第六章 魔法使いの星①

第六章 魔法使いの星




 北のダガレクス帝国が治めた大陸、カーナゼノン。

 西のニーゼルーダ国の他に、東のトルナビス国、そして南に位置するマノンディア国がダガレクスの統治下にあった。

 マノンディア国の王、ジリースとトルナビス国の王、イナンは密かに国王同士の会談を行っていた。

 閲覧の窓は、空間短縮の魔法によって生成でき、各国の王は習得することが義務づけられていた。

 地肌が黒くスキンヘッドのジリースは、ダガレクス帝国に迫る危機を放った間者から知り、その窮地に何とか上手く便乗できないか、イナンと話を進めていた。

 イナンの国は黄色人種で、各国との戦争時に甚大な被害を受けた国だった。

「これは報復の絶好の機会ですぞ、イナン国王……」

 室内の明かりは閲覧の窓から発せられる魔光という白い明かりのみだった。

 イナンは後ろで結った黒髪を、少し触ってから、

「ご存知の通り、我が国は先の戦争でダガレクス帝国による大量破壊魔法によって大きな損害を被りました。もとい、戦争のきっかけは我が方にありました。侵略という形でダガレクスに乗り込んだのは早急過ぎる決断だったと今でも思います。父の決断は国を疲弊させ、父自身も苦悩の連続だったことでしょう。よって、早くにこの世を去りましたが……。我が方の愚行により当時のダガレクスの皇帝を怒らせてしまったのです。非はこちらにあり、軍を起こすことが容易でないのも、二度と争いを起こさないための、戒めのようなダガレクスとの約定が結ばれたからです」

「よろしいのですか? このままダガレクス帝国の属国として歳月を重ねても……? また、利に敵っていない約定に従い続けるというのは、貴国の民衆も黙っておられないのでは?」

「多様な考え方や思想は、この国の象徴のようなものです。それこそ武器を捨て、自由を得た民の謳歌を表すことと同じでしょう」

 なかなか実直なところもあるイナンに、ジリースも狙い通りに行かないもどかしさがある。

「何としても、この機会に便乗しないのであれば、私としてもある情報を得、それをお伝えする必要性が出てきました」

「ある情報とは?」

「どうやらあの空中に浮かぶ、青白い光の球……、ダガレクスが絡んでいるようですな。ニーゼルーダに放った間者からは、近々あの球をダガレクスに落下させるとのことらしいですぞ……。無論、最五の魔女が黙っていないでしょうが、彼女らもダガレクスに連行されたとの情報がある」

 それを聞いたイナンは嘆息をついた。

「イナン国王、これに便乗しない手はありません。これぞまさしくダガレクス打倒のチャンスなのです」

 イナンはしばし無言だった。熟考しているのだろうが、数瞬経ってから出たイナンの結論は、やはりそれほど単純なものではなかった。

「我々は平和を掲げます。ダガレクスへの進攻はいたしません」

「そうか」とジリースは肩をすくめ、

「では我がマノンディアだけが、この機会に便乗するとしよう。結論はそれでよいか、イナン王?」

「こちらに被害が及ぶこともあり得ましょう。我らトルナビス国はそれなりの対応をさせていただきます」


 ジリースとの会話を終え、暗い室内に一切の光がなくなった。

 闇の中で眉間を指で押さえ、うなだれるイナンの姿があった。

 ため息が漏れると、召し使いが入室し蝋燭に明かりを灯す。

 その後、イナンは信頼できる自国の将軍を呼び、自身の考えを伝えた。

「兵を起こす……」

 短い発声に、将軍は瞠目した。

「まさか……。そんな……。国王様、今一度お考え直しを……」

「安心しろ。起こすといっても自国に待機させるだけだ。近いうちにダガレクスが崩壊するかもしれん。それに合わせ、ニーゼルーダとマノンディアが兵を起こし、ダガレクスへと攻め寄る可能性が浮上した。その飛び火がこちらにかからぬよう、兵を待機させる。よいな……」

 どさくさ紛れに、ニーゼルーダやマノンディアがトルナビスに兵を向かわせるという懸念がある。兵を起こさずにいれば傍観していた冷酷な国家と王であるという批判もあり得るだろう。それらを避けるための備えでもあった。

