第二章 ある村の処刑台⑤
ガオスの頭上に、禍々しい魔獣を描いた光が浮き上がった。
恐怖心からかガオスから離れる村人たち。中には走って逃げ出す者もいた。
火が予想通り支柱と縄に燃え移った。縄を引きちぎって、ガオスは飛び出すと広場を背に走り出した。
その渦中、あろうことかミダルは魔笛を吹いた。
不意をつかれたティクスは路地裏から広場の方へ向かうと、魔笛の音色を覚え、それに畏怖の念を抱いていた村人たちが、三々五々散り散りになり、広場は大騒ぎとなっていた。
討伐組の何名かも、逃げ惑う村民を縫うように走り、魔犬を探しているようだ。
赤く闇を裂く処刑台の残り火。
悲鳴を上げ逃げ惑う村の住民たち。
村は混沌の渦に巻き込まれていた。
宿屋から移動した先の建物の奥にデウルスは身を隠していた。扉の向こうには何名かの護衛がいる。
だが安心しきっていい状況とも言えない。
頭を抱え、自分の犯した罪を頭の中で繰り返し思い起こす。
宿屋の娘に以前から目を付けていた。
薪を集めに来たところを無理やり押し倒し、服を脱がせてことに及んだ――。
馬鹿なことをやらかした……。その時同行していた仲間が後に次々と魔犬にやられ、次は自分の番か、とデウルスの心中は鐘がけたたましく鳴るような、忙しない気分であり続けた。
そう思っていた瞬間、外でかまびすしい音がした。壁か何かを突き破って、魔犬が侵入してきたのだ。
小刻みに体を震えさせるデウルスは、魔犬の吠え声を聞き、その震えが意に反して度を増していくのを感じていた。
――止めてくれ……。俺が、俺が悪かった……。
デウルスを隠した小部屋の外では、討伐組が奮戦していた。
魔犬の数は十匹くらいか。
魔王の産み落とした吠える使いの犬たちを、討伐組の方から槍や剣で刺し殺したりもすれば、魔犬の方から飛びかかり、討伐組はそれを片手間にかわし仕留めたりする。
辺りには魔犬の死骸と青い血が飛散し、討伐組の勝利がほぼ確実なものに近づいていた。
走って村から脱したガオスは、宙を飛んできたイスカと、村からいくらか距離のある場所で落ち合った。
「怪我はないか、ヘタレ魔女?」
「貴様も火傷までは負っておるまい、猿頭」
互いの安否を確認し、二人は月下の森の中を歩いていった。
イスカの嘆きが、夜空に響いた。
「ベッドの温もりが恋しい……」
「まあしょうがねえ。おれが妙に目立っちまえば、いくら友人と言えど泊まるのは無理だろうな……」
言いつつ、ガオスは横を歩くイスカの背に注目した。
「重かっただろう、その荷物……」
「ああ、これか? 少し中を見させてもらったぞ」
「は?」ガオスは耳を疑った。「なに勝手に人の荷物を……」
指摘しようとするガオスを無視し、イスカは袋から小箱を取り出した。
「いつもは大事そうにポケットにしまっているようだが……。この箱に何が入っているか非常に興味があってな……」
それは先日の朝にガオスが懐から取り出し額に添えて祈りを捧げた物だった。
「おい、よせ。それは……」
「中には何が入っているのだろうなあ?」
日頃の鬱憤をここで晴らす気か、とガオスは素直に困惑して、何とかイスカの手からそれを取り返した。
「むっ。どうして教えてくれない?」
「仕方ねえ。今後二度と触れないようにここでしっかりと教えておく。その前に荷物……。華奢なお前が持つにしては重すぎるだろう」
そうして荷物ごとガオスの手元に戻ると、
「じゃあ先いくな」
「あ、待てこら貴様」
走り出したガオスにイスカも追い付こうと駆け出す。
月が二人をささやかな光で見つめるかのように、闇空に瞬いていた。
当然ながらその晩も野宿だった。
ガオスは少しだけ仮眠をとったあと、見張りに集中した。
次第に朝日が野原にあまねくように昇ってきた。
