第三章 影の剣士②
「最五の魔女はここにいる……」
と親指を自分の胸に向け、
「人にあるとされる
隣にいたエラリィが興味津々に頷いている。神父の目がはっと見開き、何かを悟ったような顔になった。
「その通りです……」瞳が涙でたゆたみ、
「現実には存在せずとも私たちは心像を内包する存在……。それはあなたの言うとおり、最たる五人の魔女もここにおられるということです……!」
そして神父は感極まり、虚空を抱くように両腕を広げると、
「おお、最五の魔女よ、心像よ……。この子らに祝福の光が注がれんことを……」
再び信者たちと神父が祈り始めた。今度はイスカとエラリィへと祈る対象を変えて。
気持ちが変わったのか、エラリィは顔を背け、教会の入り口を目指し歩いていった。イスカもそのあとを追った。
この町は、道の整備も行き届いているくらいに栄えているようだった。
イスカがそう感じたのも家の連なりと連なりの間を通る道が石畳だったからだ。
「どうしたのだ?」
後ろから声をかけるイスカに、エラリィは前を向いたまま、
「源素の魔女は信じたいけれど、私が祈られるのは嫌……」
「謙虚なんだな……。わたしなんか逆に嬉しさが倍増してしまった……新たな快感というか……」
でも……、と言ってエラリィは立ち止まり振り向くと、
「私やあなたは源素の魔女ではない……。私なんか特に、拝められるようなことは何もしていない。あれは盲信的で、自分の眼で世界を見ていない気がする」
先ほどの信者と神父のことを言っているのだろう。
「確かにな……。だが、盲信的なのは、祈るべき依り代がある場……ああいう教会や教えを説く場では必然的なのではないか? だからこそ信者というと思うのだが……」
出会って間もない同年代らしき相手に、力説をしてしまった。しかしエラリィは表情を変えず、
「そう……。まあ嫌いなら近づかなければいい。それだけの話」
イスカは反論した自分に同意してくれたエラリィが、ますます気に入ってしまった。そこでこう尋ねてみた。
「今日はこの村に泊まるのか?」
「いえ、私は罪深き人間……。人を傷つけてしまいがちだから、村のどこかで野宿でもと思っている」
「いくら剣の腕が達者でも、悪漢に囲まれたら一溜りもないだろう。どうだ? お近づきの印として、同じ宿の同じ部屋に泊まらないか? なに、宿代はわたしの連れが何とかしてくれる」
「連れがいる? その人に反対されない?」
「大丈夫だろう。あいつも猿頭だから、エラリィを気遣ってくれるはずだ……」
ここまで自分の思考を押し通す体になってしまったイスカは、エラリィの考えも聞いておきたいと、考えを改めた。
「別に嫌なら無理強いはしない。エラリィの思うようにしたらいい」
エラリィはほんの少し、口元を緩めた。
「いえ。お言葉に甘えてみる……。クーといると何か楽しい」
ふふっと二人は笑みを交わした。
イスカを探していたガオスは、教会に顔を覗かせても、姿がどこにもないことを確認し、他にイスカかが行くようなところはどこか、と考えたが、一旦宿屋に戻って、このブーツだけでも置いていこうと決めた。
宿屋につき、すでにチェックインしていたガオスとイスカだったので、建物一階の奥の部屋に宿泊することになっていた。
こじんまりとした小さな宿。宿泊費も安く、またミダルのときと同じ、古びた木造だったために、二階に泊まるのを躊躇したところ、宿屋の主人は一階を選ばせてくれた。
歩いて部屋の前までやって来る。ガオスはイスカが行方知れずとならないか、急いで荷物を置いていこうと思い、勢い余って扉を開けた。
はた、とガオスの歩みが止まった。
白色の裸体をさらけ出した少女二人が部屋の中にいたのだ。
