第五章 魔女の告白②
遊技場へつき、テーブルに座る王子を見つけた。すでにゲーム盤は用意されており、王子の近くには二人の近衛兵が待機していた。
遊技場には他にも遊び道具がいくつかあった。だがシュンゲルのお気に入りはゴーレムゲームなので、ガオスは他のゲームに興味を引かれるも、真っ先にシュンゲルの待つテーブルへと向かった。
「父上の話は長いだろう? 退屈させたか、ガオス」
「いえ、むしろ寛大なお父上であられると、感無量でございました」
「そうか。では早速始めるとしよう。一応聞いておくが、遊んだことはあるのだろうな?」
「微弱ながら、私も魔法を嗜んでおります。ですが数えるほどしか遊んだ経験はありません」
「まあ、僕の二千勝には敵うまい」
シュンゲルは言ってくっくと笑った。
「もちろんでございます……」
「では勝負だ」シュンゲルの一声で盤上が光を発した。
すでに互いのゴーレムは盤上に用意され、ガオスは久方ぶりのボタンの感触を、ゴーレムが動き出す寸前に素早く触れ、遊んでいた当時の触り心地を思い出そうとした。しかし――。
――全然わかんね……。
緊張感からか、奥歯をぐっと噛みしめ、手には汗を握った。
だがそれでもシュンゲルの相手をしなければならない。ただ何もせず負けるというのもシュンゲルが黙っていないだろう。挑むしか他に道はない。
「さあ行くぞ、ガオス! 本気で立ち向かってこい!」
シュンゲルがボタンを両手で連打する。ゴーレムが動き始めた。ガオスもうまい具合に負けてみようと、覚束ない手の動きでボタンを連打する。ガオスのゴーレムが動いた。両者とも自分の間合いに入り、シュンゲルのゴーレムが腕を回す。ガオスのゴーレムも拳を振り回した。
――ああっ、あんまり強く振り回すなよ……。
自らが操っているとはいえ、ゴーレムを思い通りに動かしている感じはせず、ガオスは冷や汗が出っぱなしだった。
その時だった。
ガオスのゴーレムの拳固が振りかぶられ、シュンゲルのゴーレムに当たり倒れた。あっけなく勝敗を喫したのだ。
ヤバい……、と瞬間的に思い、条件反射のようにガオスは陳謝しようと、申し訳ありません、と言いかけた。
すると、シュンゲルは絶叫した。
「敗北キターーーーーー!」
その雄叫びに、その場にいた近衛兵や、イスカ、エラリィたちがうろたえたように見えた。
「もう一度だ、ガオス!」
はっ、とガオスは一言返事をし、ボタンを連続的に打ち込んでゴーレムを定位置に戻す。
そして第二戦目。
「うええええええっ、まーけーたーぞおおおおおお!」
一国の王子のそのような叫びが三戦目、四戦目と続いた。
ガオスの胃袋がぎゅっと締め付けられたようだった。
あまりの快勝ぶりに到来した、胃の調子が悪くなるような気分――、そしてシュンゲルの憤怒なのか歓喜なのかわからない叫び声……。
ガオスは唇を噛み、痛む胃を押さえつつシュンゲルに恐る恐る聞いた。
「お、王子……。この勝敗に何か思うところでも?」
「二千勝で初の敗北……。父や剣術を習う師範も言っている。より強くなるためには負けることも大事だとな……。つまり、この敗北は三千連勝、四千連勝の布石なのだ……。しかしガオスよ。お前も謙虚なやつだ。勝ったくせにどこも嬉しそうではないではないか……」
「いえ……。とある噂で、王子に勝つと叩き斬られると伺ったもので……」
シュンゲルは目を丸くした。近衛兵の一人がガオスを強く指摘する。
「無礼な! シュンゲル様がそのような行いをするはずがなかろう!」
えっ、とガオスは目を見張った。イスカに視線をくれると、イスカは苦笑しつつ顔を背けた。エラリィがぼそっと呟く。
「イスカ、意地悪……」
それを見たガオスは、心でイスカに叫んだ。
――あのやろう!
