと言われたので、十円玉を集めることにした。銅像というものは一般的に青銅を使うものだが、改めて青銅を買うほどの金がない。ひどいインフレだ。紙幣を便所紙にする時代だ。貨幣で銅像を作っても問題あるまい。ぼろぼろに錆びついた駅前でバケツを抱えて十円玉回収を呼び掛ける。十円玉を捨てよ、一万円札を手に入れよ。一家夜逃げに取り残された空き家を漁れば、札束の類は容易に見つかる。それを一枚十円で売りさばく。今や一万円札は十円の価値も無いが、一円の価値もない十円玉よりはマシだ。飛ぶように売れ、十円玉は湯船いっぱいに集まった。まだ足りない。空き家を漁って札束を探り出し、ついには子供らが遊んでいる札束を公園からちょろまかし、売りに売ってひと月で六畳一間が埋まるほど銅貨を集めた。ついでに駅舎の錆びた合板も貰ってきた。木で屋根を作り直すらしい。これも国民に労働を与えて鼓舞するためだ。ようやく戦争に負けた気がしてくる。煽らなければ火がつかないほど、国体は疲弊してしまった。しかし十円玉はくたびれた袖口からいくらでも落ちてくる。

 とうとう銅像を組み立て始める。広い平らな石台の上に、でかでかと二つ、足跡を書く。十円玉をそれに沿って並べていく。気の遠くなる作業だ。朝日が昇れば作業場に行って十円玉を並べ、陽が落ちれば作業をそのままにして帰宅する。どうせ重たい十円玉の塊を持っていく奴などいないのだ。少しずつ銅貨を積み重ねては溶かして固め、形を整える。一つ積んでは国のため、一つ積んでは民のため。もう一つ積んで自分のため。馬鹿々々しくなって枚数を数えるのはすぐにやめた。時々雨が降った。銅貨は下から少しずつ錆びていく。いいぞ。完成した時には全部錆びついて、全体が青くなればもっと彫刻らしくなる。足が出来たら、腰回りを椀型に広げつつ、さらに高みへ積み上げていく。子供の遊びのようですらある。札束を積み上げて国会議事堂を作る子供と、銅貨を積み上げて彫像を作る俺と、どちらが国民のためだろう。戦争で使ってただでさえ足りなくなった金属を、こんなものに使って何になる。気分を良くするのは見下ろす人間だけだ。見上げる側からすれば無益な代物、いやしかしこれで持ち主と一緒に国外逃亡できなかった一万円たちが再び経済に帰り咲いたと思えば。それで国民が潤ったと思えば。そうでも思わなけりゃやってられない。

 脚立の上で頭の形を整える。足元で子供らが遊んでいるから、ひっきょう脚立はぐらぐらする。目の形がガタガタになる。眉もへこんでいる。無いよりいいさと笑う子供は、焼夷弾で焼けたのか眉がない。可哀そうだから十円玉をやるよと言ったが、オハジキにもならんと突き返された。

 かくして十円玉の銅像は完成したことになった。右に左に揺れる脚立の上で作業をしていたら役所の人間が来て、今日で完成だと言った。そう言うなら、そうなんだろう。山を越すほどの高さになったが、全体的に向かって右上がりになった顔はお世辞にも神々しいとは言えない。とはいえ右の垂れ目と左のつり目で違う顔のようにも見えて、神といえば神かもしれない。十円玉の神様か。自前の賽銭がある神というのは面白い。誰かがそう言って、足元から一枚、銅貨を引き抜いた。

 数千枚の銅貨の積み重なりによってどうにか形を保っていた神は、そのたった一枚で惜しくも神力を失ったと見え、地鳴りのような音を立てながら前のめりにのめって膝から崩れ落ちた。潰されると思って目を瞑った。衝撃が来た。しかし重さは感じない。目を開いてみれば、窪んだ眉にちょうど守られる格好になっていた。錆びた金属の青臭い匂いに紛れて、どこかでラジオが鳴っている。

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