第一章 魔女の企み④
バーセルと言えば、ダガレクスに長期に渡って仕えてきた魔法使いだが、魔女狩りの時勢で肩身の狭い思いでもしているのだろう、今はニーゼルーダにいるようだ。
――空の魔女が、ダガレクスから逃げ出そうとしているのか……。
ガオスは心で呟きつつ、手紙を折り畳んだ。
皇帝の命に従うか、バーセルの依頼を請けるか……。
秤にかけてどちらを優先することができるだろうか。ガオスには立場上どちらも断ることはできないし、どちらも命に関わることだった。しかし、報償金には目を見張るものがある。仮に空の魔女を助けたとして、その先に見えるものとは一体何なのだろうか。
目覚めた視界の先に、跪いて指を絡ませそれを額に添えるイスカの姿があった。
「何やってんの?」
ガオスの問いかけにイスカはその姿勢を保ったまま、
「魂を鎮めるお祈りだ」
見るとその方角は先日、イスカの乗っていた馬車が襲われた方角だった。
「お祈りする魔女なんているんだな」
「ほとんどの魔女は、信仰や他者の死よりも自分のことにしか興味ないだろうな」
特殊な魔女だ、とガオスは胸奥で思った。そしてそうさせているのも、自分に原因があると思った。
――命を救いたいって言っていたのを、おれが無理矢理……。
ガオスは胸元のポケットから、小箱を取り出した。軽く振ると中で音が鳴った。
それをイスカと同じく、両手でくるんで額に当てると、魔王軍に勇敢に立ち向かっていった戦友たちを思った。
ガオスはもう一度、横目でイスカに視線を向けた。
――最五の魔女の一人がああやって死者を弔う……。あの魔女に他者を重んじる心があるからか。
魔女の中でも最上位である最五の魔女たちは、聞くところによれば、傍若無人な態度を示す者や、冷酷無比な思考や行動力を持つ者もいると聞いていた。
――いずれにしても、噂で知った最五の魔女の振る舞いとは違いがある……。
森の側で野宿をしたここも朝焼けで明るくなってきている。
毛布を剥いで、立ち上がったガオスは暁光に目を細めた。
――魔女にも色んな奴がいるんだろうな……。この魔女が人を思いやるように、おれもかつての仲間を思おう。
ガオスは立ったまま瞑目した。
魔王軍討伐の旅を一緒にした仲間を思いつつ……。
「さて……、今日もわたしを守りつつ、目的地へと送り出せ!」
ガオスの背に、イスカの驕り高ぶる声が投げ掛けられた。
護衛の仕事だからこそ、少量のわがままぐらいは聞いてやってもいいが、旅を続けるのなら、互いにもう少し気を遣うべきだろう。
鬱陶しそうな顔をして、ガオスはイスカの方へ顔を向けた。
朝日がイスカの顔を白く照り返していた。髪は美しい湖面のような水色で、首の辺りで切り揃えられている。前髪は少し眉を隠すくらいか。出会った時から見せる尊大な態度は変わらず、細い眉を眉間に寄せつつ勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ガオスにはそれがどこか五人目の魔女という由縁にも思えるのだった。しかし腰に手を当て、自分という存在をとくと見せつけている様子には幼げな顔や体躯からいって、ガオスには可愛げのあるものにも映った。
「わかったから少し待て」
「うむうむ、少しくらいなら待ってやろう。無事死者を弔うことができ、わたしは今機嫌がいいのだ……。ところで……」
イスカは改まって、
「なぜバーセル殿の依頼を請けた? 貴様もダガレクスに長年仕えた身だろう。魔女狩りが行われている今、こうしてダガレクスから逃げたわたしを庇うことは謀反と捉えられてもおかしくないのでは?」
「まあ色々と事情がな。あの城に居続ければ、おれの命が危ういと思ったのと……、どうもマガラウザ皇帝のやり方に疑問を感じていてな」
「魔女狩りには反対なのか?」