森から抜けた平野に遮るものはなく、その光はイスカをも目覚めさせた。
毛布にくるみながら、イスカは眠気眼でガオスに問いかけた。
「感触をあまり感じないということは、睡眠もとらなくていい体なのか?」
「試したことはねえが、習慣みたいなものさ。眠るように体が出来上がっているのかもな。昨晩も少し仮眠をとっただけだ」
「そんなんで旅に支障を来すか心配だな……」
「大丈夫だ。お前のことはしっかり守る」
は、とガオスの台詞にイスカは目が覚めたように起き上がった。顔は薄く桃色に染まっている。
「な、何を言うかっ。わたしは空の魔女だぞ。貴様に助けられずとも……!」
「大丈夫だ。おれはお前が助ける、だからな」
にっと歯を見せて、ガオスは笑った。
「おれはお前を、ではなく……、おれはお前が、守る……か。……貴様……」イスカは真顔になってガオスを見つめた。
そこへ馬が駆けてくる音が聞こえてきた。
ガオスは追い剥ぎかと、咄嗟に火を砂で消し、イスカにフードを被せ地に伏した。
虎の意匠を施した兜……。ティクスらしき人物と二人の騎士が馬に乗って現れた。
「わたくしでございます。ガオス様……」
どうやらティクスで間違いないようだ。ガオスはイスカと息があったように立ち上がった。
「何しに来たんだ?」
「今回のあらましをお伝えしに……」
ティクスは二人の騎士と下馬し、ガオスたち二人はその場でティクスから村の事の顛末を聞いた。
「……魔犬を操っていたのは宿屋の主人、ミダルさんでございました」
「そんな……ミダルが……?」
「ミダルさんは村長の息子、デウルスとその仲間に、娘さんを強姦されたという過去があったのでございます」
「魔獣に襲われたというのは嘘だったのか……」
「行商から買い取ったという魔装具、魔笛で魔犬を操っていたとのことでございます」
「村人や娘のターヤはそのことを知っているのか?」
「昨晩の騒ぎに紛れて、デウルスさんが襲われましたが、腕利きの討伐組を護衛につけ、なんとか死地を免れましてございます。ガオス様の公開処刑で多くの人だかりと、魔獣が入り乱れ、ものすごい喧騒でございましたから、目撃者もほとんどおらず、それはターヤさんも知らないことになるかということでございます……。ミダルさんは騎士団で捕らえ、ダガレクスへと収監される途中でございます」
「今後、ターヤと宿屋はどうなる?」
「幸い、ミダルさんの義理の母親がしばらく面倒を見ることになるとミダルさん自身が申しておりましてございます。ミダルさんの行方は村人には知らせておりませんが、どのみちターヤさんは肉親を失い、いずれ村中にミダルさんが娘を捨てたというような噂が広まるのでは……、ということになるでございます」
ガオスは顔を足元へ向けた。
ティクスの言う通り、いつか娘を置いて逃げた、などという噂も出回るだろう。人の噂も変化していく。最悪の場合、事実と同じような噂も巻き起こる可能性もあるに違いない。
旧友だったミダルにそのような酷な身の上があったとなると、何かしら世話を焼いた方がいいのかもしれない、とガオスには思う部分もあった。
だが――。
ガオスは顔を上げた。
「ミダルの処分は?」
「今後、ダガレクスで裁定をくだされることになるでございます。殺人は回避されてはいますが、今後、デウルスやその仲間たちも罪に問われるでしょう。いずれはダガレクスの牢獄に収容されることになるかと。ですがそれはミダルさんも同様。魔笛を持っていた事実がある以上、何かしらの刑に処されるのは明らかでございます」
「ターヤがデウルスに襲われたと告白すれば、ミダルの罪も軽くなるんじゃないのか?」
ガオスの友を思う訴えにティクスは俯き、
