第七章 皇帝と四人の魔女①

第七章 皇帝と四人の魔女




「久しいな、勇者レオリア……」

 ダガレクス城、玉座の間――。

 名高き皇帝の顔色一つ見ることもできなかったガオスだが、鎮座するマガラウザの素顔も初見だった。少し細身で黒髪を肩まで伸ばした、普通の人間と同じ顔をしていた。

 ひじ掛けで腕を曲げた先の手に、顎を乗せるポーズはこれまで一瞬のみ顔色を窺っていたガオスにも、それが普段のマガラウザの姿勢であることは知っていた。

「その名でおれを呼ぶな、メゼーダ」

「余の名も変わった。その名は止めよ」

「じいさんを返してもらおうか。おれにはやることがあるんだ」

「民たちの避難か? それならもう騎士らにやらせた」

 ガオスは目を丸くした。

「うぬの祖父も返してやろう」

 そこでマガラウザは手を叩いた。

 玉座の脇にある扉が開き、そこから縛を解かれた、酒飲みで赤い顔色をした祖父ジンが出てきた。

 ジンはガオスの方にまで歩み寄ってきた。

「ガオス、マガラウザの様子がおかしい……」

 目の上の人物であるマガラウザの様子に変化が現れたのを、ジンも以前から気にかけていた。

 声を潜ませるジンにガオスも同じ声の低さで、

「民を避難させたってのは本当か?」

「そこまではワシにもわからん。だが、お前が来るまでワシは牢屋ではなく、普通の客室に押し込まれた。ベッドと暖炉が揃った来客用の部屋だ……。どういうわけか厚待遇だったんだ」

「その老人の言っていることは本当だ」

 マガラウザの一声にガオスはマガラウザを睨む。

「何のつもりだ、マガラウザ……。お前は転生してもなお、魔女狩りという悪行を指示した。そんなやつが名もなき民の避難……? お前は何がしたい?」

「星が動き始めている……。この国にあの星を落とし、イスカが滅ぼさんと企てたことだ……。どうやらうぬも、民たちになるべく多く声をかけようとここまで来たようだな」

「拡声の魔法を使うつもりだった。その必要性がなくなったのかどうかは知らねえが……」

 マガラウザは左のひじ掛けから右のひじ掛けに体を傾けさせ、

「余は一度うぬに葬られた。肉体の喪失とともに、凍えるような闇へと引きずり込まれるあの感覚に、余は初めて恐怖というものを感じた……。だが、余にもまだ奥の手があった。それが転生の魔法だ。このマガラウザという皇帝に転生したまではよかったが、死期も近かった。転生後、徐々に魔力は魔王の時よりも半分以下に減っていき、もはや魔王としての余は死んだようなものだった……。余は死にたくはなかった」

 マガラウザは深いため息をつき、

「前世で魔王だった余にしては、うぬの目には違和感しかないだろう。余は魔法を恐れた。余の命を一度奪い、再び生を受けても、魔法という存在は余を恐怖たらしめる……。だからこそ魔女狩りを実施した」

 マガラウザは一弾指間を開け、

「しかし、時と共に余の心も変化した。よって余に仕える者どもも心が変化していったのだろう。以前のような緊迫感は、城内の雰囲気からも薄れているような気がした。余の心も、多くの魔女を取り締まりの対象にすることを辟易するようになった。その理由は、窓から眺めると見えるあの青白い星だ……。あれが見えるようになってから余の死期は近いと感じていた……。死することに恐怖心を覚えた余は、いつしか善行を施したいと気分が変わっていった……」

「嘘をつけ! おれの村を滅ぼした奴がそんなこと……! だいたいあんなにまで冷酷だったお前が、なぜそう心を改めたんだ?」

 ガオスは因縁深き魔王の成れの果てを睨みつけた。

「以前の余は、魔獣らの頂点にいた。今でこそ、このカーナゼノンという大陸には、知性の欠片もない、飢えた魔獣の配下しかおらぬが、改心のきっかけはこの人間の体を器に転生をしてからだろう。魔王の時は知能の高い魔獣の将らもおり、余も魔王としての自覚があった。しかし、魔王としての余の話を胸襟を開いて話し合う者も皆無だった。魔王だった時の配下には、余の弱い部分も見せられぬし、そうすれば魔王の座を奪われていただろう。力ずくでな。メゼーダが創りし魔の世界はそういった世界だった。しかし、死にかけの皇帝に生まれ変わり、息を吹き返したとき、そこで人間の配下たちの言い放った言葉は、優しく、温かく、氷に封じ込められたようなあの死の感覚や、思うがままに生きとし生けるものを殺していた魔王の頃よりも余の心を穏やかにさせた。ある意味救われたのだ……。それからも人間の優しさに触れていき、いつしか余を魔王の座から蹴落とそうとした魔獣の将らもおらぬ世界によって、余は心を改めたのだと思う。それに気づいたのも最近だった。だが気づいたとしても、余に迫るはあの虚空に浮かぶ、魔法使いたちの心像クリスタルの込められた星だった。余は死期を悟っていた。あれはいつでも余の命を奪うことができる断頭台だとな……。よって余は残りの時間で何を成し遂げようか考えた……」