「僕はガオスよりも世間知らずだ」
遊技場を出、ガオスはシュンゲルから城内にある外に面した部屋に誘われ、しばし言葉を交わした。
「いつか僕も父に代わって国政を仕切る立場になる。僕にはたいした目標もないからな。戦争なんてものは二度とごめんだし……。ただ、一つだけどうしても成就させたいことがある」
それは? とガオスは尋ねた。
「ゴーレムゲームをもっと幅広い年齢……、貴族、平民の壁すらも越えて広く遊んでもらうっていうのが僕の目標だ」
「本当にお好きなんですね。あのゲームが……」
ガオスは無垢なシュンゲルの野望に、笑みを浮かべた。
「ガオスも楽しかっただろう?」
「ええまあ……。と言いますか、王子様という高い位の方との遊戯は正直、胃に来ました……」
シュンゲルは大笑した。
「仲間にはめられたようだな。さすがは空の魔女」
「ご存知だったのですね?」
「お前たちの仕草から何となくだがな。あの空の魔女、なかなかに喰えないところがある……。父とも何やら策を労しているようだぞ?」
それを聞いて、シュンゲルが意外と人心を読むことに長けているのではとガオスは思った。それ以上の追求は無言で遠慮したが、シュンゲルの言う通りであれば、イスカとグーレタの間で何が行われていると言うのだろう。
グーレタは城の中にある寝室を三人分用意してくれた。
城の裏側はバルコニーになっており、三人はそこで話をした。
バルコニーの手摺に腕を乗せ、ガオスはニーゼルーダの町並みを眺めながら、
「ニーゼルーダ王がこうまで情に篤い人だとは思わなかったぜ」
ニーゼルーダ特有の白く四角い家々が、ガオスの眼下に広がる。日も暮れていたために、町並みを隅々まで見渡すことはできずにいた。
当初の予定にはないガオスとエラリィの分まで寝床を用意してくれていたことに、グーレタ王と民衆との隔ては感じられず、そのことからニーゼルーダ国民の代表にふさわしいことを存分に窺い知れた。
「猿頭……。そしてエラリィ、わたしから少し話がある……」
改まって何事かと、ガオスとエラリィはイスカに注目した。
バルコニーは淡いオレンジ色の夕焼けに、色彩を変えつつあった。
その頃、ダガレクス帝国の皇帝マガラウザは、源素の四人の魔女と大きな机を間に対面し言葉を交わしていた。
広い客室に、マガラウザの重々しい声がこだまする。
「デノムからも聞いているとは思うが、あの青白い星について情報を共有したい……」
マガラウザは兜を被ったまま、四人の魔女にそう呼び掛けた。
「それくらいもちろん知ってるわ」
小柄で褐色の肌に灰色の長髪を両側に結った地の魔女は頷いた。彼女は「チリ」と言う名だった。
「わ、ワタクシも存じ上げております。ま、マガラウザ様……」
青色の髪を後ろで束ね、毛糸の帽子と分厚い外套を着込み、マフラーを首に巻いた水の魔女「スイーリア」も、地の魔女と同調している様子だ。
「仕方のねえことなんすよ。皇帝」
四人の魔女の中でも一番の年長者である火の魔女「カリン」は、ピンク色の短髪で、前を開けたローブの内側は赤いビキニ姿だった。足にはサンダルを履き、常夏の砂浜にでもいるような容姿で、女性のわりにどこか男性っぽさがある。
「空の魔女もきっと憤慨していると思うです」
背が高く緑色の髪をショートボブにした風の魔女「フーカ」は、黒いローブの下に裾の短いワンピースを着ていた。フーカはそう一声を上げたのち、さらに続けた。
「マガラウザ様の命令で魔女狩りが始まったです。あの子はマガラウザ様に忠実でありたかった、ただそれだけだと思うです……」
ダガレクスでの客間でのやり取りと、ニーゼルーダのバルコニーでの会話は、バラバラになった紙片が組み合わさるように言葉の端々がある輪郭へと形作られていった。
すでに辺りは闇と静寂に包まれている。いくらかそこに音があるとしたら、今後のことに関わる重要な話をするイスカの落ち着きはらった声と、松明の薪が弾ける音だろう。
