第二章 ある村の処刑台④

 重量感のある音がホールに響いた。床を粉砕し、犬たちが跳ねてそれを回避する。

 ガオスとしてはできれば魔犬たちを手にかけたくはなかった。

 ――この手で命を奪うのはもう沢山だ……。

 そのようなガオスの一心が、意識せずとも行動に出させた。

 ……ライトニングテイル……。

 囁くようにガオスが詠唱する。目で追うこともできない速さで、自分たちを取り囲んでいた魔犬の群れを牽制する。

 光が夜闇で暗くなった玄関ホールに

残光をちりばめた。所々、火花のような現象を起こし、犬たちへの抑止効果をもたらした。

 犬たちは突き破って来た窓から尻尾を巻いて逃げていった。

 ティクスやデウルスたちに一瞬風が過り、ガオスは元の位置に戻った。

「ガ、ガオス様? 今のは一体……?」

 一驚に喫するティクスにガオスはどう説明するか迷っていると、

「まさか、お前か! あの魔獣を操っていたのは!」

 デウルスが声を張り上げる。ガオスを指差し、手摺を支えにして立ち上がると、

「捕えてください、騎士の方々! その赤髪の男が怪しい!」

「い、いや、おれは……」

 弁解しようとしどろもどろになるガオスは、助けを乞おうとティクスに目を向けるが、ティクスは勇敢にも扉を開け放し、騒ぎで駆けつけた他の騎士たちに指示をする。

「周辺を捜索、まだ魔獣がいるかもしれません!」

 そしてティクス自身も外へ出た。

 辺りをくまなく目視で調べるティクスは、小さく息を吐きながらガオスに近づき、

「この者を怪しんでいるのでございますね? デウルス様……」

「変な魔法も使っただろう……。魔獣を殺さなかったのも怪しい……」

「すみませんでございます、ガオス様……」

 と、近くにいた配下の騎士に顎をしゃくり指示するティクスだった。ガオスの両手首に縄を括る様を見つつ、ガオスの耳元に近づき、密やかに一言告げた。

「わたくしにある考えがあっての行いでございます……」ティクスは片目を一度閉じてみせた。


 村の中央にある広場で、ガオスは磔にされていた。

 これから公開処刑が行われる。支柱にくくりつけられた体の下には、火がすぐにでも焚けそうな枯れ木や枯れ草などが集められていた。

 ダガレクスの統治下にあって、こうした非常識的な行いも罰せられるべきだろうが、ティクスたちダガレクス帝国の精鋭はあえてそれを黙認している節があると、ガオスは感じていた。それも金髪の女騎士長の思惑なのだろう。

 外との行き来も少ない村では娯楽も少ないので、人の死に様を観覧するというのは、古くからの習わしとしてあり、ある種の娯楽としても成りたっているのだった。

 村中の人々が集いに集って晴れやかな表情で、ガオスを見上げている。

「いやー。やっとこさ村を襲った奴の処刑が決まったぞう!」

「処刑自体がこの村じゃ久しぶりじゃないかい?」

「半年くらい前に近くの森で捕まえた魔女を火炙りにしてからだねえ」

 下品な笑い声を上げる村人たち。中には石を投げつける者もいた。

 ――参ったな……。こりゃ完全に巻き込まれてる……。

 ガオスが思っていると、村人たちの中からこんな声が聞こえてきた。

「村長さんの息子さんが、あの赤髪の奴が魔法を使っているところを見たんだとさ」

「それなら間違いなく魔女の類いだね!」

 どうやら村長とその子息は、村人からの信頼も厚いようだ。

 ガオスとしては、あの場にいた村長とその息子デウルス、そして、召し使い、ティクスとその配下を守るためにやったのだが……。

 ――くそっ。親切心が裏目に出ちまった!

 夜中の村の広場には大勢が見物しに群がっている。広場の至るところにある松明から、高い位置に縛り上げられているガオスにも村人たちの様子が窺えた。

 しかしそこに、ガオスが火炙りの刑に処される一因としての存在であるティクスの姿と、この村にまで来た経緯を語るには必要であるイスカの姿を見かけることはなかった。

 ――ティクスの奴、おれをこんな目にあわせてどういうつもりなんだ? お任せくださいって言っていたが……。それにヘタレ魔女はどうしてる?

 少し首を動かし広場から村の家々を眺めていると、ある家屋の屋根に小柄な人影があるのが目についた。


「ガオス様、非礼をお許しくださいますよう……」

 宿屋の一室でティクスはそう呟いた。

 ティクスは村長の屋敷を強襲した魔獣を、操っていた人物が恐らく間近にいると思い定めていた。

「騎士長、我々はどうしますか?」

 背後に立っていた部下にティクスはこう促した。

「念のため宿屋全体を囲んでくださいますか?」

「魔獣とその飼い主の目星はついているのですか?」

 部下の質問にティクスは、ええ、と首肯し、

「わたくしの他に二人、ついてきてください」

「お、俺にも何人か護衛をつけろ!」

 声を震わせつつ言ったのは、デウルスだった。ティクスは聞こえないよう溜め息をつき、

「討伐組の方々をデウルス様にお付けいたします」

 部屋の脇にいた、長髪で軽装の戦士と他数名の討伐組がデウルスの周りに配置された。

「元はギルドに登録していた冒険者でございます。今回の魔獣討伐のため、わたくしがギルドに掛け合い、共闘することになりましてございます」

「ふん、誰だっていい。とにかく俺を守れ!」

 デウルスの様子にティクスは若干怪しんだ。

「何かしでかしたわけでもございませんでしょうに、やけにご自身の身を案じておられますね」

「な、仲間が殺されかけたんだ……。あいつらとはもう一緒に村の外にも行けない……。次に狙われるのは俺かもしれないんだ……」

「その根拠は?」

 ティクスは詰め寄る。被害者の記録を見聞きしていたティクスは、それがデウルスの友人たちであったという事実を思い出した。

 退治する対象が魔獣の類いであれば、その行動や思考は未知の領域だ。デウルスが怖がるのも自然な考え方だろう。

 しかしデウルスの友人に限定された今回の被害者たちには、どこか不自然さがある気もする。デウルス自身、自分が次の標的であると予見しているのも彼ら三人の間に何か事情があるからだろうか。