「その結果が、善行を施すってことだったのか?」

 話を聞いていくうちに、ガオスの胸奥には皇帝マガラウザではなく、魔王メゼーダに対しての哀れむ気持ちが若干芽生えていた。

 ガオスはその気持ちに気づいていながら、魔王として人を大量に殺戮した以前の暴虐ぶりを思い出さずにはいられなかった。そしてガオス自らも、仲間を殺してしまった罪を隠し、魔王だったこの目前に佇む皇帝を力を振り絞って倒すことに、矛盾を抱いていた。

 ――償いとは……。罪とは……。生きるとは……。人の優しさに、こいつは心を突き動かされた……。かつておれがそうだったように……。果たしておれはこいつを断罪することができるのか? お前は悪だ、今ここで死んで償え、と……。

 イスカに促され、ジンを助けに行くと考えたとき、マガラウザと一戦交えることは可能性として十分にあり得た。

 しかし戦いが始まったとして、ジンや城下町の人々を救える時間が足りなくなることも予想できた。

 もしこのまま何もせず外へ出られるなら、ガオスにとって都合のいいものだった。

 マガラウザは右のひじ掛けに寄りかからせていた体を、今度は両のひじ掛けに両方の腕を置き、ガオスを真正面から見据えた。

「まあ、信じてもらわずともよい。あの星の対策を練ろうと、空の魔女以外の魔女を捕らえ、そこの老人と同じ待遇で迎い入れた。魔女らは今、外に出、星の落下を防ぐ防壁を魔法で作っている」


 ダガレクス国は城郭が町を囲った城塞都市だ。城を中心に、民の家々が囲うようにして外壁の間際まで広がっている。城と外壁は繋がっており、外からの侵入を難しくさせる。民家の集まりを挟みつつ幾重にも壁が隔てられた景色が、ダガレクス帝国の特徴だった。

 その外壁の上は通路になっており、四方に散った四人の魔女たちが、通路の上で星の落下を防ぐための障壁を作っていた。

 通路から見える、民衆の屋根の連なりのさらに下は、避難する民たちでごったがえしていた。

 白虎騎士団がマガラウザの命令で動き、次々と民たちを城壁の外へと避難させていく。

「あの星がこの国へと落下してくると、最五の魔女たちから予言があった!」「助かるためには、外壁の外へと逃げればいい!」「それもマガラウザ皇帝の民を思うお慈悲、さあ早く逃げるのだ!」

 騎士たちの言う通りに、民たちは疑うことなく従い、民家と民家の間を抜けて、ダガレクス国の城門を出ていく。

 魔女たちの予言――。

 それはいち早く、民らを国外へ避難させるための方便とも言えた。

 火の魔女、カリンが東側の城壁の上で杖を掲げたまま、ひとりごちた。

「あたしらの予言じゃねえんだけど……。あの皇帝も、あたしらを利用した分、見返りとしてあたしらの株を上げるためにそんな嘘をついたみてえだな……しっかしあちーな」

 カリンは暑さに敏感な体質だった。ビキニ姿のまま片手で顔を扇ぐ。

 ダガレクス国北側を風の魔女フーカが、南側を地の魔女チリが、そして西側を水の魔女スイーリアが受け持ち、星の勢いに耐え忍ぶための結界を生成していた。

「でもこんな結界では、あの星から守れるのは時間の問題かもしれないです……」

 緑色の髪をボブカットにした風の魔女フーカが、言いながら渋面を浮かべる。フーカの下から風が舞い上がる。

「きゃあっ! って誰も見てないです……。せっかく丈を短くしたのにです……」

 褐色の肌に灰色の髪をツインテールにしたチリは結界を作ることに意識を集中させながら呟く。

「ったくいつ落とすつもりなのかしら……。明確な時間がわかれば結界の張り具合も調整できるのにいっ……!」そこでチリは、はっと目を見開き「イスカ、もしかしてあんた……」

 外套、毛糸の帽子、マフラーを着込む真冬の装いであるスイーリアもイスカの心積もりを推測する。

「あ、あの娘、ほ、本気で落下させるとはいえ、少々生半可なものを感じさせるのよね……」

 ぶるっとスイーリアの体が震えるのは、寒さに鋭敏になっているからだった。

 外壁から出た民たちは、集まって虚空に半円を描く結界を見て、どことなく不安げな表情を浮かべる者や、気楽に仲間たちと喋ったり、酒をあおる者もいた。それを、危機感が足りないと指摘する者もおり、国の一大事にどこか牧歌的だった。


 マガラウザは、自身へ報復するための手段である、魔法使いたちの星に対し随分と心を削られていたようにガオスには見えた。

 ガオスの故郷を滅ぼした憎むべき相手が、ほとんど人間のそれと変わらない、生きることへの執着から、最五の魔女に頼ったり、いつでも死を迎えられるよう、気持ちの準備を行っているようにも感じられた。

 ガオスは首を傾げたくなった。

 これがかつて民を恐れさせた魔王の姿か。絶大な魔力をもってして、転生という奥の手を使ったのがこのような末路であれば、目と鼻の先にいる元魔王の男は、なぜ生まれ変わったのか……。

 ガオスは小さく肩をすくめた。

「転生して、この有り様とはな……。それじゃ何のために生まれ変わったのかわからねえじゃねえか」

 マガラウザは微かに笑みをこぼし、

「うぬもいつまで罪人のふりをするつもりだ?」

「罪人のふりだと?」

「知っておるぞ……。うぬが余と同時に仲間を殺してしまったことを……。その鉄化の呪いを贖罪にしているようだが。うぬがその力を解き放っておれば、もっと早くことが片付いたはずであろう」

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