第三章 影の剣士④

「何を言ってるの?」闇の眷族がエラリィの足下から紺色の双眸を浮かび上がらせ、

「あなたも見たはずよ。アタシたちの手であの赤い髪の人が殺されている姿を……」

「クリスタルには達していなかった。それはお前たちに殺意がないという証拠だ」

 心像クリスタルは人の体を司り、命を支える重要な役割を持っている。殺し屋として日々を営むはずのエラリィたちが、急所でもある心像を外したとなると、生業に悪い影響が出る。

 そんな不利益なことがあるにも関わらず、仕事の対象であるガオスを完全なまでに仕留めなかったのはなぜなのか。

「ガオスは生きている……」

 イスカのその言葉にエラリィははっと目を見開いた。イスカは続ける。

「それはお前たちに何か別の意思や思惑があるからでは?」

「バレてるわね……」闇の眷族がそう言うと、

「元からあの人を殺すつもりはなかったの。確かにマガラウザの側近であるデノムからの依頼となれば完遂して絶大な信頼を得られるのは間違いなかったけど……。アタシたちは、皇帝を怪しんでいる」

「お前たちもそう思うか?」

「かつてのマガラウザは病弱で、他者を避け孤独であったと聞いているわ。でもいつからか様子が一変したらしいの」

「魔王軍との戦争終結後からだとされる……」

 エラリィが小声でそう言うと、イスカもその考えに心から同意したくなった。イスカもダガレクスに幽閉され始めた八年も前から、皇帝マガラウザに違和感を覚えていた。

 他人を忌避するような言動や、玉座にも座らず自室にこもることもあったという。そのくせ、小動物に興味を示し、言葉を発する鳥を飼っていたというのは、イスカについた召し使いから聞いていた。

 権力者としての威厳を感じ始めたのは、そうした首を傾げたくなるような行いを見てから数ヶ月が経った頃だろうか。

 どちらかといえば、それまでのマガラウザは魔法が使えるほどの魔力はなかったように思える。しかしある日を境に、イスカが籠っていた部屋の外から感じる魔力が強くなったのが、どうやら皇帝からのものらしいと感じたのはイスカだけではなかったようだ。

 その境というのは、魔女狩りが始まってからだ。以降、マガラウザが以前とは異なる強い魔力を宿していたというのはイスカも覚えている。

 エラリィの意見に同感できるのは、そこだった。

 水を得た魚だ、とイスカは少し興奮気味になった。会って間もないのに、こうまで考え方が一致しているとは……。東方から移転してきたというのは偽りだったが、自分とは異なる人間であるはずなのに、ここまで気が合うのも神憑り的なものを感じる。

「そうか、やはり……」イスカは口元に手をやり、「マガラウザ皇帝の中に魔王メゼーダの魂が乗り移ったと考えていいようだな。これまでずっとそう推測してきたが……」

 エラリィとは同じ考えや似たような感覚を持ち合わせている。

 その事実に若干心が弾む。イスカは続けた。

「わたしやエラリィたちと似たような考えを持つ者は、おそらく四ヶ国を統治しているダガレクス帝国内外で存在しているだろう。わたしはずっと悩んできた……。こうしてあの猿頭に守られながらダガレクスから逃げてきたのも、マガラウザに不信感を抱いていたからだ。当然追っ手が来るとは予想していたが猿頭に助けられた。向こうにも何か企みがあるのかもしれん。精霊たちからも源素の四人の魔女が捕らえられたと聞いた。マガラウザは殺めるつもりはないらしいが」

 イスカは顎先に添えていた手をどけ、

「わたし自身にもある考えがあってな……」

 そう言葉を区切ったイスカは遠くの景色を眺めた。

 そこには吉兆か凶兆かどちらかを表すと言われる青白い星があった。

「あんたも何か目論見がありそうね。それにしても、最五の魔女が四人一気に捕らえられるなんて……。皇帝は何を考えているのかしらねえ」

 闇の眷族がエラリィの足下で言った。

「共にマガラウザを倒すのであれば、私も手を貸す」

 エラリィは落ち着いた口調だった。マガラウザが魔王メゼーダと同一だとして、苛烈さを増す戦いになることは間違いないだろう。そんな大局に陥るかもしれない状況でさえ、エラリィは顔色一つ変えず、手を貸すと言ってくれた。

