第四章 エラリィの悩み①
第四章 エラリィの悩み
十年ほど前にシャドレスと寝食を共にし始めてから、エラリィは片時も「
シャドレスの闇の力を纏ったこの刃は、シャドレスと同様大事にし、盗賊などに襲われてもすぐに対処できるよう、眠るときも肌身離さず抱くようにしていた。
その日の夜も、エラリィは「淀」を腕でくるみながら眠りに就いていた。
ふと自分の腕から「淀」が外れてしまった気がし、盗人か、と臨戦態勢を取ろうとしたところ、それは気のせいだった。愛用の刀はしっかりと腕と胸に挟まれたままで、エラリィはほっとすると、再び瞼を閉じようとした。
そこでガオスがすでに火が消えた焚き火跡を挟んだところで、膝を折り畳んで座り、目を閉じているのを見つけた。
見張りは同行者たちと順番に行うことが常だが、ガオスは自分から進んで交代なしの見張りを買って出ていた。
頼り気のあるこの赤髪の青年の目を閉じた姿を見て、エラリィは微笑むと今感じた「淀」が離れていく感覚に「淀」が鉄化しているガオスを欲しているのだろうか……と思った。
影刀という、闇の眷族シャドレスの魔力を纏った呪われし刃――。その得物に生き物じみた欲求があるからか、エラリィにまでそれが伝わったからかはわからなかった。先日、ガオスを半死状態にしたために、エラリィやシャドレスは、近いうちに何らかのお詫びをしようと考えていた。そうするには、この赤髪の青年がどのようなものを好き好んでいるのかを知る必要があった。
好みの品を贈って、お互いに仲良くなろうという考えである。
二ーゼルーダまであとどれくらいかまでは、土地勘の薄いエラリィにはわからなかった。もしまだ数日かかるとして、その間にガオスの嗜好を尋ねてみるのもいいだろう。
ある日ガオスたち三人は、谷間にある平地で一夜を過ごした。
谷底に流れる川は緩やかで細く、昨晩の夕食時に使用した鍋をガオスは洗いに来ていた。
そこへ川岸の砂利を踏む音が聞こえ、ガオスは振り向くと、その音がエラリィの足音であることを知った。
「よ、よう」朝の挨拶がエラリィとしてもまだだった。ガオスが軽い挨拶のあと「おはよう」と視線はゆすぐ鍋へと注ぎつつ、改まってもう一度挨拶をした。
「おはよう」エラリィは少し明るい声音で挨拶を返す。
エラリィの左側の腰には「淀」を携えたままだった。ガオスの右隣に座って顔を洗おうと手で水を掬う。
するとガオスは、中腰のままエラリィから離れて、鍋をひっくり返し鍋底の水を切った。
エラリィはガオスのその所作が気になりながらも、ガオスの趣味嗜好を聞こうと、中腰の姿勢でガオスに近寄った。
直後にガオスは、鍋をもって立ち上がり、エラリィの後ろを通りすぎ様、
「ヘタレ魔女は起きたか?」
「まだ眠っている……」
「お寝坊さんめ……。おれが叩き起こしてやる……」
いつも通りの様子だったが、ガオスが坂道を上がっていったのを尻目に、エラリィは少し考えていた。
「嫌われてる?」
避けたような行動をガオスがしているように感じた。
朝日の照る川岸にエラリィの影が伸びていた。その影の中でシャドレスがこう返した。
「やっぱりまだ気にしてるのよ……あの時のこと」
シャドレスのいうあの時のこととは、エラリィも気にかけていた、ガオスに刃を向けたことだろう。
「お詫びをするかどうかの前に、あの人の中では、私たちと距離を置きたいのかもしれない」
「まあそれが普通よね……。でもあなたも息苦しいんでしょう?」
そう……、エラリィの顔がいくらか萎んだように見えた。
「一度謝罪はした。でもそれで私たちの行いが許されたかというと、あの人の今の振る舞いを見ているとそうでもないように感じる」
ま、そうよねえ、シャドレスはエラリィの言葉に納得していた。
谷から上がって、しばらく歩いていくと道が見えてきたので、ガオスたちはその道を歩いた。
その時のガオスは、エラリィとイスカのいる反対側の道端を歩いていた。
両の道端には木の柵がありその裏側には、野草が乱雑に生えている。
雨模様だったために、道は泥でまみれ、水溜まりが時おり歩行を妨げる。
「ここ何日か、ガオスの様子が変」
イスカに尋ねるエラリィにイスカは笑みを浮かべ、
「元から変なやつだ。どこがおかしい?」
「まず顔が赤い……。息も荒い気がする」
「油を飲んでるが、油で酔っぱらったってのはなさそうだな」
イスカは何か気づいたように、
「もしや、ガオスが赤面してしまうほどの誰かに恋心を抱いているとか……」
「バカな……」エラリィは瞠目した。今も反対側の道を歩いているガオスだが、歩き方もゆっくりだった。
「もしそうだとして……どちらに?」
「うーん……」イスカは数秒考えたのち苦笑した。
「やっぱりわたしになるのか?」
「そ、そうか……!」エラリィは目を見開いた。イスカは続ける。
