第七章 皇帝と四人の魔女③


 ガオスは自分の手のひらを見つめた。

 そして意を決したようにぐっと握りしめた。

「覚悟は定まったか、我が孫よ……」

 ジンが心配そうにガオスの顔を覗き込む。

 ああ、と邪念を振り払ったかのごとく、ガオスは爽やかに笑んで見せた。

 ティクスが後ろから抱きしめる。

「いきなり何すんだ、ティクス……」

「一切が終わりましたら、またそのお顔を見せてください。ガオス様……。そしてこの続きを……」

 ガオスはティクスの腕をほどき、ティクスの額を指でつついた。

「いた……」

「抱きしめなくても大丈夫だ……。必ず戻って来る……」

「あなたのクリスタルに祈りを捧げている……」

 無表情な顔しか見ることのなかったエラリィがこのときそう口にして、わずかながらの微笑を見せたのを、ガオスは見逃さなかった。

 そう、エラリィは刀を振るう殺し屋だったが、心根はわりと信心深いところもあるのだ。

 ガオスは歯を見せて笑い、上空の星を振り仰いだ。


 マガラウザは両腕と両足を広げ、真正面から魔力の集合体を待ち構えた。

 そして――。

 持ちこたえなくなった結界が、ガラスの割れたような音を響かせ穴を作り、魔力を結集させた星がそこから突入してきた。

 光を体全体で受け、マガラウザは悶絶した。

「ぐうおおおおおおっ!」

 しかし、これも今生最後の罪滅ぼしか。体の隅々まで痛みが広がり、マガラウザは黒い涙を流した。

「おおおおおおっ! 蹂躙されし魔法使いの魂たちよ! 余に存分、その恨みをぶつけるがいい!」

 そして四方を囲んでいた四人の魔女と、地上にいた多くの兵士。ティクスやジン、エラリィたちはその有り様に釘付けになった。

 光の玉を半分ほどにまで減らし、その分を自らに取り込めたマガラウザが儚く塵となって消えていくのを――。

「マガラウザ……。お前は勇敢だった。今度はおれの番だ」

 マガラウザに代わって今度はガオスが魔力の塊を被った。

 ライトニングテイルの発動と同じ要領で、ガオスは鉄化の魔法を解き、ほぼ生身となった。その肉体はアークレイクリスタルという千年に一度、選ばれし者のみが授かるという魔力や筋力など、あらゆる能力に秀でた心像クリスタルを内包した体で、ガオスは魔法使いたちの悲願が球体として結集した物体を、全て体内に吸収した。それほどアークレイクリスタルの力は絶大であり、また未知数の力を秘めているのだ。

「ガオス様……」

 金髪の騎士ティクスが、目の縁に雫を溜めそう声を漏らした。

「ガオス、あなたは強い人……。とっても強い人……」

 白銀の髪に戻ったエラリィは、そう感嘆の音を漏らした。


 マガラウザが執り行った魔女狩りが、いかに己の利を守るためだったか。

 各国を服従させた帝王が魔法使いの星に飲まれていくのを、マガラウザ自身が宙に浮かぶ魔法を使ったことで、その隠蔽工作が明々白々となったことに、軍師ギルスはやはり己の主君の目に狂いはないことを確信していた。

 ギルスの魔法でダガレクスの至る場所を監視していた。ギルスの目の前に浮かぶ閲覧の窓には、しっかりとマガラウザの死に様や、城郭内の各場所の様子が映しだされていた。

 それらを確認した上で、ギルスは意を決した。

「どうやらマガラウザが死んだようです。……今こそ好機……」

 ギルスの目が光ったようだった。手を宙に掲げ、合図すると音楽隊がラッパを吹いた。


 ラッパの音色を聴いたザーレは、声を張り上げた。

「今だ! 城に突っ込むぞおおおっ!」

 二千の兵が一気になだれ込んだ。落下から避難していたダガレクスの民の群がりを無視して城門前にまで行き着く。

 東門のダーラと西門のガーロも同様に、千五百の兵に分けていた各軍を、城門前にまで進軍させた。

 ところが……。

 ザーレの予見していた通り、ダガレクスの用意していた策は、弟妹たちも目の当たりにしていた。

 西門のガーロ軍の前に立ちはだかったのは、火の魔女カリンだった。

「バカどもが攻め入ってきたか! あたしが遊んでやる!」

 羽織っていたローブを放ると、小麦色の肌に赤いビキニ姿の体を見せつけるカリンは、火の魔法を使いガーロ軍を震え上がらせた。

 手のひらから次々と炎が吹き上がる。

 意のままに操られた噴火のようなそれは、経験の浅いガーロを怖がらせるには十分だった。


 東門、ダーラの軍勢の前には、風の魔女フーカが待ち構えていた。

「フフフ……ここまで攻めてくるのはお見通しです……」

 フーカはダーラ軍の前に立っていたが、風に吹かれるように軍の真上にまで浮かぶと、ほとんどが男性の一軍にどういうわけかローブの下に着ていたスカートの内側を覗けさせた。

