第四章 エラリィの悩み②

 イスカは再びガオスを背負い、歩を進めた。

 小雨はまだ止まず、精霊が言っていたという鬱陶しいというのももっともだなと、エラリィは思っていた。

 そこでエラリィは、はっと気付いた。

「今、四ヶ国では魔法を使う者を取り締まっていると聞く。私も一緒に抱えるなどしてなるべく役人の目を……」

 誤魔化せないかと、意見してみようとした途端、道の奥から蹄鉄の響く音が聞こえてきた。

 白馬に乗った二人の男。白い衣服にダガレクス国の旗の紋様が縫われている。

 間の悪いことに、魔法を監視する役人たちがやって来たようだ。

 こんな時に、と歯噛みするエラリィ。役人二人の片方が馬上から声をかけた。

「子供が大人をおぶさるとは、なんとも不思議な光景だ……。娘、まさか魔法を使っていたりなどしないだろうな……」

「病人なのです……。この人の道案内がなければ、危篤にある二ーゼルーダの母に会えなくなってしまうのです……」

 演技力抜群なイスカを見て、エラリィは心で舌を巻く。

「娘、お前の事情などどうでもよいのだ。魔法を使っているかどうか、それを聞いている」

「使っておりません……」

 ほう、とどう見ても、小作りなイスカが嘘をついているように見える。硬いガオスの体も魔法を使用していることがわかれば、連行されてしまいかねない。

 エラリィは、最悪の事態に陥ったとして、この二人の役人に峰打ちでもお見舞いし逃げるか……、と思案していた。

 しかしイスカが思い切った行動に出た。

「力には幼少の頃から自信がありまして……。わたしこう見えて子供ではないんです」

 ガオスを木柵に寄りかからせ、何を思ったかイスカは着ていたローブを脱ぎ、半袖姿を見せつけた。

「このとおり、鍛えておりまして……」

 両肘を曲げて、袖口の腕の筋肉が膨れ上がった。幼さのある顔からは想像できない隆々たる筋肉ぶりに、役人二人は顔を見合わせた。

「このとおりの力でございます」

 イスカは言いながら、役人が乗ったままの馬を両手で持ち上げて見せた。

 暴れる馬の上で不規則に揺れるのを体感し、驚きと恐れからか低い悲鳴をあげる役人だった。

「な、なるほど……。確かに腕には自信がありそうだな。いやなに、最近ここらも物騒になってきていてな。賊が出没しているがために、お前たち子供では命に関わるとも思ったのだ……。まあそれほどの怪力さであれば賊も近寄ることはなかろう……」

 人の乗った馬ごと持ち上げるほどの力持ちに、役人も無理には問い詰めようとはしなかった。筋肉のつき具合をも調整できる魔法だとエラリィもわかっており、見抜かれる可能性もあったが、鬱陶しい小雨と、急ぎの用があったのだろう、役人たちはそう忠告すると馬に乗ったまま去っていった。

