第六章 魔法使いの星②

「ヨハヨハイ、ヨハヨハイ」

 言葉を覚えられるという鳥が、籠の中で鳴いた。

 マガラウザの寝室。いくつも灯した蝋燭の火が、石積の室内に怪しく揺らめく。

 マガラウザは深く嘆息をつきながら、ベッドの縁に座り込んだ。

「ヨハヨハイ」

 マガラウザは鳥を見つめ、

「いつの間にか覚えてしまったか……」

 ヘルムを外しつつ、再び深く息を吐く。

 壁際のテーブルに置かれた鏡を見て、マガラウザは三度目のため息をついた。

 鏡に映るのは、肩まで伸ばした黒髪に、弱々しい光を放つ双眸、細面の顔に蝋燭の灯火で何倍にも老けたように見える自分の顔だった。

 人間の、しかも虚弱体質で死にかけの一国の主に、魔王メゼーダは転生していた。

 八年前。レオリアら勇者一行に討たれ、冥府に行くことなく己の切り札だった、転生の魔法を使ったまではよかった。ところがゲームでいいカードを引き当てるくらいの確率でしか良好な転生先はなく、この魔法そのものが博打といえるものだった。

 転生した当初は虚弱体質な前マガラウザに、魔王だった時の魔力を引き継げていた。しかしこの肉体そのものが、前マガラウザの弱体をそのまま引き継いでいたために、魔力は消耗していくばかりだった。

 人により生まれついての業や宿命などはそれぞれだ。前マガラウザの人生は、一国の君主にしては悲運だったとしか言いようがない。

 因果律というものが実在すれば、その体に転生した自分も不遇だった。そこに理由があるとしたら、転生前に多くの人間を殺し、しもべである魔獣たちを道具のように扱い、その損失をないがしろにしていたからでは、と思えるのだった。そうした因果関係が、魔王と呼ばれるほどの立場から、人間のさらに不健康な体に転生したという結果をもたらしたのであれば、因果応報という言葉がしっくりくる。

 余は弱い……。そう自分に何度も言い聞かせざるを得なかった。生身のしかも病で体の自由がきかない盟主に生まれ変わったという不幸を受け入れるために、夜な夜な鏡に向かってその言葉を繰り返していた。

 そうしているうちに、転生前のマガラウザが飼っていたという鳥が自虐的な言葉を繰り返すようになってしまった。

「ヨハヨハイ」

「そう。余は弱い……。転生を経て、以前のマガラウザよりは健康体にはなっただろうが、恐らく先も短いだろう。あの四人の魔女たちが星を弾いてくれたとしても、余の命運は長く良きものではない……」

 マガラウザは籠を持って、窓から鳥を逃がそうとした。

 しかしいつまで経っても鳥は翼を何度かはばたかせるだけで、外へ出ようとはしない。そこで、マガラウザは籠ごと外へ放った。城下町を見渡せるほどに高い尖塔にあるこの自室から、鳥を籠ごと捨てるのは、人心からか残酷なことのように思えたが、鳥は落下していく籠の中から飛び立っていった。

 ……ヨハヨハイ……。

 遠くにその声がこだましていった。鳥はまるで青白い星へと飛び去っていくようだった。

 マガラウザの目が鋭くなる。

「あの星……。どうすれば死んでいった者たちへの弔いになるだろう……」

 魔力の弱まった、脆弱な者ができることと言ったら、どのようなものか。

 魔王メゼーダは転生した人間の体に不満を抱きつつも、この体にしかできないことを模索していた。


 マノンディアの兵五千が、国を出立したのは日の変わる直前だった。行き先はダガレクス帝国である。

 五千という兵は、以前各国が戦争に見舞われたときに、ダガレクス兵の行軍が約五万はいたという記録と、戦後、兵力を見せつける機会が減り五万という記録を参考に五千という兵を用意した。五万に対しての五千では明らかに不利だった。だが多ければいいという話でもない。