「わたしはマガラウザに心酔していた。勇者レオリアとその仲間、ゴドーとスーレネ、フィーラの魔王討伐組を選出し、見事魔王を討ち果たしたのだからな。だが、あいつはわたしの心を弄んだ」
弄んだって……、ぼそっと呟くガオスと、黙したまま聞くエラリィの目が一瞬だけ交わると、イスカは続けた。
およそ八年前――。
イスカ他、千人以上の魔女たちは、長きに渡って苦しめられてきた、魔王メゼーダによる侵攻を食い止めるため、大軍を率いて魔王軍と対峙していた。
曇りがかった空の下、大陸の中央に位置するマーツネル平原。緑豊かな平原を、黒色に塗り潰したような魔王軍の兵士たちが、咆哮と共に連合軍へと攻め寄せてくる。
連合軍とは、カーナゼノン大陸にある四ヶ国の軍の集まりだ。かつては領地の取り合いで争いが絶えなかったが、マガラウザの先代の皇帝によって統一された。ダガレクス軍ではなく、連合軍という総称は、統治したての各国が、ダガレクス帝国の一強に甘んじることはないところからきている。
戦いの途上、勇者レオリアとその仲間たちが、いよいよ魔王城に突入したという吉報が、戦地にいたイスカの耳にも届いていた。
イスカと大勢の魔法使いの他、別行動の勇者一行と異体同心で魔王軍を圧倒。前衛に魔法使いを配置し、魔法で魔軍の兵たちを次々と倒していく。
後衛で待機していたイスカの目にも、魔法使いたちの活躍はしかと映っていた。
そこへ伝令が駆けつけてきた。
馬に乗ったイスカのそばで、兵士は片ひざをつき、
「ついに勇者様たちが魔王を倒したとのこと!」
どよめく連合軍の陣営。
「とうとう勇者様たちがやってくれましたね。イスカ様!」
イスカの従者、栗毛のホトンが喜びに顔を綻ばせた。勝機を得た連合軍は、魔王死亡という報せを受け戦意を喪失し、逃げ腰になった魔王軍に追い討ちをかけていく。
やがて徐々に魔獣たちは散り散りとなっていった。
歓声をあげる連合軍の魔法使いたち。
「やったあ!」「これでおっかあの元に帰れっぞ!」「我らは勝ったのだ!」
手を叩いて喜びを分かち合った。
「これでようやっと戦いが終わる……。イスカ様とも会えなくなりそうで、今度はそちらが気がかりなことになりそうですな」
寂しそうな顔でそう話しかける白髪の老人。当時イスカは、この白髪の老人、ダラスと従者の女性ホトン、そして護衛のゼイルらとの親交があった。
イスカは鷹揚に頷き、
「大丈夫だ、ダラス。いつでも会いに行くさ。わたしもこの戦果には嬉しく思う。一度勇者殿たちにも会ってみたいものだ」
「イスカ様、それより俺には気になることが……」
黒いローブを纏ったゼイルが、大きな戦斧を肩に背負いながら、イスカに顎をしゃくって見せ、
「あの丘の上に陣取っているのは、連合軍で間違いないようですが……」
イスカも振り返って眺めてみる。後衛に控えた自分たちよりもさらに後ろに、白銀の甲冑に身を包んだ騎士たちの姿があった。
「確かに気になるが、まあ大方、高い位の貴族だろう。平民出の多い魔法使いの隊列に好きこのんで混ざる貴族もそういなかろうに……」
ダラスが薄くなった頭頂部をかきながら言った。
目のいいホトンが、突然声を上げた。
「弓を構えましたわ……!」
まさか自分たちに向けられたものとは思いもよらず、イスカたち三人はその光景に目を見張るばかりだった。
惨劇は起きた。
ホトンの咄嗟の機転で、その場にいたイスカたち三人は、突如自分たちの方へと向かって放たれた無数の矢を防壁を作る魔法でしのいだが、三人の周囲にいた魔法使いたちが矢に打たれ次々と倒れていったのだ。
一同は驚くことしかできずにいた。
他の魔法使いたちも防壁を作り、イスカたちと共にその場から空を飛ぶ魔法で逃げおおせた。
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