第三章 影の剣士①

第三章 影の剣士



「今回の仕事はこいつだ……」

 とある町の路地裏。

 影を纏いし黒髪の少女は、山高帽を被った男に、ある依頼を受けていた。

 手渡された依頼対象である人物の似顔絵――。赤い髪を逆立て、頬はややこけており、爛々とした丸い目は成人のわりにどこか子供のような顔つきだ。

「鉄化の呪い、というのをかけられているそうだ。……表皮は鉄のように硬く、矢や剣、槍でも殺せない。そこでお前の出番というわけだ……」

 山高帽の男は漆黒の少女を見つめた。

 濃紺のツーピース姿に、帽子を深く被り、素顔まではわからないが、帽子の下から覗ける顎先は尖ったように繊細な顔立ちを思い浮かばせる。スカートの裾から出た膝から下は細くなめらかな脚線美が見えている。

「鉄を斬ると言われるお前の剣術なら、簡単に依頼をこなせるだろう……。デノム様もさぞお喜びになるだろうな……」

 男は山高帽の先を一度触って深く被り直すと、じゃあ、頼んだぞ、と言い残し路地裏から出ていった。

 漆黒の少女は似顔絵に何を思ったか、口を一文字に引き結んだまま、似顔絵を折り畳んで服の内側にしまった。


「五万ネダだ。それ以上は譲れん……」

 ガオスとイスカは、ダガレクス帝国と二ーゼルーダ国の中間の辺りにある町に立ち寄り、それぞれ旅の疲れを癒すため、ガオスは買い物、イスカは教会へと赴いていた。

「頼むよ、おっさん。もう一万ネダまけてくれねえか?」

 露店が多いこの町の表通りの、道具売りの商人に、しぶとく値切るガオスの目当ては、聖なるブーツという、白色の長靴だった。

 魔法を施した品物が、五万という値段で売られている。ダガレクスにしばらく身を置いていたガオスにとっては外国の品を見るのは久しぶりで、その価格には目を見張るものがあった。

 魔法を施していない普通のブーツであれば、相場はだいたい一万から二万くらいの値がつく。

 元々は六万の値がついていた品を、五万からさらに一万の値引きをしたとしても、ガオスには思い切った買い物になるのだった。

「お客さん」と商人は困った顔をし、

「こっちだって生活がかかってるんだ。南西から遠出して、このブーツが一番の目玉だってのに胡散臭いつって誰も買わなかっ

た。結果的にこの金額でってことになってな……。聖なるブーツだぞ? 光を放ち、空をも飛べるという超レアな品だ」

 広げた敷物の上にはその一品しか残っていない。この商人の言うとおり、遠出した末に売れ残った最後の物品のようだ。

 しかしガオスもなかなかに財布の紐は固かった。

 こそっと壮年の商人に耳打ちするように、

「それ魔装具だろう?」

 商人の顔がみるみる青ざめていった。

「前時代で活躍したっていう魔装具だ。おれも参戦してたから何となく覚えていてな……。あんたが魔装具を売ってたってことは内緒にする。入手ルートも無理には問いたださねえ……」

「かつてマガラウザ皇帝の部下だった奴かあんた……」

「立場は下の方だったがな……。今言った条件で、もう一万ネダ、値びいてくれねえかい?」

「し、仕方ねえ……。四万ネダだ!」

 よっしゃ! としゃがんでいたガオスは膝を叩いた。


 中年の商人の泣く泣く譲歩した姿に、ガオスも買い手として半分の申し訳なさと半分の幸せな気分というどっち付かずな気分が到来していた。

 魔装具はこれで一つ回収した。商人には言ってなかったが、別に魔装具を持った闇商人などを取り締まっているわけではない。そして、それを狙う転売者というわけでもない。

 ――ただ欲しかったというわけでもねえんだよな……。今後どんな敵が出てくるかもわからねえから、持っておこうってね……。

 肩にぶら下げた白いブーツが、鉄の体にぶつかっているのか高い音を立てている。

 鉄化の呪い……。イスカにも告げていた体の状態にガオスは改めて思考を巡らせていた。

 露店から去ろうとした際、商人は神妙な顔つきでこう言っていた。

「最近、鉄をも斬るっていう武器を手にした輩がこの辺をうろついてるって話を聞いた……。まあ見た感じあんたはただの旅人のようだが……。目をつけられねえよう、そのブーツは大切にしまっておくんだな……。あんたにゃちゃんとそのブーツを使用してもらわねえと、俺が身を削って譲った意味がねえ……」

 狙われることになるのは、護衛の仕事として最初で最後になるかもしれない、あのヘタレ魔女だろう。ガオスもダガレクスの追っ手にいつ狙われてもおかしくない状況だ。イスカなら教会に行っているはずだ。教会であれば信心深い人間が多く集まる場所なので、一人でも大丈夫かと思ったのだが……。

 ――あのおっさんの言うとおりなら、おれが斬られるってこともあり得るってことだな……。死ぬより先に仕事は全うしてえ。あのヘタレ魔女のところへと急ぐか……。


「源素五つの心像クリスタルである最五の魔女――。私たちは決してその存在を軽んじてはなりません。なぜなら、凡夫でさえも心像という心の財を保ってこの世に生まれたからです……」

 イスカはクリスタル教会の屋内にある最前列の椅子に腰掛け、神父の説教に耳を傾けていた。

 ――おお……。ここはいいところだ……。こんなにまでわたしを大事に思う人々がいて嫌な気になるのは嘘というもの……。

 クリスタル教――。

 この四ヶ国の大陸、カーナゼノンに散らばった、人々を守る「源素の心像げんそのクリスタル」という存在は、大昔から人々の間で拝まれ続けてきた。

 ダガレクス帝国とその帝王であるマガラウザの目には、魔女狩りと称してイスカたち最五の魔女よりも下位に存在する多くの魔女を、魔王を降臨させた最たる原因である魔法という存在と共に、この世から抹消するという計画をこれまで遂行してきた。

