第四章 エラリィの悩み④

「ようやっと空の魔女を捕らえた……。これであの方もお喜びになられる……」

 白髪交じりの男が手を叩いて言った。

「まさか、そのお方と言うのは、デノムではないだろうな?」

 イスカもエラリィと同じく、廃屋で宙づりにされていた。

 このような連中であれば、魔法で一息に葬れるが、今のエラリィは普通の人間と同じ無防備で、そんなエラリィに男どもはボウガンを向けている。迂闊に手を出せば、エラリィを傷つけてしまいかねない。

 それでもイスカは強がっていた。一方のエラリィは精気を失ったように顔色が悪い。それはやはりエラリィがシャドレスとの連結を解いている状態だからだろう。

「それがどうしたあ? 今は魔女狩りで金を稼ぐやつもいるんだ。デノム様はそうした社会的事情を考慮して俺たちにも仕事をくださっている。ありがてえことだ」

 息を喘ぐエラリィをするすると下ろしていく悪漢たち。エラリィを寝かせ、男たちの一人がズボンを下ろした。

 女を虐げる男……、そんな時代の風潮に目も当てられないのはイスカだけではなかった。

 いつだって女は男に痛め付けられ、見下される……。

 同じ人間同士、わかり合うことが大事なはずなのに、こうした輩はどこにもいつまでも存在する……。

 ぎり、とイスカは奥歯を噛み締めた。

 ――今こそ魔法を使うべきか……。

「ハハッ。この女、体が弱いみてえだぜ? 犯されるのわかってるのに無抵抗だ!」

 部下の威勢のいい言葉に白髪交じりの男はなだめるように言った。

「おい、商品だからあまり粗末に扱うなよ!」

 迷うことさえこの状況では不利――。

 イスカは魔法を使って縄を切ろうとした。

 ……ライトニングテイル……。

 微かな声がイスカに届いた。

 闇夜の迫る廃墟の中を、所々蝋燭の灯りがあるが、それよりも目映い白線が、白波のように揺らめいた。

 力なく横たわるエラリィに群がった男たちが、白い火花と共に弾き飛ばされる。

「ガオス!」

 イスカが叫んだ。

 エラリィの衣服は幸い乱されていなかった。ガオスの目にはそう映った。エラリィの手に影刀を置くと、エラリィの髪が白銀から黒色へと変化していった。

 その場からガオスはジャンプし、宙返りする。最中、エラリィが「淀」を抜いた。エラリィに飛びかかる男たち。

 宙返りの途中で、イスカの縄を自前のナイフで難なく切ると、イスカは白髪交じりの男の前に降り立った。

 ガオスが地に着地する寸前――。

 十人近くいた男たちは、エラリィが刀を鞘へ納めると血を噴き出して倒れ、イスカは狼狽する白髪交じりの男に、下から上へ顎を穿つように拳を食らわすと、空の魔法による浮力が強めに効き、白髪交じりの男は屋根を突き破って果ての見えない夜空へと飛んでいった。