「どうでしょうか……。わたくしにその権限はございませんし、ガオス様のご友人であれば何らかの手を貸したいところではございますが……」
どうやらガオスの思い通りには行かないようだ。
ガオスは自分の足元へ視線を向け、唇を噛むと、一呼吸間を置き、ティクスに目を向けた。
「話は聞かせてもらった。わざわざありがとな、ティクス……」
「いえ……。それでは、わたくしたちも忙しいのでこれで失礼いたしましてございます……」
ティクスは言うと乗馬し、二人の配下とその場を後にした。
ティクスは、待たせている部下たちのところまで馬で向かっていた。
――ガオス様……、わたくしも心苦しいのでございます。
友人が科人となり、ガオスにも何ら感情が浮かばないわけではないだろう。友人の身に起きた事実をそのまま伝えたティクスだったが、そのことでさえどことなく罪の意識があった。
――旧知の間柄であるミダルさんを助けるには、城内でも英雄として見られていたガオス様でも難しいでしょう。旧友を秤にかけるのでさえ、冷酷とも言えるものでございますが、どうやら今のガオス様は別の目的があるようでございます……。それはあの少女とも関連がありそうでございますね。
「何とか罪が軽くなる方へ行けばいいんだがなあ……」
腕を胸の前で組んだガオスは、悩ましげに呟いた。
ティクスたちと別れたガオスとイスカは、道中そんな話をしていた。
「友人といえど、犯罪者にかわりはない。いくら身内の復讐とはいえ、ミダルさんも現在取り締まりの対象である魔装具を所持していた。それを取り締まる人々に任せるしかない……。友人とはいえ何でも手を貸すというわけにはいかないのは猿頭にもわかるだろう?」
明け方のまばゆい光を浴びながら、目的地へと歩くガオスとイスカだった。
ガオスは静かに懐かしい風景を思い出していた。
「魔王軍と戦ったみてえだな?」
八年ほど前。
魔王軍の生き残りと散々やりあったガオスは、残党狩りの軍からはぐれ、あの村にほうほうの体でたどり着いた。
村の入り口で壁に背を預け休んでいたところを、ミダルにそう声をかけられたのだ。
「金がない? 気にすんな! 怪我が治ったらその分うちで働いてくれればいいから!」
当時からミダルの腹は出っ張っていたものの、その優しさにガオスの荒んだ心は随分と救われた。
宿代分は働こうと意気込んでいたガオスだったが、結果としてはミダルの親切心に甘えることになった。ミダルの方から宿泊分の代金はツケに回しておくという形になったのだ。
そして三年前にようやく、ツケを払い終えた。その分を支払いに来たのではなく別件で泊まりに来たと嘘をついて。
懐古的な景色に眼底が一杯になった気がした。
「確かにヘタレ魔女の言うとおりかもしれねえな……」
「わたしも気の毒だなとは思うぞ。……貴様……、まさか旧友も救えない冷たい奴だと己を思ってはいないだろうな……?」
息を吸いながら、ガオスは後頭部に両手を持ってきて、
「まあ大人になれば、思い通りにいかないこともあるのはわかるさ……」
「……だ、だが……」
と急に立ち止まったイスカに、ガオスも歩くのを止めた。イスカはガオスの顔を覗き込み、
「わたしはまだ生きている。それは少なからず貴様が……その……守ってくれているからだろう?」
ふ……。とガオスはイスカにではなく、振り返って日の出に微笑した。
「守ってくれているおかげ? 単に報償金に目が眩んでいるだけかもしれねえんだぞ……」
「それでもわたしは……、き、貴様に感謝しているし、今後も頼りにしている……」
昇り始めた陽光に目を細める。
「そっか。まあそう思ってくれることにおれも感謝しておくよ……」
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