第二章 ある村の処刑台②

 ガオスは受付の先にある扉から出てきた男を見るなり、

「おお、ミダル! 久しぶりだな!」

 と嬉々として手を差し出し、ミダルという男はその手を握ると、

「ガオスか! 三年ぶりくらいか! まだ時々旅行とかしているのか? 三年も何やってた?」

 ミダルは全体的な印象としては肥えていた。恰幅がよく、首回りにも肉がついている。ちぢれた毛は、首の後ろまで達し、笑んだ顔は人懐っこく接客業には持ってこいだろう。

「趣味の旅行はここ数年、自粛してるんだ。魔女狩りが始まってそれに駆り出されることもあるもんで」

「んじゃ、三年前に一度来たのは?」

「魔女狩りの一端さ。こうして普通に泊まりにくるのは、魔王軍との戦い辺りだから……。七、八年くらい?」

「もうそんなに経つか?」

 気さくにそんなやり取りをする二人を傍らで眺めているイスカに、ガオスは手を添え、

「今はこいつの親探しさ。戦争孤児でもあるから、皇帝からも許しを得ていてな」

「戦争孤児か……」

 ミダルの顔色が曇ったように見えた。

「そういや、お前には娘さんが一人いたな」

「妻とは死に別れさ。お前に言うのは初めてだが、戦争のときに魔王軍にやられちまって……」

「娘さん……、ターヤだっけか? 元気でやってるのか?」

「ああ、よかったら顔見てくか?」

 とミダルは、ガオスとイスカを受け付け奥の部屋に招き入れようとしたようだが、イスカはフードを被ったまま、手を軽く振って拒んだ。それを見たミダルは、

「あんたとは同い年くらいだが……。ま、無理にはいいさ」

 無言で頷くイスカは受け付け前の壁に背を預けた。

「ターヤ、元気か?」

 部屋の中は窓から薄日が差し、ひっそりとした雰囲気だった。

 静けさのこもった室内には、二つの影があった。一つはターヤだろう。もう一つの影が、部屋の奥の薄闇から姿を現した。

 淡い栗毛の髪は短く、薄明かりで繊細な輝きを放っている。目元のしわは年齢を感じさせ、若々しい髪の質感とは違いがある。その高齢の女性は口元に笑みを刻み、

「あんたがたまに話す、戦争で活躍したって言う人かい?」

「ああ、ガオスって言うんだ」

 ミダルは老女の前にガオスを招き、

「よく店を手伝ってくれる亡き妻の母親さ。ケイって名前だ」

「こんちはっす」ガオスが手を差し出すと、ケイは笑みを絶やさず握手に応じた。

「魔王軍を蹴散らした英雄だそうじゃないか」

「いえ、たいしたことはしてないっす」

 ガオスは苦笑した。

「ターヤ、お客さんだよ……」

 ケイが声を発すると、ターヤが薄い闇の中からゆっくりと姿を現した。

 黒髪を後ろで結ったミダルの娘ターヤは、食事も覚束ないのか、年頃の娘としてはやけに細身に思えた。ターヤは何も言わずガオスの顔を見るなり、目尻に涙を溜めた。

「どうした?」

 ガオスがそう問いかける傍ら、ミダルがそっと入り口の扉を閉め、

「森に薪を取りに行っていた時に、魔獣に襲われてな。怪我を負ったんだ。以来、口が利けなくなって部屋に籠ることも多くなってな……」

「そうだったのか……」

「魔王も往生際が悪いってね」

 ケイがそう言いながら肩をすくめ、

「魔獣なんていう厄介な置き土産をよくも残してくれたものさ」

 魔獣に襲われ、心に深い傷ができたのだろう。先刻、広場で目にしていた騎士団と冒険者たちのやり取りとも関連がありそうだった。

「ターヤ、あまり無理するな。ガオスおじさんも忙しいからな」

 ミダルが言うとターヤは疲れた顔をして、ケイと歩きながら部屋の脇に備えつけられたベッドに横になった。

 ガオスはシーツをそっとかけると、ターヤはシーツの中から手を出してきた。

 ガオスはそれを優しく両手で包み、

「ターヤ、疲れさせちゃったな……」

 ターヤは目を閉じて、静かに頷くとそのまま寝息を立てた。


「さて、部屋をどこにするかだが……」

 ターヤとの再会を終え、ガオスとイスカの部屋わりを決めようと、ミダルはそう一言いいかけた。

「おれはできれば一階がいいな。それでこいつとは部屋の近く……、ベッドのある部屋じゃなくても、こいつの部屋の外で寝るとかでも構わんが……」

「知り合いでも、さすがにそりゃできかねるわ。お客が廊下に寝泊まりしてるところを他のお客が見たら何て思うか……」

 ミダルは困惑気味に頭を傾げた。

「それに、先に言っておくべきだったが、一階の部屋は冒険者……討伐組の宿泊で埋まってる。自然と二階の部屋になっちまうんだ。それでもいいか?」

 ガオスはそれを聞き、イスカにこそっと話しかけた。

「報酬の前借りを希望したい……」

「無理だ。理由は?」

 とイスカが尋ねると、ガオスはミダルにこう告げた。

「もしかしたら多大な迷惑をかけるかもしれない……。そうしたら、雑用とか色々と手伝う。それで賄えるかはわからんけど……」

「何の話だ?」ミダルは眉を押し上げる。

「できるかぎりそうならないようにしたいが、ま、無理か……」

 頭を一度傾げるガオスだった。


 夕食を済ませた頃合いになって、イスカは計画していたある作戦を実行に移すため、部屋の外で見張りをするガオスにこう声をかけた。

「一人で寝るのが怖いんだが……」

「お前、ほんと子供だよな……。寝るのもやけに早いし」

「あと持ってきた本も読んでほしい。それがわたしの安眠効果だ……」

「お前は嫌なんじゃないの? おれみたいなのに添い寝されて嫌がるのが普通だぞ?」