 馬を最大限急がせれば翌昼頃にはダガレクス領につく。

 マノンディア軍を率いるのは、将軍ザーレ。オレンジ色をした剛毛が、頭から顎にかけて覆い、獅子の将という異名を持つ。

 その双眸はまっすぐに天と地の境に向けられていた。

「急ぐぞ! ジリース様及び、マノンディアの千載一遇のチャンスを逃すなあああっ!」

 雄叫びをあげる兵士たち。

 空の向こうには第三の星と言われた青白い球体がゆっくりと移動しているのが見えた。


 空間転移の間に入ったガオスとエラリィ、イスカたちは、イスカの言うことに従い、部屋の中央へと進んだ。

「魔王軍との戦い前。四ヶ国の国々が戦争を終結させた頃に、魔力の高い最五の魔女と何名かの魔女たちとで、各国を行き来できるようこの部屋を作った。魔力の高い魔女が同行するのと、四ヶ国の高位の職に就いた者から許可を得ることが必須だが、グーレタ王もそれを省略し、お前たちにここを使うことを許してくれた」

「どうすりゃいいんだ?」

 ガオスが部屋を一巡する。石造りの部屋にはガオスとエラリィのいる中央の床が光っているだけで、他には何もなかった。

「この者らをダガレクスへ……」

 イスカが天井に向かって言った。

「これで数秒後にはダガレクスへ行ける。それまで目でも閉じていろ。エラリィ……」

 イスカの呼び掛けにエラリィは気付き、しばし二人は向き合った。

「幸運を祈る。猿頭を守ってやってくれ」

「わかった」エラリィは首肯し、わかったわ、とシャドレスも床の辺りから声を発した。

「おれは?」

 イスカから何も言われなかったことに多少違和感を抱いたガオスだったが、イスカはガオスの言葉を無視し、

「数秒後、この部屋の扉を開ければダガレクスに着いているはずだ……。では、失礼する……」

「待ってくれ……」

 ガオスが呼び止めた。イスカは背中を見せながら立ち止まった。

「本当にやるのか?」

 青白い星を落下させれば、マガラウザだけではなく、多くのダガレクス国民にも影響が出る。それをわかった上で、実行しようというのか……。ガオスはそう言いたかったが、イスカは背を見せたまま、

「まあ何とかなる。そんなに心配するな……」

 イスカは横顔を見せると微笑した。

 扉を閉めイスカが部屋を出ていく。ガオスは慌ててイスカを追いかけようと扉を開けた。

 そこは見覚えのあるダガレクス城の内壁だった。


 ダガレクス国近辺にて、野営をするマノンディア軍。

 白い軍事用のテントの中には、獅子の将、ザーレとその妹、ガーロ、弟のダーラ、そして数名の将軍らが、軍師ギルスによる策を伝えられていた。

「ダガレクスは、高い場所にある国ですが、角度としては緩やかな斜面の上に存在しています」

 蝋燭の灯りで仄かに浮かぶギルスの顔は、薄紫色の髪を背まで垂らし、切れ長の目に、鼻梁から口元にかけ端整な顔立ちだった。

「真正面から攻めるには難なくこなせるでしょうが、城門は南側の一ヶ所だけではありません。西と東にも城門があります。兵をこの三ヶ所に分散し、城内へ突撃を試みます。ガーロ殿は西を、ダーラ殿は東、そしてザーレ殿は南の門から攻めてください。幸い兵を伏せる森などが周辺にあります。しかし攻め入るタイミングとしては、まだ何ともいえない状況……。そこで青白い星がダガレクスに落ちる瞬間が狙い目かと思われます。マガラウザは、八年前とは別人という噂もあり、無策であるということはまずないかと。星の落下によって城内に住む民や、兵士たちの動向などを考慮しなければなりません。ジリース国王様は、星落下の騒ぎに乗じ、城を乗っとるというようなことを言っておりました。私もその考えには賛成です。私は見晴らしのいい場所で星の動きを見計らい、好機と捉えたら、音を大きくする魔法を施したラッパを吹き、それを突撃の合図とします。城内へ突入と同時に後詰めの五万の兵を向かわせます。その兵らは今もダガレクスを目指して行軍中です」

 久方ぶりの戦にザーレは若干緊張感を抱いていた。

 ダガレクスは攻めやすい割に、兵の多さと強靭さが売りで、数十年前の戦争時に落とせなかったのもこの兵士たちの質によるものが大きかったと、当時の将軍だった祖父から聞かされている。