 そこにこのクリスタル教という人々の心の拠り所となる宗派への弾圧もあり得るとして、多くの信者や魔女などは一時、夜も眠れない日が続いたという。だが、蓋を開けてみれば、マガラウザも人の子であったためか、民の拠り所を断罪するまでには及ばなかった。

 その温情をかけた理由がなんであれ、民はマガラウザの寛大さに改めて世を統べる王としての器を見いだし、信頼を寄せた。

 空の魔女の他に、地の魔女、水の魔女、火の魔女、風の魔女がこの世のどこかに現存しているといわれ、もっぱらクリスタル教の崇拝者たちは、その五人の魔女を心像の象徴として、日夜、祈りを捧げているという。

 それはこの教会の一番前の席で、空の魔女という身上を偽って説教を聞くイスカにとって、大変に喜ばしく、愉快で、満足のいく事柄だった。

 神父は開いた書を手に、祭壇の前で教えを説いていく。

 祭壇の上部の垂れ幕と、神父の衣服にはクリスタルの紋様が縫い付けられていた。

「私たちは決して一人ではありません。一個の集合体であり、それは人々を絶望から救う、希望の大連帯であるのです……。さあ心を開き、皆さまが皆さまの心像へと祈りを捧げるのです……」

 神父が指を絡め、瞑目するとイスカ以外の信者も同じ所作をとった。

 むむむむぅ……と瞳を潤ませ、顔を紅潮させるイスカの心は、歓喜へといざなわれた。

 ――嬉しいっ。あの猿頭にも見せてやりたい!

 その時、横ですすり泣く声が聞こえてきた。

 教会を訪れたときから傍らにいた、同年代らしき、白銀の髪の色をした少女が、感極まって泣いているのだろうと、イスカは自分と共感できたようで、嬉しさを抱きながら、その少女の顔を覗き込んだ。

 ――ガン泣きだ……。

 まじまじと白銀の少女を見つめるイスカは、なぜこうまで涙を流すのだろうと、自然と浮かんだ疑問に、ためらわず声を発していた。

「どうしてそんなに泣いている?」

 白銀の少女は面を上げた。

 白と銀の混ざった透き通るような輝きは髪の毛とは思えないほどに、繊細なガラス細工を連想させる。髪の色にあわせたような白皙の肌と、対して漆黒の瞳、そして整われた鼻梁から口元にかけての顔の作りは、陶器のように美しく、泣き顔で崩れていたかと思えば、表情は無機的で硬かった。

 濃紺のジャンパースカートの下は、白い襟つきのシャツで、大人しそうな雰囲気は、無機質な表情と同じだった。

 ――同じ白銀でも、白虎騎士団とは段違いだな……。

 思っていると、白銀の髪の少女の小さな口がこっそりと、本音を隠すように細やかに動いた。

「嬉しいから……」

 とても喜んでいるようには見えなかった。涙声というほどでもないその声の感じからも、顔つきと同じく感情をさらけ出すような気配はない 

「嬉しい? 嬉し泣きということか?」

 そう訪ねた方がこの少女にふさわしいだろうか。イスカは彼女からの返答を待っていると、少女は黙って頷き、

「ここは源素の心像の化身である五人の魔女を崇める場所。魔女狩りの被害に遭われている下位の魔女たちと、普通の人々の支えとなる、最五の魔女を崇めることは私にとって嬉しいこと……」

 そしてまた目の縁に溜まった涙を拭うのだった。

 イスカはこの少女の述べたことに、心から賛同したかった。主に自分が誉められ、称えられていると感じていたためにある種の高揚感というものを抱いていたからだが。

 この少女とは何かの縁を感じたイスカは、共有して喜びを分かち合いたいという思いに駆られるのだった。

「そうか。君もか。実はわたしもそう思っていてな……。こうして共感を得ることは今まであまりなかった。そう、実に喜ばしいことだ。これほどまでに心地よさを感じるのは……。共感というのは人と人の間ではよくあることなのだろうが、こうまでも心地がよいものなのだな」

「お名前は……」白銀の少女がそう尋ねた。

「申し遅れた。わたしの名はイス……ではなく、クーという。よろしく頼む」

「私の名は、エラリィ……。東方からここまでやってきた」

 東方……、と異国を意味する言葉に、イスカは遠くを見つめつつ、エラリィの傍らに長柄のようなものが入った包みを目にした。そこでイスカは合点がいった。

「もしかしたら、それは刀という武器か?」

「そう。片刃の剣で幼い頃から共にしてきた。私の親友のようなもの」

「なるほどな……」東方の民族は頭髪が黒いことで知られているが、髪の色は白色のような銀色という正反対ともいえる色だった。

 その時、祈り終えた信者たちが神父の周りに集まって、信者の一人が神父にこう質問した。

「最五の魔女なんて、まだ生きていらっしゃるの、神父様……。魔女狩りで捕らわれたと聞きましたが……」

 神父はその問いかけにこう返す。

「確かに、この間全員が捕らえられたと噂で耳にしました。私たちの神ともいえる存在がこうも無惨に捕らえられるとは……。胸が張り裂けそうな思いです」

 それを聞き、イスカは急に否定したくなった。イスカは立ち上がり意見しようとしたが、同時にエラリィも立ち上がり、

「そんなことありません。神父様……」

 目を丸くする神父に、イスカも続け様にこう言った。

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