 嬉しさもあった。心強さも。エラリィという少女との数奇な出会いが、イスカに鬱積した種々の思いを解消し、計画を成し遂げようとする意気込みに背中を押してくれたようだった。

「ありがとう。助かるよ。エラリィ」

「私たちは魔王を倒すという同じ目的がある。イスカがニーゼルーダに何か用があるなら、私たちもそれに付き合う」

「ニーゼルーダに行くことは、わたしの目論見を成し遂げることと同義だ。すまないな。ダガレクスに直接赴けば手っ取り早いのだろうが……」

「相手は強大よ」闇の眷族が口を開く。

「下手に突っ込むよりは、あんたには元々考えてきた色んなことがあるようだから、それに合わせるわ。最五の魔女で最高位の空の魔女であれば、その考えも見事なものであるでしょうし……」

「ありがとう。早速、ニーゼルーダを目指そう。だがその前に……」

 イスカの語尾に重なるように、森の中から雄叫びが聞こえてきた。

「おおおおおおおっ!」

 ガオスだった。

「聖なるブーツキーック!」

 地を蹴って、両足をエラリィの顔面目掛けて飛んだ。ところがエラリィは軽く体を横に反らして避けた。

 白いブーツを履いたガオスが、あれえっ? と間抜けな声を発して、エラリィの後ろにあった窪みに落ちた。

 エラリィとイスカは微笑しながら窪みを覗き込むと、ガオスがひっくり返っておりブーツも靴底が外れてしまっていた。

 くすくすとエラリィとイスカは笑いあった。

 すでに彼方の山の峰には、陽が昇りつつあった。

 三人の後ろに影が伸びる。

「こうまでおバカさんだと、アタシたちの考えにも賛同してくれるんじゃないかしら?」

 闇の眷族がそう言ってフフと影の中で笑うのだった。闇の眷族は続ける。

「アタシの名はあってないようなものだけど、シャドレスって言うわ」

「よろしくシャドレス」イスカはエラリィの影に手を伸ばすと、微かな感触を感じた。握手を返してくれたのだろう。

 窪みから出てきたガオスがこの場にそぐわない言葉を放った。

「そいつとも仲良くなってんな。おれ、命狙われたんだぜ?」

 ガオスが殺されかけたのは間違いないが、イスカはエラリィたちと手を結んだ経緯をガオスに打ち明けた。


 窪みから出、胡座をかいて地に座るガオスは顔をしかめつつ、

「そうか。お前らも皇帝を、ね……」

 神妙な顔つきで話すガオスに、シャドレスは、

「あんたもマガラウザに不信感を抱いていたの?」

「最初は皇帝から最五の魔女を捕らえてこいって命令が下ったんだ。同時に大魔法使い、バーセルからこのヘタレ魔女を助けてほしいって手紙を受け取ってな。迷ったんだが、結果こいつをニーゼルーダまで送ることにした。マガラウザがメゼーダの転生した先であるかどうかは推測でしかないが、おれはその考えに同意する。ヘタレ魔女にも以前話したっけな」

「貴様もマガラウザを怪しんでいると言っていたな」

「おれだけじゃなく、ヘタレ魔女やエラリィたちも同じ考えだったってことか」

「転生魔法という術は、多くの魔女には知られていること?」エラリィが質問に、イスカが答えた。

「人間の願望の一つに、不老不死というものがある。最たる欲求ともいえるものだが、それをものにするために魔法使いを目指す者も少なくはない。だが、習得には素質や魔力などさまざまな面で秀でていないと難しい。わたしや他の最五の魔女たちは、普通の人間と比べ死への価値観が異なると思っている。わたしは別段、永遠にこの世で生きていくことは望んではいないが、魔王であれば魔王らしい強い欲望も相まって、転生の魔法をものにしたいという願いは常にあるだろう……」