「イスカあああっ!」

「エラリィいいいっ!」

 何年かぶりの再会のような仕草で、互いが無事なことを確認したイスカとエラリィは抱き締めあった。

「昼間はごめんなさい……。冷たくしてしまった……」

 エラリィの謝罪に、イスカも謝罪で返す。

「こちらこそすまない……。よかった、お前が無事で……」

 悪党の頭領らしき男が飛んでいった屋根の穴からは、丸い月が静かに輝いていた。


 ルーノの診療所へ行き、ガオスたちはもう一晩夜を明かした。

 ガオスとイスカ、エラリィたち三人はどこか疲れきっており、ガオスがベッドに、イスカとエラリィは狭い待合室に並べられた椅子の上に寝、ルーノは部屋の奥の床で就寝した。

 ひっそりとした診療所周辺。しじまに虫たちの鳴き声が響いていた。


 やがて朝焼けが地平線の向こうで、眩しく光を広げた。

 斜光が診療所の窓から差し、ガオスは自然と目が覚めた。

 違和感をすぐに抱いたのは、部屋の様子が昨日より一変していたからだった。

 森の中にあった悪人たちのアジトと同じような廃れぶりで、室内の壁や床など至るところが剥がれたり破損していたりしている。

 ルーノの気配もなく、信じられない出来事にガオスはベッドから起きて、何度か部屋の奥へ行ってルーノを見つけようとしたが、眼鏡の医師の姿はどこにもなかった。

 起きろ、と声を張り上げ、イスカたちを起こさせ現状を知らせた。

「ルーノ先生がいないなんてそんなことあるわけ……」

 イスカがいいかけるも、魔女だからこそわかる特殊な感度でもあるからか、イスカは部屋を見回してから黙ってしまった。

「外は?」エラリィが問いかけると、

「まだだ、手分けして……」

 三人で探そうと促す気のガオスだったが、そこへ馬蹄が地を蹴る音が外で聞こえた。

 厩舎跡から出た三人が見たのは、数日前に見た役人の二人だった。

「ここで雨宿りでもしたのか?」

 馬上の役人の声はどこか震えていた。もう一人の役人の顔は、やや青ざめているようだった。

 ガオスは自分の身に起きたことを、端的に伝えた。

「病を治してもらったんです……。医師がいて、診てもらってたんですが、今朝になって医師の姿もなく、診療所の中の様子もおかしいなって……」

 役人二人は訝しげに顔を見合せ、

「ここはもう何ヵ月か前から廃墟になっている。……ここには医師とその家族が住んでいたが、山賊に殺されてな……」

 えっ! と三人は絶句した。

「いや、確かにこの目で見たはずなんですが……」

 ガオスは困惑しつつそう言いかけた。エラリィがその後に続けて、

「この廃屋のさらに向こうに、悪党のアジトがありました……。私やこちらのクーが襲われましたが……」ガオスに手を添え、「この赤髪の男と共に悪党を退治しました。昨晩はルーノ医師の姿は見られましたが。先ほど申したように今朝になってその姿は……」

「ふむ……。少しそのアジトというのを見て来よう」

 役人が言うと、ガオスが道を教えた。厩舎の中を通って草むらを過り、出くわした森を少し行ったところにある。

 何分か経ち役人たちが戻ってきた。

「手配書も出ている山賊たちだったようだな。傷を負って動けなくなっているようだ」

「ざっと十人はいた。応援がいる。呼ぶために私が近くの詰所に行こう」

「お前たちはお手柄だ。どうやって仕留めたかは知らんが、手柄に免じてここはお咎めなしということにしよう……」


 ガオスたち三人は、役人のいる場所から徐々に離れ、視界には下り坂が見えてきていた。

「不思議な体験をした……」

 エラリィがぼそりと呟く。

 実際、夢うつつのような出来事だった。ホットミルクをご馳走になり、ガオスの病まで癒した。そんな事実がありながらも、ルーノという医師は存在していなかったのだ。

「ルーノさん言ってたな。昔、山を下りていった時に残された家族が山賊に殺されたって……」

 ガオスはいつになく無表情だった。

「そのあとご自身も被害に遭われたとみていいようだ……」

 イスカの声もどこか沈んでいる。

「アタシはエラリィとまた繋がれてよかったわ!」

 エラリィの腰にあったシャドレスが嬉しそうに言う。エラリィはほとんど表情を動かさず、静かに頷いていた。

「道に迷ったと聞いたが、猿頭?」

「大丈夫。熱で頭が働かなかっただけだ……。面倒をかけたな二人とも……」

 イスカの肩を軽く叩き、エラリィの白銀の髪の生えた頭頂部に手を置いて、優しく撫でるガオスだった。

「貴様……気安く女の髪に手を触れるな! なあ? エラリィ……」

 前を歩いていくガオスの後ろで、イスカは立ち止まったエラリィの顔を覗き込む。

 エラリィが微笑んでいる。口元を微かに緩め、頬もどことなく赤い。撫でられた頭を両手で触りつつ、すぐにいつもの無機的な顔に戻った。

「エラリィ……。まさか嬉しいとか?」

「行こう、イスカ……」

 無機的な顔で、短くそう促すエラリィがどんどん先を行き、ガオスに追い付いた。

「前から聞きたいことがあった」

 エラリィがガオスに問いかけた。

「ガオスの趣味とか好きなものって何?」

「おれは旅をすることが好きだ。見たことのある景色でも、何度でも見に行くことが好きなんだ」

「旅、か……」エラリィは口を告ぐんで黙考した。それを不思議に思ったガオスは、

「どうしたんだよ。まあ、こうやってお前らと旅をするのも悪くはないさ。おれは十分楽しめてる。お前は?」

 エラリィは考えるのを止め、腰にある「淀」を一瞥した。シャドレスの黒い気配が、エラリィの迷う心を断ち切った。

「私も楽しい……」微かな笑みを見せるエラリィだった。

 その後ろではイスカが悩ましげに口元を曲げ、熟考しているようだった。

「あの表情に翻弄されないよう気を付けねば……」

 ライバル出現か、イスカはエラリィを見て一瞬そう考えたが、どこか嬉しくまた、楽しくもあった。

 スキップして追い付こうとしたが、ぬかるみに足を滑らせ背中から倒れた。

 気付いたガオスが振り向き、

「ヘタレ魔女……。そんなんだからヘタレって言われるんだよ」

 そして小さく肩をすくめるのだった。

「だーまーれーっ!」

 涙目になるのも不本意なイスカだった。

 水色の髪の少女にとってガオスへそう言い放つことだけが、せめてもの反発だった。

 背中汚れちゃたよお……、嘆くイスカを横目に、ガオスは背後に人の気配を感じた。鉄の体でそういった感覚も薄れたと思っていたが、そのときだけは気になった。


「ありがとう。さすらいの若人よ……」

 ルーノが坂の上で、娘と妻と横に並んで礼を述べた。

「病を治すことは医師としていい経験を積めたということだ。見返りは期待しないのも礼儀というものだが……。君たちはやってくれた……。私たちの仇を取ってくれた……」


 ありがとう……。

 風に乗ってそんな言葉が聞こえた気がしたガオスは、坂の上を見上げたが、そこには誰もいなかった。

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