「報酬は当初の額より弾ませるよう、バーセル殿には口添えしておく」

「それを早く言え」言ってガオスはイスカの泊まる部屋に入った。

 金銭的感覚にためらいがないところを見るに、今後いざというときは金で釣るか、とイスカは内心閃いていた。

 部屋の外での寝食はミダルにも反対されたが、やはりガオスには二階であるということと、ベッドを使うということに、こだわりがあるようだった。

 ガオスを先に部屋に入らせ、ベッドの方まで歩いてもらう。

 ――ククク……。そう、それでいい。

 イスカがにやにやしていると、ガオスは急かした。

「なに笑ってんだか知らんが、早いとこ本読むのをすませておいた方がいいぞ。明朝にはこの村を立つんだからな。明日の夕方には、次の目的地につく予定だ」

「いいのか?」イスカがそう言うとガオスは、何がだ? と問い返す。

「あのターヤとかいう娘を助けないのか?」

「ああ、まあ仕方ねえんじゃねえかな……。ミダルとは友人関係だが、おれが魔法を使えるというのは知らない。魔法で万事解決してこの村の人に告げ口される場合もあるし、そうするといろんな弊害が起きそうだしな……」

 言って、ガオスはベッドの壁際で横になる。

 ガオスの言う通りか、とイスカは数瞬考えた。騎士団やギルドに雇われた者たちとは違い、自分たちには自分たちなりの目的がある。無関心というわけではないが、大人になると友人関係という間柄でも、あまり互いのことに干渉しなくなると聞いたこともある。それにイスカ自身の旅と目的を踏破するためには、いらない感情は捨て置くべきか。そこに人が本来持つべき道徳心が不在になってしまおうとも……。

 気を取り直すつもりで、イスカは小さく咳払いすると、ベッドの隣に置いた荷物から書物を取りだし脇に挟んで、ガオスの横に寝そべった。

 シーツの温もりとベッドの柔らかな感触が心地よい。

 書物をガオスに手渡し、

「その本の真ん中辺り……。そうそこだ。その物語を話し聞かせてくれ……」

 二人してベッドに仰向けになり、ガオスは該当するページをめくった。

「色んなおとぎ話が載ってるんだ」

「どれどれ……『食いしん坊、めでたい』」妙なタイトルを改めて口に出されると、イスカ自身も不思議な感覚に陥る。

「字はどこで習った?」

「ダガレクスの学校だ」

 ガオスはそう短く述べ、語り部となった。

「昔むかし、あるところに一人の太った少年がいました……」

 読み聞かせるガオスをよそにイスカは密かに思考を巡らせた。

 ――男は女に密着されるとその部分に意識が傾くらしいからな……。まずは……。

 少し体をよじって、胸元をガオスの肩に触れさせた。

 ――大きさにこだわりのある奴には見えないが……。いや、わたしに服従させるには胸の大きさだけでは……。

 さらに体を近づけさせる。側臥して、胸と腹部、そして下腹部のさらに下の部分と、腿の内側とふくらはぎをガオスの体にくっつけた。

 ――ククク……。どうだ、お猿さん……。わたしの色気に服従する気になったか?

 そっとイスカはガオスの準備が整ったかを確認するため、股座の悪魔の角に手を伸ばした。

 ――すでに硬い……。

 ニヤリと肩頬に笑みを刻むと、すでに物語は終りを迎えようとしていた。

「……魔女が作ったお菓子の家を、魔女ごと食べてしまった食いしん坊は、捕まっていた友達を救うことができましたとさ……。めでたしめでたし……」

 ずっとガオスの方へ視線を向けていたイスカは、この時ガオスが訝しげに自分を見つめているのを目にした。

「お前……何やってんの?」

 ベッドの下の方から、木目の床が軋む音が聞こえてきた。

「貴様を服従させるために、一肌脱いだのだ」

「それ完全にモノローグが御披露目されちゃってんだけど……」

「ふふん。どうだ? わたしだってそこら辺の美女と張り合えるくらいの美貌と肉体を持っているのだ。これで従う気になれたか、猿頭よ。わたしを仰ぎ見る気になったか?」

「その手をまずどけろ。んで、そこになおれい」

 イスカは下腹部の角から手を退けた。

 そして二人はベッドの上で向き合いつつ、足を曲げて座った。

「いいか、ヘタレ魔女。実を言うとおれの皮膚はあまり感触を感じない。鉄だからだ」

 ベッドの下と床が今にもひしゃげそうな音を上げている。

「ということは元々硬かったのか!」

「そ。んで知ってるかどうかは知らんが硬くなるということはどういうことか、知ってるか?」

 そういえば……、と一度宙を見つめたイスカは、事に及ぶとはこの場合どういう意味を指すのか、知識としても知り得ていなかったので、首を横に振った。

「やっぱり知らんかったか……。いいか。大切なことだから教えておく」

 そうしてガオスは夜の営みのことを淡々と説明していった。

 数分後――。

 イスカは夜の営みのほぼ全容を聞き、顔が火照ってしまった。顔を伏せて両手で覆い、しばらくその姿勢を維持していた。

「真実を聞いて異性に顔向けできなくなったか?」

「……だまれえっ」

 イスカから鼻をすする音がすると、ガオスは勝者の余裕といった感じで、

「色気仕掛けでおれをたぶらかそうとしたようだな。だから大人の話題を一方的にふれさせてもらった……」

 ようやくガオスを直視できるまでになったイスカは、ベッドが大きな音を立てたと同時に驚きの光景を目にした。


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