第二章 ある村の処刑台③

 一階のとある部屋では、ティクスが窓際に立ち、外の様子を眺めていた。

 この位置からは、広場の様子をある程度確認できる。

 魔獣の討伐は魔女狩りの一貫で、帝国軍としての派兵とは別のものだった。表向きは魔獣討伐を掲げているが、皇帝から寵愛を受けているティクスの父であり、討伐省の大臣を勤めるブルタールが、愛娘であるティクスに期待をかけていた。ティクスは長年、訓練を施されてきた騎士としての腕前を試みるというのを念頭に、この村へと派遣されたというのが、裏の目的だった。

 夜の帳の降りた村の一角で、ティクスはあの赤髪の英雄のことを思い起こしていた。

 ――あのお方であれば、この問題も一気に解決できるでございますのに……。

 それにしても……、とティクスは天井を仰視した。いくばくか前から上の階の床板が、やかましいくらい音を立てている。

 ちょうどティクスの部屋のベッドの真上から聞こえる。

 ティクスは恐る恐るベッドの上を覗き込んだ。

 突如大きな音と共に、脚を曲げて座したままの状態の何者かが二階の床を突き破ってきた。

 そのままティクスの寝泊まりする部屋のベッドまでを破壊したが、姿勢は脚を曲げた状態のままだった。

 ティクスは驚きのあまり口に手を当て、硬直しつつその何者かの顔を見て目を丸くした。

「ガ、ガオス様ではありませんか!」

「ティ、ティクス? 何で騎士団長のお前がここにいるんだ?」

「この村のある問題を解決するために、村長と父上が協議し、わたくしが派遣されたのでございます。村長の館の何部屋かをお借りするか、野営をするか考えておりましたが、村長もわたくしたちのために心を砕いてくださり、わたくしの部下は館で宿泊しております……。わたくしは率先垂範を掲げ、魔獣が暴れるというこの村の中央に近いこの宿で先見として、いつ魔獣が現れるかを見張っておりました。わたくしの従者もこの宿に宿泊し、いざという時は館へと報告する役目を持たせております……。それにしても……」

 ティクスが説明している間に、ガオスは立ち上がって、ティクスの前にまで近づいてきていた。ティクスはガオスの体ををくまなく見つめると、ガオスを抱き締めた。

「お久しぶりでございます。ガオス様……。その後お変わりはございませんか?」

「いきなり抱きつくなって……」

「まあ、何という鍛え抜かれた体……。まるで鋼鉄のような感触でございます」

「鉄化の呪いだ。お前、知らなかったっけ?」

「デノム大臣や、父上から伺っております。城でも一部の人間しか知らないとか」

「まあな。陛下もご存知のことだが、一般的に広まるのはやばいってんで、一部の者しか知らねえ話なんだ」

 取り締まる側に魔法のかかった者がいるとなると、民衆から現体制に疑いの目が向けられかねない。民衆あっての国家だからこそ、留意しなければならないことだった。

 だがティクスは、ガオスや自分の親の身の回りの実情をわかった上で、何を考えているのかさらに強く抱き寄せ、大きな胸の膨らみを押しつけてきた。

「そんなこと、わたくしとガオス様の間ではどうでもいいことではありませんか……」

「……そろそろ放してくれ。友人の家のものを壊してしまったんだ……」

「それはそれは……。何をしていたんでございます?」

「夜の営みだ」

 穴の開いた天井から風に吹かれる花びらのように降りてきてそう述べたのは、イスカだった。

 自ら姿をさらしたイスカには、空の魔女という存在であることがどういう結果を招くか、自覚がないように思われた。だが、空の魔女という存在は、大戦後に城の中で籠りきりになり、ごく少数の者にしかその姿を知られていない。ガオスも馬車を襲った盗賊たちから助ける以前から、この水色の髪の少女の顔や姿を城の中で見かけることはなかった。

 ――ティクスの様子を見るに、こいつも空の魔女の顔は知らないんだな……。

 穴の空いた二階から飛び降りてきたイスカに、ティクスは何ら不審に思っている様子はない。

 ガオスは密かに安堵の息を漏らすが、

「よ、夜の営み? ガオス様……。わたくしとの婚約は父上曰く、保留になっていると……」

 困惑気味にティクスが言うと、今度は扉を開けて幾人かの男たちが入ってきた。

 討伐組が数人と、ティクスの言っていた騎士とおぼしき男が二名、そして店主であるミダルだ。

「何事だ?」「魔獣が出やがったか!」「ティクス様ご無事ですか?」

「どう壊したかは知らんが派手にやってくれたな、ガオス……」

 ミダルが言うとガオスは顔をしかめ、ぼそりと呟いた。

「めんどくさくなってきた……」


「お前の言っていた意味がこれでわかったよ」

 ミダルは悩ましげな顔で後頭部を指で引っ掻いていた。

「どうすりゃああんな状態になる? ベッドとその下の床を突き破るなんて。……そりゃ確かにうちの造りは年季が入ってるかも知れねえがよ……。何であんなことになった?」

「すまん……。おれにもよくわからねえんだ」

 元から鉄化の呪いによる作用で、体重が重くなることは常々感じていたことだった。二階に泊まることを渋ったのも、自分の重さによって床やベッドを破壊してしまうことを考慮していたからだが、呪いなどという魔法に紐付いたことを口にすれば、宿泊ができなくなる恐れも出てくる。なので、その事実を隠しざるを得なかったのだ。加え鉄化の呪いを受けた自分の末路があのようなことになってしまったのは、想像の範疇だったとしてもガオスにはあまり経験のないことだった。