 ふう、と安堵の息を漏らす二人。

「見かけを騙す魔法だ。これくらいは駆け出しの魔女でも覚えやすいのだ」

「やっぱり見かけの魔法だった。実際に持ち上げたって訳でもなさそう……」

「ああ、直接手で触れる必要があるが、馬と役人を持ち上げたのも、腕力ではなく浮かせる魔法を使ったのだ」

 言ってイスカは再度、肘を曲げ筋肉を盛り上げて見せ、役人の台詞を真似た。

「"それほどの怪力さがあれば賊も近寄ることはなかろう"……」

 窮地をしのいだことを誇らしげに、イスカは役人の台詞と声音を真似て見せた。

 くすくすと微笑するエラリィだったが、柵に寄りかからせていたガオスが、頭からぬかるみに浸かりかかっていた。

「大丈夫か、猿頭!」

 イスカが慌ててガオスを抱き上げた。


 雨が止む頃には、牧草地もすっかりと夕映えの景色に変わっていた。

 黒に近い濁った雲の向こうに、陽光が

赤く滲んでいる。

 ガオスがいつも背負う黒い紐付きの袋はエラリィが背負って、二人は無言でぬかるみとなった田舎道を歩いていった。

 どうしたものか、と考えていたエラリィは、暗闇が押し寄せてきた遠くに佇む家屋の窓に灯りを見つけた。

 イスカに声をかけ、二人は急ぎ足でその家屋に向かった。

 そこは大きめの厩舎だった。

 家畜が十頭以上飼育できる広めの厩舎には、物の気配はなく、代わりにあったのは、灯りの元となっているであろう厩舎の一部を改築してできた一つの部屋だった。

 閉じられた引き戸へ歩いていく二人だった。イスカとエラリィの靴は水浸しで、歩くたびに靴の中の水が跳ね上がる音がする。

 それが部屋の中にも聞こえていたのか、中から人が出てきた。

 眼鏡をかけた銀髪の壮年だった。長身で顔立ちも整っており、来訪した二人を見るや相好を崩した。

「何かご用かな……。おっと、その背中にあるのは病人かね?」

 注意力が繊細なのか、イスカの背にあった赤髪の男を見た瞬間に、この壮年は心得たようで、イスカも話が早いと思ったのか、

「はい、えっと……少し休ませていただいても?」

「大丈夫だ。最近ここは物騒になってきている。娘さんたち二人と病人とでは危険だからね。中へ入ってくれたまえ」

 イスカとエラリィは低頭し、ありがとうございます、と口を揃えた。


 蝋燭の灯りが室内を照らしている。

 入り口には椅子と机があり、その奥にはベッドが一つ。そのさらに奥にはキッチンやトイレがあった。

 ベッドにガオスを寝かし、部屋の外で火を起こした銀髪の壮年が、ホットミルクを用意してくれた。

 イスカとエラリィは、ミルクに息を吹きかけつつ、少しずつ口をつけた。

「わたしがクーで、こちらの白銀の髪をした子がエラリィと言います」

 銀髪の壮年は、ガオスの寝るベッドの横に座り、湿った布を高熱のガオスの額に乗せていた。じゅうと熱せられる音を布が立てている。

「私はルーノという。ここで開業医をしていたんだが……」

「医者なのですか?」イスカが聞いた。

「そうだ。長らく患者の受け入れを拒否していた。まあ盗賊のお陰で、来院者が来なくなったというのもあるんだがね……」

「盗賊の話はここに来る時に聞きました。ルーノさんも何か乱暴をされたりなど……」

「古い家屋の中を改築したからね。見掛けで判断しているらしく、この中には入ってこないんだ。気を付けるべきは薬を調合する材料をそこら辺の草むらからとってくるときかな……」

「その赤い髪の男……ガオスは治るんですか?」

「"錆熱さびねつ"という特殊な病だ。特殊というのは、鉄化の呪いがかかっている状態での病状という点だ。鉄化していなければかからない病なんだが、症状としては普通の風邪と似たようなものだ」

「鉄になる魔法がかかった上での病気……」

 顎に手を当て、宙を見つめるイスカは、視線をルーノに戻し、

「そんな病が実在しているとは……。もしや魔法医の免許を?」

 魔法医とは、一般的な病などを治すための知識を修得した普通の医師とは異なり、魔法という人知を越えた力によって生じる病を治療するために、普通の医師よりもさらに魔法の知識を必要とした医師のことを言う。

「その通り。だが私の場合、主に魔法にかかった患者の治療を専門としている。魔法は戦争に用いられ、学業施設などができても、まだカーナゼノン全域には普及率が低いところがある。そのために、ここにもあまり患者さんが来なくてね。廃れてしまったんだよ」

 エラリィはイスカと話すルーノを眺めつつ、院内の壁や天井などが経年による劣化のためか変色しているのを見つけた。

 ルーノの話はまだ続いていた。

「何度も鉄化を解いたり、体の内側にまで達するほどの怪我をするとそこから病原菌が入ってくる……、というのが主な感染源だ」

 ルーノの言葉に、エラリィの体は一度強張った。

 だとすれば、森で斬ったあの時かもしれない……。

 静かにエラリィは思うと、椅子に座っていた姿勢を正し、

「どうすれば治るのでしょうか」

「命に別状はないからね。数日で治るんだが……」

「あまりゆっくりはしてられねえ……」

 ガオスがか細い声で言った。イスカは慌てて、

「馬鹿、あまりしゃべるな。病にさわるだろう」

 ガオスの言葉にルーノは頷き、

「それならこの建物の近くに実った『緑力の実』という実を採って来ればいい。それは私の仕事だからね。二人はこの人の看病でも……」

 言いかけたところで、エラリィが手を前にかざし、ルーノの言葉を遮った。

「私が探してきます……」

 いつになく目に力を込めて言っているのをエラリィは自分でもわかった。

 イスカが微笑し、ルーノも頬に笑みを刻むと、

「あなたにとって大切な人なんだね。今日は雨だし日も暮れている。探すのは明日にしよう。のんびりはしていられないだろうが、焦ってもいいことにはならないからね……」


 雨音は眠る頃には大分静まったようだ。

 それでも周囲の草むらは、雨後でも湿っており、肌寒さがあった。

 辺りから虫たちの合唱が聞こえる中、エラリィは厩舎の裏でシャドレスと話していた。

「淀」を持ち、鞘から少し刃を覗けさせる。

「シャドレス、今まで私を支えてくれてありがとう」

 突然のお礼にシャドレスも驚いたようで、

「急にどうしたのよ……。まだまだアタシたちの関係はつづくはずよね?」

 そこでシャドレスはエラリィがこの時何を言いたかったのかがわかった。

「あんたまさか……」

「しばらくシャドレスとの繋がりを切りたい」

「そんなことしたら、アタシから魔力を足しているあんたが、身動きとれなくなっちゃうじゃない?」

 エラリィは戦争で深手を負って以来、シャドレスの魔力を少しずつ足していきながら、二人で供給しつつ、生き長らえてきた。シャドレスとの関係を断てば、エラリィはいずれ、時間の経過と共に動けなくなる。

 それをわかってまで、エラリィはシャドレスの魔力を断とうとしていた。

「あんた……そこまで思い詰めてるの?」

「不本意だったけれど、斬ってしまった。そしてそれによって、ガオスが病にかかった……。私の責任……」

「何を言うの? それはアタシも同じなのに……少し冷静になりなさいよ」

「すまないけど……」

 ぷつんと何かが切れる感覚がした。

「あんた自分から魔法で繋がりを切ったわね?」

 エラリィは「淀」を投げ捨てたい衝動にあった。

 それでも我慢して「淀」を掴み、ルーノの診療所へ向かうと、ガオスの寝そべるベッドの頭の方に「淀」を寄りかからせた。

 そしてイスカの寝ている小さくて狭い待合室の並べられた椅子に、横になった。

 シャドレスはエラリィを何度も呼びかけたが、魔力によって繋がれた二人の特異な関係は、その晩修復されることはなかった。


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