一人は水色の髪のイスカだった。白い下着をつけ、小振りな胸にくびれた腰を曲げて着替え中だった。もう一人は誰なのか知らない、白銀の髪をした少女だった。乳白色の肌に、下着は黒色だった。二人とも体がまだ成長途中の起伏に乏しい線を描いてはいたが、白銀の少女の方は胸の膨らみが少し目立った。
ガオスはその光景に数瞬目を奪われたが、イスカが声を張り上げた。
「着替え中だ! さっさと出ていけ!」
慌ててガオスは扉を閉めた。
「すまんかったな……」
ばつの悪い顔をして、ガオスは再び部屋に入った。二人の少女はベッドの縁に並んで座っていた。すでに寝巻きに着替え終えた白銀の少女と水色の髪の少女に、ガオスは謝罪したのち、自分の主張も述べた。
「だがなあ……。着替えるならそっちもちゃんと鍵を閉めるだとかしてほしいぞ?」
「まあ仕方あるまい……。その……」
突然、イスカの頬が赤く火照った。
「あれくらいで男というやつは興奮するものなのか?」
「それ私も興味ある……」
そう静かに口を開くのは、イスカの横に腰かける、エラリィという少女だった。自己紹介はガオスが陳謝する前に終えており、ガオスはその美しい白銀の髪に内心驚いていた。
「興味あるって……。なに言ってんだよ、エラリィ……。もう一人分の宿代はどうするつもりだ、ヘタレ魔女?」
エラリィのことを指摘してみる。イスカは胸の前で腕を組み、
「旅は道づれ世は情け、と言うではないか。宿代はわたしが払っておく」
「珍しく、融通が効くじゃねえか。ヘタレのくせに」
「黙れ猿頭……」
にらめっこをするガオスとイスカに、エラリィはくすりと微かに笑った。
「一つ気になったのは貴様の肩にあるその白い物体なんだがな……」
「ああ、魔装具の一種だ」言いつつ、手を差し出してきたイスカにガオスはブーツを手渡した。
「聖なるブーツとか言う割には魔装具だからな。恐らくこれを売ってた商人のおっさんが客引きでそう言ったんだろうよ……。空を飛べたりできるらしいが、手に持ってみてどうだ?」
イスカはブーツを逆さにしたり、踵の部分を叩いたりしながら、
「魔力をあまり感じない。事前に魔力
宿してあるものを解放する型ではないようだ」
「魔装具にも色んな形式があるらしいな?」
「魔力を事前に備えているものは、解放してその道具の真価を発揮する。このブーツはまず魔力を注ぎ込む必要がある。蓄積型というやつだな。魔力を靴底へ蓄積させるタイプで、魔力を解放することでブーツとしての役割を果たす。空を飛べるというのはあながち嘘ではないようだ。しかし武術に覚えがない人間でないと宝の持ち腐れだろう……」
「なら、おれにうってつけって訳か」
「貴様はどの流儀なんだ?」
「色んなのが混ざってるからな。ほぼ我流に近い」
「仕方がない。こうして手に取るのも何かの縁だ。少し魔力を溜めさせてやろう……」
「わりいな……」
とのやり取りの中、エラリィはずっと黙していた。ガオスは口数が少ない子なのだろうと、頭の片隅で思っていた。
その後、イスカは仰向けになって本を広げながら宙に掲げ、エラリィと一緒に読んだ。
ガオスは彼女らを背に、窓の外を眺めつつベッドの上で眠りの体勢だった。
「この話、お菓子の家っていう設定が好きなんだ。東方にもお菓子ってある?」
「ある。アンコという甘い具の入った饅頭というお菓子とか、食べるとぐいーっと伸びるお餅とか……お餅にも色々あって、きな粉っていう粉を振りかけた甘い食べ物があったりする……」
「ぜひ、食べてみたいものだ」
「でもアンコやお菓子でできた家なんて、蟻とか湧いて出てきそう」
「ああ、それもそうか……。おそらくこの物語には記載はないが、魔法でなんとか害虫を避けていたのでは……」
「虫除けの魔法……。そこまで気にするような魔女には思えない……」