「今さら反対もクソもあるか。だが多くの魔女が犠牲になったのは間違いない。たった一人ダガレクスから逃げようとするお前を守るのは、主君であるマガラウザに思うところがあるからだ」
「思うところ?」
「マガラウザが魔王メゼーダの転生した先ではないかっていう噂が、一時期、城の人間のごく一部の中で出回ったんだ」
魔王メゼーダ――。
ダガレクス帝国が四ヶ国を統治した大陸、カーナゼノンへ闇の世界からメゼーダ率いる魔の軍勢が侵攻してきたのは十年以上前のことだ。
魔法という概念は、メゼーダが攻め入る前から一般的に認知されていた。習うための学校や専門の職業があったりと、人々の生活に根付いたもので、メゼーダの侵攻によって、魔法は急激な発展を遂げていった。剣や弓などの攻撃よりも、武器や筋力を強化することができる魔法の方が魔王の配下である魔獣に効果があったからである。
「メゼーダを勇者一行が倒したと同時に、病に臥していたマガラウザが一度息を引き取ったっていう話を聞いたんだ。メゼーダの死とマガラウザの病床からの復帰を境に魔女狩りが始まったことから、勘の鋭い人間なんかはマガラウザに対してそうした疑念を抱いてる。メゼーダが死んだとされる辺りから皇帝の性格や城の雰囲気が変わり始めたもんで、もしかしたら、メゼーダがマガラウザに転生したんじゃねえかってな……。だがそれはおれには思い過ごしかもしれねえんじゃねえかと……」
なるほど、とイスカは首肯し、
「転生という魔法は、魔法というすべを身につけるために必要な『魔纏い《ままとい》の書』という古文書にも記されている……。魔法そのものは『魔纏いの書』を元に各国各地へとバーセル殿とその弟子たち、そして気まぐれなわたしたち最五の魔女の誰かが流布していったと言われていて、転生の魔法も広く知られた魔法だ。それだけ人間が生きることに対して執着を持っているからだが、覚えるには並大抵の努力やよほどの才能がなければ難しいと言われている……。しかし貴様や貴様の周りの一部の人間に、マガラウザの様子が一変したという噂が出回り、よってメゼーダがマガラウザに転生したという噂は推測の域を出ない……」
なるほど、とイスカは言いながら腕を胸の前で組み、
「城において命が危ういというのも、貴様の中に皇帝へのそうした見方があるからか……。そんな腹積もりであそこにいれば、いずれバレてしまう危険性もある。そうすれば魔女狩りを決行したあの冷酷な皇帝のことだ。処刑は免れないかもしれないな」
「まあそんなところだ……」
「と言いつつ、実はバーセル殿が提示した報奨額に目が眩んだというわけではあるまいな?」
「どうだかな……。まあ食い扶持に困るよりはマシだ。この仕事を終えて何が起こるかなんて誰も知らねえし、自分の思った道を進んだまでさ。……そんなことよりお前はどうなんだよ。ニーゼルーダに何の用だ?」
「わたしにもちょっと込み入った事情がな……。ニーゼルーダに着いたら教えてやろう」
両手を腰にやって、そう述べるイスカの腹が鳴った。イスカの顔が朱に染まる。
「どこまでも正直な奴だ」
「こっこれは、人として当然の欲求だ」
「クリスタルの化身なんだろ? 人から拝まれる存在なんだろ? それにしちゃ、子供っぽいなお前……」
「貴様……またもやわたしを侮辱する気か」
「またそうやって自分の立ち位置を上に見せかけるんだな……」
ガオスは赤い髪の頭部を掻きつつ、あくびをすると、
「待ってろ、今朝飯用意してやるから……」
「やったあ……!」と跳びはねて喜ぶイスカは、その態度に我に返ったようだった。
俯いて、口をつぐむイスカを見てガオスははっきりと言った。
「ほんと子供みてえ」
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