「困っちゃうなあ……。いくらわたしが空の魔女だからって、好意を持たれてもなあ……。ヘタレ魔女って呼び方変えてくれたら、うーん、ま、付き合ってやってもいいかもしれないけどお……」
「でも実際は……」エラリィが言いかけると、イスカは予め承知していたように、
「そ、そう……。実際はそんなことないのかもね。相変わらずヘタレ魔女って呼ぶし……」
本当に心苦しそうに、イスカは眉根を寄せつつ瞑目した。
「違う。私が言いたいのは、物理的な距離感を如実に感じているということ」
エラリィとイスカは、ガオスへと視線を投げた。
今も自分たちとは反対の道を歩き、距離感も同伴者としてはやや離れぎみか。
鬱陶しい小刻みの雨の中、それを見ていた二人は、どことなく心細くなったようで、自分たちの方からガオスへ近づいた。
「待て。なぜそんなに距離を置こうとするのだ?」
イスカが尋ねた。ガオスは振り向き様、こう言った。
「道を間違えたっぽい……」
えー、と目を丸くするイスカとエラリィ。質問に答えていないが、ガオスは尚も顔色が赤く、息を荒げている。
「きっ貴様……さっきから顔が赤いぞ……。そんなにわたしが気になるのか?」
いや……、とガオスはいつになく力なき声で否定した。
すると覚束ない足取りで、イスカの前に立ち塞がった。
「ど、どうした……。そ、そんなにわたしが気になるのかっ……。その、わっわたしの呼び方さえ気をつけてもらえれば、わたしとしてはその……」
ガオスの鋼鉄の体が、イスカに覆い被さってきた。
抱き締められたと思ったのか、イスカは、きゃあ、とすっとんきょうな声をあげ、
「な、ななななな……!」
華奢なイスカにはガオスの巨躯に抱かれると、見えなくなってしまいそうなくらい小柄だが、イスカはガオスにそうされて、かろうじてガオスの体躯を力で支えようと踏ん張っていた。
エラリィから見て、それはガオスの温もりを、直に感じていたいという下心にも映った。
「ど、どうしたのだ。猿頭! 本当に猿みたいに動物並みの旺盛さになってしまったのかっ?」
エラリィはイスカの肩に乗せたガオスの顔が尋常ではないくらいに赤く、熱を帯びているのがわかった。そっとガオスの額に手を添えると、
「熱い……」
「えっ、エラリィまで!?」
「ガオスはどうやら風邪でも引いているようだ……」
巨漢のガオスをイスカがおぶさって、小雨降りしきる田舎道を歩いた。
木柵はまだ道の両側を連ね、草は伸び放題で、柵を越えるくらいにまで生えている。近くに牧場があるとしても、この手入れの行き届いていなさそうな感じから、ひと気はないようにエラリィは感じていた。
エラリィは鋼鉄の体であるガオスを背負うイスカを見て、
「本当に重くない?」
「少し滑稽な絵面かもしれんが、空の魔法は重力などの物理的法則を無視できる。ガオスは今赤子よりも軽い魔法にかかっている。だが、こんなところを役人にでも見られたら魔法を使っているのがバレバレだな……。今までのこいつとの旅ではその都度気を付けてきたことだから、それがバレてしまえば今までの苦労が台無しになる……しかし何かの病気なのか? バカは風邪を何とかと言うではないか」
「精霊たちの力を借りて、回復させるというのは?」
やってみるか、とイスカに提案したエラリィは、そう述べたイスカが道端の木立の下でガオスを下ろすのを手伝った。
緑葉に雨の滴る音が頭上から聞こえてくる。イスカは目を閉じ、指を絡ませた。
「世界にあまねく大地と天空の狭間にて、小さき存在である我らを常々見守る精霊たちよ……。どうかこの男に精霊の加護を……」
以前の森の時とは異なる文言だった。唱え方を変えただけで、空の魔女であるイスカの内面に潜むクリスタルの力は発揮されないということはなく、精霊と呼応できる。無論、最五の魔女以外の魔法使いなどが同様のことをすると精霊は無反応になるとエラリィは聞いたことがあった。
……やあ、空の魔女……。……またその男の人かい?……。……雨が鬱陶しいねえ……。
精霊たちの声が、枝葉の繁る下にいるイスカたちの耳にこだまする。
「応じてくださりありがとうございます。この男が病にかかったようです……」
……この前は助けたけど、こう雨が鬱陶しいと、我々もやってられないねえ……。……そう何度も我らの力に頼るのは、そなたたち人間の行く末が心配だ……。……近くに力になってくれる者がいるようだ……。……ごめんなさいね。我々も人間と同じく気まぐれなんだよ……。
絡めていた指を解き、イスカはガオスを挟んで向かいに座るエラリィに口を曲げて見せた。
「精霊はなんと?」
「精霊たちも生きている。気分によって行動することもある……。あまり頼ってばかりでは困るとも言われた……」
「では、自力でどうにかするしかないんだね」
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