 ダーラもそれを目にしてしまった。

「は、ハレンチな!」

 戦意喪失にはもってこいだった。それでもダーラは見逃さなかった。フーカの頭上に大きな渦を巻く漆黒の雲が出来上がっているのを。

 ダーラ軍の兵士たちは食い入るようにフーカのスカートの中を見上げていた。

 次第に漆黒の雲が激しい風音を起こしながら降下していくと、フーカは捲れるスカートを押さえ、

「いやああああん、見ないでえっですう!」

 とわざとらしく悲鳴を上げた。

 ダーラと西門にいたガーロはこの時悟った。

 これが、兄の言っていた、何かがあるということか……。

 それが、今この瞬間だと言うことか……。


 南門には、地の魔女チリと水の魔女スイーリアが立ちはだかっていた。

「ここから先へは行かせないわ!」

 チリが小柄な体を大きく見せようと、両腕を宙に掲げた。

「さっむ……」スイーリアは何枚も厚着しているにもかかわらず、自らを抱く仕草をしつつぶるぶると凍えていた。

 そんなスイーリアが最五の魔女と謳われる五人の中で最も弱そうに見えるのは、ザーレだけではなかっただろう。

 ――一見、脆弱な人物に見えるが、水の魔法は洪水を出現させたり、鋭く尖った氷を降らせたりと何が出てくるかわからん……。雨を降らせたりなどされてもこちらが不利になるのは明白だ……。

 スイーリアの横にいるチリは宙に持ち上げた腕を地面へと付けた。

「威力は弱くしてあるわ。犠牲者を多く出したくなければ、早急にこの場から立ち去ることね、獅子の将ザーレ」

 ザーレ軍の二千の兵の足下が大きく揺れた。

 立っているのも難しくなり、未だに何を仕掛けて来るかわからないスイーリアの存在もあって、ザーレは虚空を見上げた。

 それは愛しき弟妹を思うための仕草だった。


 渦中、ギルスは自身の魔力では、魔女たちの姿を捉えることができなかったことに唇を噛んでいた。

「全くもって不注意でした……。私もまだまだ修練が足りませんね……。まさか四人の源素の魔女が私の魔力を感知し、死角にいたとは」

 恐らく閲覧の魔法を察知し、ギルスの閲覧の魔法の視界から外れていたのだろう。あるいは、ギルスの魔法そのものが魔力に乏しく、魔女たちを捉える精細さに欠けていたのかもしれない。

 ギルスは自身の失態に奥歯を噛み締めつつ手を掲げた。

「撤退の合図を!」


 ザーレや、ガーロ、ダーラたちは各地で撤退の音色を聞いていた。

 ザーレは張りのある声で兵士たちに指示した。

「撤退! 撤退せよ!」

 ダガレクス城を背に、乗馬した状態で全軍が退却し始めた。

 ザーレは弟妹たちを思い、大空を振り仰いだ。

 ――ガーロ、ダーラ、お前たちも無事でいてくれ! 


 ニーゼルーダ城、玉座において背もたれに背を預けるグーレタ王の心は晴れやかだった。

 妻リゼッタの仇を討てたことに、気持ちはどこか、ほどよい疲れと解放感が混在していた。


 ダガレクス帝国上空で、青白い星を吸収したガオスは、鉄化の魔法を解いたまま、アークレイクリスタルの力を最大限に解放し、飛行した。

 流星のように空を裂くガオスの目指した先。

 滑空しながら、視界に固定するニーゼルーダ城。

 そこへ直行する際、絶大な魔力を集積した生身の体に鉄化の魔法を施す。

 体が黒く光るも、その光は重くなったガオスの中で熱を帯び、ガオスは再び鋼鉄になった。

 呵呵大笑するグーレタは、カップに注がれた酒を飲み干していた。

 玉座全体を揺るがす大轟音――。

 鉄の塊と化したガオスが城の屋根を突き破り、もう一杯酒をあおごうとしたグーレタの腹に直撃した。

 城を地震のごとく揺らし、あらゆる石柱や石の壁がひび割れ傾き、崩落する。

 ガオスとグーレタはニーゼルーダ城の壁面にめり込んでいった。

 ガオスはそこで、グーレタの白目を剥いた顔を見届けるのだった。


 数日後のマノンディア城内。王の執務室では、マノンディア国王ジリースと、トルナビスの王イナンが閲覧の窓で言葉を交わしていた。

「少々焦りが過ぎたようだ……」

 ジリースが嘆息をついた。今回の奇襲が失敗に終わり、無駄に心労を負ったからか、気色も悪いようだ。イナンは問いかける。

「ダガレクスでは次の皇帝が決まりそうですな……。有力視されているのは元騎士団長だとか……。ジリース殿は今回の奇襲、どう言い訳するおつもりで?」

「その新しい皇帝がマガラウザよりやり易い相手だといいんだが……。まあ、魔女狩りの一貫として最五の魔女たちを捕えようと加勢に参ったとでも言っておこう……」

「最五の魔女でも魔女に代わりはないと?」

「苦しい言い訳か……。イナン殿を見習うべきだったな」

 ジリースは肩をすくめた。最五の魔女と、魔女狩りの対象である魔女や魔法使いとでは、その扱いも異なる。カーナゼノンでも有名な最五の魔女を、一国の長が知らないはずもなく、それはジリースの言う通り言い訳に苦しいものとなってしまう。

「結果的には損失はゼロだったわけです。獅子の将のご兄妹も無事であれば、その武勇を再び相まみえるであろう機会に重宝しておくことが上策と思います……」

「それもそうか……」

 ジリースは反省の念からか、力なき声だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る