「だからと言って……」ガオスが再び語り始める。

「手段を選ばず、処刑を間断なく行ってきたマガラウザの冷酷ぶりに、おれも黙ってはいられねえ。八年が過ぎた今、決意を新たにしなければならなくなったってことだ」

 ガオスはすっくと立ち上がった。

「お邪魔じゃなければマガラウザを倒すって計画には乗るぜ?」

 イスカは胸の前で腕を組みそっぽを向いた。

「べ、別に邪魔ではない……。付いて来たいならそうしろ。猿頭……」

「へっ。なに照れてんだかなあ」

 ガオスに向かってイスカは声を張り上げた。

「てっ照れてなどいない!」

「すまなかったわね。偽りであることと回復されることを考慮していたとは言え、あんたを一度殺しかけたのだから……」

 そのシャドレスの言葉に促されるように、エラリィは今一度、低頭した。

「ごめんなさい。ガオス……」

「いやいや……」

 とこっそりとエラリィの腰にある鞘に収まった刀の柄を見つめ、

 ――しばらく、殺されかけたときのこと思い出しそうだな……。

 半ば冷や汗の出かかる状態が続きそうな自分の行く末に、ガオスは苦笑するしかなかった。

 やがて暁闇となり、ガオスたちに白色のまばゆい始まりの光が注がれた。


「ようやくお出ましか……」

 ダガレクス城の玉座にて、マガラウザは高い背もたれに宝石がいくつもはめられた椅子に座りながら、重たげな声で一言呟いた。

 デノムが赤い絨毯の上で跪き、

「仰せのとおり、最五の魔女のうち四人を捕らえて参りました……」

「空の魔女はどうした? あやつは元々この城にいただろう?」

「せ、先日、城から逃げたとの情報を知らされました」

「ガオスはどうした? 当初あやつに最五の魔女を捕らえよと命じたはずだ」

 デノムの額から汗が滲む。マガラウザの思い通りにことが運んでいないことから、デノムは自身に憤激が降りかかると不安と緊張が入り乱れ、発汗が止まらなかった。しかし、計略に乏しいガオスの頭であれば、デノムの術中にはまることは容易だった。

「聞いた話では、奴もダガレクスを出、空の魔女と合流、他国へと向かっているとのことです……」

「ほう……。命じた割には兵も連れて行かず、顔も見ていなかったからな。そういう腹積もりだったと言うことか……」

 デノムの額の汗が、頬を伝い床へと落ちた。

「ではガオスを見兼ね、うぬが魔女らを捕縛したのだな、デノムよ……」

「おっしゃる通りでございます、皇帝陛下!」

「個人主義である連中をよくぞ捕らえられたな」

「ダガレクスよりももっとも北にある、バーダーレン山脈のとある岩山の麓に、洞穴を掘って生活しておりました。魔女狩りの時勢に顔向けできないと、穴に籠っていたようですな。空間短縮の魔法を使い、閲覧の窓から彼女らを発見いたしました……」

 空間短縮魔法――。魔法の中でも上位にあるその魔法は、空間をねじ曲げ、遠くはなれた場所にいる相手の様子を見ることができる。それを閲覧の窓といい、戦争時には重用されてきた魔法だった。

 デノムは続ける。

「あの者たちに今や陛下のおかげであらせられる、このカーナゼノンの中心と言われる我がダガレクス帝国存亡の危機であることを文で伝えましたところ、快諾してくれました。あの者たちも最五の魔女と呼ばれる最高位の存在であり、民衆から拝まれる存在……。心根は慈悲深いのでしょう」

「そうか……。報償は弾ませよう。下がれ」

 は、と頭を深く垂れると、マガラウザの顔を一瞥することもせず、デノムは玉座を出た。


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