 甲冑を纏い、白虎騎士団は宿屋のぐるりに散開した。

 ティクスは配下の騎士を二名引き連れ、宿屋の近くにある路地裏にまでやってきた。

 騒がしい広場からは死角となる場所で、暗闇に紛れて口に笛を咥えている人物を発見した。

 路地裏の奥にある壁際だった。ティクスはその人物に声をかけた。

「あなたでございますか? 魔獣を操っていたというのは……」

 影を帯びたような気配を感じさせるその人物は、ティクスの方へ顔を向けた。

 月を隠していた雲が、のろのろと動いていき、月の光明がティクスたちの白銀の甲冑を輝かせる。

「どこでわかった?」

 家の影でまだその人物の顔は明らかにはならない。

「今さっき、村長の家を襲った後、わたくしが外に出た時に見覚えのある人が茂みへ入っていくのを発見いたしましてございます」

 犯人とおぼしき人物が一歩前に進み出た。

「その後ろ姿……主に頭髪でしたが、あなたの髪の毛は、昼間、村民の皆さんの顔を拝見したときにはあなたしかその髪質を持った方はいらっしゃいませんでございました……」

 ティクスら三人の前に出てきたのは、ちぢれ毛を生やした、胴回りの大きな男、ミダルだった。


 広場では祭の時のように騒々しく村人たちが会話をしたり、手を叩いたり、笑い声を上げたりしていた。

 鉄化の呪いを被っているガオスには、火炙りはさして問題ではなかった。

 むしろ火が上がれば、縄や支柱に火が燃え移り、逃れるのも容易になる。

 唾を吐きかけられた。

 髭を生やした女性が、不気味に笑って見せると、その手にあった松明でガオスの足元にあった枯れ木に火をかけた。

 赤々とした炎が闇の中に燃え盛った。

 多少の熱さを感じたが、鉄化していない生身の人間が感じるであろう熱さよりはほとんど感じてはいないだろう。

 冷静に事を構えているガオスを見て、村人たちはつまらなく感じたのか、ブーイングをし始めた。

 やかましく一文字だけの批判が広場にこだまする。

 しかしそれでもガオスは気がかりに感じていた屋根の上の人影が、どうやらイスカらしいということに気づいていた。

 イスカと思わしきその影の肩には、ここまでの道中、ガオスが抱え持っていた、旅の道具を入れていた袋があったからだ。

 どういうつもりなのか、ガオスが黙って見ているとその人影が仄かに光った。


「魔笛……。魔獣をペットのように操れるという、大戦時に開発された魔装具のひとつ……。恐らく闇取引で手に入れたものでしょう。なぜあなたがそれを?」

 詰め寄るティクスに、いつまたミダルが魔犬を呼び出すかわからない様相だったが、手にしたウォーハンマーの先をミダルを威嚇するように向けて、背後には二人の騎士を控えさせ、徐々に近寄る。自身の行いが見抜かれていたとあって、ミダルの戦意もほぼ喪失していたように考えられる。

「娘のターヤの復讐のためだ」

 ミダルは一言告げるとこう続けた。

「他人には魔獣に襲われたことにしておいた。小さなこの村では、敬われる村長とその家族が中心となって、かつての戦争を乗り越えてきた。一体感というものが強くてね。俺みたいに少しでも一人でいる時間を大切にしたい人間は、厄介者扱いさ。だからターヤが村長の息子デウルスと仲間たちに強姦されたと訴えても誰も信じちゃくれない。強姦したと知ったのも、薪を拾いに外へ出た時、デウルスとそのお仲間が、ターヤを犯したと自慢気に話していたのを聞いたからさ。真実を知っているのは俺だけだ。ターヤは心と体に深い傷を負い話すこともできなくなった。だから俺は行商から高値で魔笛を買い取り、何度か魔笛を使って魔獣を操る練習をした。ここひと月でターヤを犯した男たち二人を歩けなくした。そして今夜……。デウルスに復讐する予定だったんだが……」

 ミダルは罪を告白しつつ、家と家の間から広場の様子を見ているようだった。

 ティクスにはそれが、処刑の渦中である旧友のガオスに注意を払っているように見えた。

「まあ、騎士団にばれちまっちゃしょうがない……。素直にお縄につきますよ」

「娘さんはどうするのでございます?」

「俺はこの村の連中を嫌ってるが、亡き妻の母ケイがいて、その人には信頼を寄せてる。ターヤの面倒を見てくれるから、その人にターヤを託すつもりだ。だが俺が捕まったことは内緒にしてくれないか。ターヤの仕返しは出来損ねたが、その罪を犯した代わりにどうか、俺が魔獣を操っていたことは内緒に……」

 ティクスはそれを聞き、迷っていた。

 村長の息子にも科があった。宿屋の主人の娘を複数で強姦したことは許されざることだ。

 しかし今、自分たちがここに出向いているのは魔獣とその操り手となるものを捕縛することだ。

 その時、広場の方がどよめいた。

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