 権謀術数が各国に渦巻く昨今。平和的な思想を掲げるトルナビス国も何もしないわけにはいかなかった。

 他国がもし損害を負うことがあれば、最悪、諦観に徹した報いとして経済的な制裁を加えられることも考えられる。

 蝋燭だけの心許ない明かりが、イナンの深刻な面持ちを揺らめかせる。


 ベッドに横になったガオスは、途端に押し寄せてきた疲労に、自然と眠りに入った。

 暗い部屋の中で、闇と一色に染まるような感覚に没入していく。

 しばらくして、眠りが浅いことに自然と瞼を開けた。傍らに人の気配を感じ取る。

 視線を横に移した。エラリィが暗い天井をじっと眺めていた。

「エラリィ……? あれ? おれ寝床間違えた?」

 と口に出した瞬間、エラリィが囁くように言った。

「今夜は一緒に寝たい……」

「は? 何言ってんだよ……」

 ガオスはそこでベッドの側に置いてある、影刀「よどみ」を見つけた。

 嘆息を一つつき、後頭部を引っ掻く。

「大丈夫……」

 エラリィは吐息混じりで言った。

「私があなたを守る」

「城の中だから、そんなに気張らなくてもいいぞ。そりゃありがたいけどさ」

「いえ、明日のダガレクスのこと」

「ああ、一緒にって話だったな」

「まだ『淀』に恐怖を感じる?」

「この間、賊に襲われそうになったときは平気だったんだ。病み上がりだったからかもしれねえが、やっぱりまだ少し慣れない部分はあるかな……」

「この間、シャドレスが言いかけたって言っていたけど、私やシャドレスはあなたに責任を感じている」

「そんな……。もう気にしなくていいんだぞ。おれのために木の実を集めてくれたんだってな。ありがとな」

「いえ」とエラリィはかぶりを振った。

「明日ダガレクスに戻ったとして、私はあなたの身に何が起きても守る。安心して」

「ありがとな。でもおれも厄介者だからさ。仲間を殺してしまったっていう……」

 そう自分で言い訳代わりに言うことが、時間の経過と共に、あの凄惨な光景が色褪せてきているのがわかった。

 容易く口にしていいことでもなく、ガオスは口を手で覆った。

「それでもあなたはイスカを無事、ここまで送り届けた。私に殺されかけたはずなのに、私も同伴させてくれた。あなたにとってそれは償い?」

「どうだかな。マガラウザへの復讐って思いもあって、お前らを最後まで送り届けるんだって思いもある……。責任感ていうかな。償いっていうなら、もう一生やっていくしかねえだろう。分かりやすく、償っていく毎に鐘の音が鳴るってのならいいんだけどな。ってことは償いに期限も何もないってことだ……。お前たちには感謝してる。そう思うのも償いだろう。こうして少しずつでもいいから、自分をいい方向へ持っていかねえとなって思ってる」

「あなたは優しい人……」

 エラリィはぎゅっと両腕をガオスの背中に回した。

「だから殺さなくてよかったって、心から思うわ」

 エラリィの肩からシャドレスが顔を半球のように覗けさせた。

「アタシたち、それは前々から感じていたことなの。殺せと依頼がきて、ただ殺すだけでいいのかって。そうした仕事に打ち込んでいくと、先にこの子のクリスタルが疲弊してしまった……。殺すことに飢えるほどの奇人でもなければ、鬼畜外道の類いでもなかったってことね」

 ガオスはそれを聞き、少し安心した。

 シャドレスの言っていることが事実なら、エラリィも仕事を選んでいたのかもしれない。悪人だけを選出して殺していたか、それとも、自分のように致命傷を避け、殺したふりをしていたか……。憶測でしかないものの、エラリィやシャドレスからは今も殺気を感じない。

「お前ら、もしかして、人を殺したことがなかったとか?」

 問いかけつつ「淀」の放つ気配に若干気後れしそうになる。エラリィはまだガオスを包容したままだ。ベッドが軋む音を立てる。ベッドの上に座るエラリィとガオスの下が、やけに窪んでいた。

「さあ、どうかしら?」シャドレスはとぼけて見せた。

 それを気にかけながら、ガオスはエラリィの腕を掴みほどいた。

 ベッドが音を立てなくなる。

「いい加減、年上をからかうのはやめとけよ。エラリィ……」

 指で軽く、エラリィの額を弾いた。

 シャドレスはぼそりと言った。

「興奮すると重くなるのかしら……」


「イスカ殿、例の注文の品、バーセル殿から預かっておりますぞ……」

 王の寝室で、イスカはベッドに腰かけるグーレタの前で跪いていた。

 そう述べるグーレタが手を叩き、家来が箱を持ってきた。

 差し出された箱を開け、中身を見たイスカは満足気に深く顎を引いた。

「ありがとうございます……」

 グーレタは言う。

「あの星を落とすに必要な制御装置……。空の魔女であるイスカ殿の細かな注文に、バーセル殿も張りきっておられたことだろう……」

 空の魔女の魔法は、空に関わる物体や現象に繋がりが深い。青白い星を操るためには、空の魔力を込めて作らせた、このブレスレットが必要だった。

「落下させるまで二、三日はお時間をいただきたく……」

「そうか。少し猶予が必要なのだな?」

「はい。わたしもクリスタルの化身とはいえ、良心はあると思っております」

「うむ……。大ごとだからな。心構えというのも大切だ。しかし、あの星をねえ……」

 グーレタ王は胸の前で腕組みをし、

「怖いことを考える……。さすが空の魔女だ……」


 ガオス……、ガオス……。

 どこからともなく人の声が、眠るガオスの耳の奥に響いてきた。

 その声に覚えがあるとしたら――。

 ――まさか、マガラウザ?

 飛び起きて戦いの準備をしようとするが、ガオスの体は縛られたように動けない。

 ……そう、余だ。うぬにいい報せがある……。

 ガオスの視界に浮かび上がったのは、縄に縛られた祖父、ジンの姿だった。

 ――じいさんをどうするつもりだ?

 ……空の魔女の考えていることは余にもわかる。空間短縮の間を使うのならば、たどり着く場所は、余の城の中であろう。祖父と共に待っておるぞ……。

 闇の中へジンの姿が消えていった。

 マガラウザの笑声と共に。

 ガオスは目覚めることなく、そのまま深い眠りについた。


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