 それを鑑み、雑用をすると申し出ることでミダルに配慮していたというのもある。

「そこでさっき言ったみたいに、何か雑用でも任せてくれねえか? 店番とかもするぞ?」

「ああ、だったら……」


 宿屋の主人とやり取りをするガオスを横目に、イスカとティクスは軽く言い合いをしていた。

「あなたは一体、ガオス様の何なのでございます?」

「猿頭はわたしとは主従関係にある。奴の方が従う立場だ」

 間違ってはいない。ガオスを雇っているという体なので、基本的にイスカの指示にはガオスも従うだろう。

「主従関係……」ティクスは口に手を持ってきて、「わたくしとは婚約者でございますのに……。先ほど言っていた夜の営みとは、あなた方二人はすでにそのような関係をお持ちなのでございます?」

 イスカはガオスから聞いた、夜の寝技のことを思い浮かべ、仄かに頬が紅潮しだした。

「い、いや、何というかその……」

「様子を窺いますに、まだそういったご関係ではなさそうでございます……」

 ティクスは、ほっと胸を撫で下ろしたようにため息混じりで、

「よかった……」

「わ、わたしとはこれからも旅を続けるのだ。だ、だから……」

「親御さんを探しているんでございましたわね。さっきガオス様から伺いましてございます。お名前をクーさんとおっしゃるんでございましたね?」

「ま、まあな……」

 宿屋についたばかりの時、ガオスとミダルが再見できて会話が弾んでいたその内容から、他人にはイスカの親探しという名目で偽ろうという意図を感じていた。戦争孤児と言っており若干子供扱いされていることに歯ぎしりしたくなったが、今はそれでごまかすしかないようだ。


 ミダルから用事を頼まれたガオスは、イスカの方に顔を向け、

「ちょっと村長の屋敷まで行ってくる。お使いを頼まれちまってな」

「お使いとは?」

 イスカが問うと、ガオスは果物が入った藤かごを見せつけ、

「これを村長の息子に届けてくれってことになったんだ」


 暗闇の中を、ランタンを持ったガオスとティクス、そしてもう一人、ティクスの配下の三人で歩いていた。

「別に一人でも行けたんだがな」

 ガオスが言うと、ティクスが返す。

「もし魔獣に遭遇したりすれば大変でございます。魔獣はここ数週間で二度ほど出現しているそうでございます。犬のような姿で、獲物を噛み殺すそうでございます。しかも十匹はいるそうでございますから、ガオス様の実力なれば造作もないでございましょうが、わたくしとしては、ガオス様の勇姿を見られるというのと、共闘することで自分の腕を上げたいという理由がございます」

「魔獣の被害にあった人とかいるのか?」

「村長様の息子さんのご友人が歩けなくなるくらいの怪我を負ったそうでございます。ご友人方は村長の館によく出入りしているとのことでございます……」

「なるほど……。だからこれをお見舞い替わりにってことか……」

 怪我を負った友人二人のまとめ役というのが、村長の息子であるなら、村の代表という位置付けとして、また友人たちの頭としての立場から、ミダルは村長の息子に見舞品を捧げようと思ったのだろう。

 緩やかな傾斜を歩いていくと村長の住む館が見えてきた。

 そこに警備中の騎士団員が一人おり、ティクスに気づくと、ガオスもろとも敷地内へ入れてくれた。

 両開きの扉を開け、屋内に入る。

 玄関ホールを見回してみる。視界の両側には階段があり、吹き抜けになった二階へと続いていた。

 二階にいた召し使いが階段を下りて来ながら、

「これはティクス騎士長殿……と、村のお客様でございますかな?」

 そこに二階の部屋からもう一人別の男が出てきた。毛髪は茶色で、地肌が見えるほど短くしている。背丈は目立つほど高くはなく、無言で階段を降りてきていたが、ガオスは威勢よく藤かごを持ち上げ、

「宿屋のミダルの使いです。お見舞いに参りました」

 と言うなり、村長の息子の顔がしかめっ面になった。

「あの貧乏人が俺に見舞い?」一度鼻で笑うと、

「何度来ようが、あいつの厚意は受けとれん。できの悪い村民を持つと大変なのは俺の父の方だ……帰った帰った!」

 手で追い払う仕草をする村長の息子だったが、そこで笛の音が聞こえた。

 そこにいた全員がどこから吹かれた音色か首を左右に振ったりしていると、一階の奥の部屋の扉が開いた。

「ご主人様! この笛の音は!」

 それに気づいた召し使いが言うと、部屋から出てきた村長は声を潜ませ、

「ああ、また魔獣が来る……。デウルス!」

 はい、と返事をしたのは村長の息子デウルスだった。

「部屋に隠れていなさい。また犬の群れがやってくる……」

 村長がそう指示するも、玄関ホールの窓をけたたましく突き破って来たのは、濃紺色の毛を生やした犬の群れだった。

 階段側に背を向け、おもむろに近づいてくる魔の飼い犬たちを、ガオスとティクス、その配下の騎士が出迎える形となった。

 ガオスがデウルスに一度目をくれると、恐怖心からか階段の上で手摺にしがみついている。

 十匹近い数の犬が次々と吠え盛る。

 獰猛さをひしと感じたガオスは、いくら戦争を経験し魔獣を多く屠ってきた自分でも、守らなくてはならない人間が複数いるこの状況では、次の行動に移すのにためらいがちになるのを感じた。

 しかし、横にいたティクスが先に動いた。

 騎士団の一人が背負っていたウォーハンマーを受け取った金髪の女騎士長は、軽々と重そうな鉄鎚を振り回し、

「ぬうううううん!」と普段のティクスから一変、野獣のような咆哮を上げ、ハンマーを振りかぶった。

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