「お兄様」こっそりとテント内でザーレに呼び掛けるのは妹のガーロだった。兄譲りのオレンジ色の髪はポニーテールにしており、いつになく強気の色を含めた目は、戦まえだからだろう。

「兵を率いて戦をするのはあまり経験がありません……」

「私もです兄上」ガーロと同じ意見を述べるのは、ダーラだった。頭の裾を刈り上げ、きのこの笠のようなオレンジ色の髪は眉を隠し、表情はいつも読み取りづらい。だがこの時のダーラの顔は困惑の色を見せているのがわかった。

「心配ない」ザーレは弟妹たちを安心させるためにそう断言した。

「ギルスからの合図がなくても、危機に直面したらすぐに退却するんだ。自分の危機もそうだが何より相手の出方だな。強そうな魔法使いだったら、思いっきり逃げ出せ。俺には嫌な予感がする……」

「嫌な予感とは?」ダーラが怪訝に眉を潜める。

「国王様の言う通り、これが領地拡大の機会だとしても、また、忌まわしきマガラウザ皇帝が弱者に成り果てたという確かな情報があろうとも、堅城と言われたダガレクスを攻めるには何かがある……例えばギルスの言うように向こうも何か策を用意していると考えるのが妥当だ」

 ザーレとしては、長年共にしてきたギルスへの信頼もあるが、弟妹たちを危険にさらすのは、ギルスの腕前を秤にかけても、兄としてできかねていた。

 戦争の経験がある獅子ザーレにも、弟妹たちの命の行く末は気掛かりなことだった。


 白虎の兜を被った、騎士団の団長をイスカが目にしたのは、ちょうどガオスとエラリィたちを空間転移の間から見送った直後だった。

 しかも城内で、マガラウザの配下として知られるティクス騎士長を見かけたのは、この場合、何らかの重要な報せか、あるいは星を落とすという一連の計画がどこからか漏洩し、白虎騎士団が攻めてきたと考えた方が無難か、とイスカが思っていると、白銀の甲冑に身を包んだ騎士たち数名が玉座の間にいたイスカを取り囲んだ。

 白虎の兜を頭部に被ったままのティクスが、囲む騎士団の後ろから声を発した。

「マガラウザ皇帝陛下には既知の事柄でございます……」

「貴様……猿頭の……たしか妾だったか?」

 突然の状況にイスカは焦燥感に駆られつつも、そんな冗談めいたことを言ってのけた。

「妾? いくらクリスタルの化身といえども失礼でございますよ、空の魔女、イスカ様」

「どういうことだ、ティクス騎士長!」

 玉座に腰かけるグーレタが激しく問いかける。

「四ヶ国の協定では、空間短縮の扉を扱えるのは、王に認められた者だけ……。そなたがここへ馬もなしに駆けつけてきたということは、マガラウザ殿に何か仰せつかったからではないか?」

 ティクスは玉座へといたる階段の下で跪き、

「魔王が死亡した時より八年の歳月……。あの青白い星が徐々に大きくなってきており、それがダガレクスを目指そうと落下する最中であることと、放った間者らの情報でそれがこの空の魔女の仕業であることがわかったのでございます。つまりわたくしたちは、この空の魔女を捕えよとのマガラウザ様の命を受け、部屋を使用したのでございます……」

 イスカの計画が相手に筒抜けになっている。いや、情報の漏洩ではなく、最五の四人の魔女の入れ知恵とも考えられる……。

 グーレタ王は、慌てて否定した。

「その一件に関しては、私は一切関与しておらぬ。空の魔女独自の判断だ。私は何もその娘の策謀に手を加えるだとかいうことはしていない」

 囲む騎士たちには裏切りにあったと思う者もいただろう。だが、イスカにとってグーレタ王のいうことは策略でもなんでもなく事実だった。

「皆さん、下がってくださいませ」

 ティクスが背中からウォーハンマーを取り出した。

 細身の体でそのような重い武器をよく持てるなと、イスカは心で思った。

「ぬうううううううん!!」

 ティクスが威嚇するかのようにウォーハンマーを体の前で回転させた。

 空を裂く音は鈍く、数分振り回した直後、イスカに襲いかかった。

「大人しく縛につくでございます!」



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