まあな……、等と挿話についてあれこれと話し合う二人を尻目にガオスは今夜こそベッドの柔らかな心地で休眠できそうだと思っていた。
夜も更け、イスカは眠りが浅いことに目が覚めてしまった。
傍らには友達になったばかりの同い年の子がいる。
それだけでイスカの気持ちは柔んだ。
ところが、
黒と紺のイメージ――。
不意に脳裏を過った強い力の圧を、すぐ近くから感じ取った。
慌ててエラリィの方を向くと、エラリィは寝息を立てて安眠の最中だった。
気のせいか……。と半ば安心して、イスカは再び眠りに就いた。
ガオスはひしひしと、並々ならぬ鋭利な気配を、イスカとエラリィのいる背中の方から感じ取っていた。
それは眠りに入ろうとして、室内の灯りを消したあとから少しずつ尖り始めているような気がした。
ちくちくと針で恐怖を縫い付けられるような、そんな感覚でさえもあった。
瞬間――、
聞き覚えのある金属音。記憶違いでなければ、抜刀の音に近かったそれは、殺気を伴ってガオスのベッドへと突き立てられた。
ベッドから転がり落ちたガオスは、窓から細やかな明かりを差す月光に、刃物を突き立てたとおぼしき人物がそこに姿を現したのを見つけた。
「エラリィ!?」瞠目した目の先には、長い得物をベッドから抜き取る、エラリィの姿があった。ガオスのその声に奥のベッドで寝ていたイスカが目を擦りながら起き上がった。
「どうしたのだ!?」声を張り上げるイスカはすぐにその状況を把握したようで「エ、エラリィ!?」と名を叫んだ。
月明かりで、エラリィの髪が白銀から黒色へと変化しているのをガオスは見逃さなかった。
そして彼女の手にある長い得物――、前時代の戦争の時にも目にしたことのある東方の武器、刀だった。刀身は煙がくすぶったかのように瘴気を纏っている。
ただ者ではない……、ガオスはそう直感すると、
「ヘタレ魔女! 荷物を置いて逃げろ! こいつはどうやらおれを狙っているみてえだ!」
「誰がヘタレだ! 貴様はどうする?」
おれは……と口にした瞬間、ガオスは窓を突き破って宿屋から逃げた。
「エラリィ……どうしたのだ? お前がまさか人を殺めるようなことをするなんて……」
髪が漆黒を纏い、別人と化したかのように見えたイスカには、エラリィの突飛な行動自体が信じられずにいた。
呼びかけつつ、少しは心安い間柄になった安心感から、イスカは気さくさを装ってエラリィの肩に手を触れた。
稲光が光ったように、イスカの思考回路が一弾指、何かに捕らわれた。
エラリィの記憶……。
子供の頃から身寄りがなく、人買に売られこき使われた。
不慣れな生活環境で奴隷のように扱われ、農作業などの重労働を強要させられた。
その光景を見つめるイスカからすれば、心像の化身である自分がかつて城で尊ばれ、時代の移り変わりと共に、世の魔女たちの居場所が限られてきたことを連想させる。
農家で強制労働を強いられていたある晩。食事の量もいつも少なく、空腹で眠れない夜を過ごしていた。
他の部屋から聞こえてきたのは、エラリィをこき使う農家の主人とその妻の声だった。
「あの子も段々使えなくなってきたね……」
「なに……また売るかどうかするさ。まあ買い取れやしねえだろうから、死ぬまでこき使うくらいしか利点はねえがな」
嘲笑のように笑う声が、不気味に感じられた。
酩酊した主人が千鳥足で、エラリィの部屋へと入ってきた。床に寝そべるエラリィを無理矢理起こそうと馬乗りになって、腕を強く掴んできた。エラリィは華奢な体で抵抗し、しばらく揉み合っていたが近くにあった壺で主人の頭を殴った。
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