第一章 魔女の企み③

心像クリスタルの化身、四人の魔女たちを、うぬの手で捕えてほしい」

 浅い眠りの淵をさまよっていたガオスは、その言葉が今の自分に課せられたもう一つの任務であることを回顧していた。

 威厳を放ちつつ玉座に鎮座する、ダガレクス帝国の皇帝、マガラウザの命令に、ガオスは片膝をついて頭を垂れたまま返答した。

 魔王軍の残党狩りに多大な貢献をしたことから、ガオスはダガレクスでは重用され、また、指折りの英雄としても称えられていた。

 頭から頬をヘルムが覆うマガラウザの顔貌は、側近でも直視できないほど威圧感を放ち、ガオスはそれが常であることを知っていたためにあえて目を見合わせず、マガラウザの前から去った。

 玉座を後にして、大きな城の回廊を歩く。

 源素の魔女は、各地にある地水火風空の五つの心像が人の姿をし、大昔から歳を取ることなく多くの人々を見守り、信仰対象とされてきた。

 源素の魔女を「最五の魔女」と呼称することもあり、ガオスが指示された四人という数字は一人欠けていた。空の魔女はすでにダガレクス城内で幽閉されていると城の中で噂されていたが、城の中でもごくわずかな人間しか、その姿を見たことはないという。

 その五人目の魔女、空の魔女は、八年前の魔王軍との戦争時に、一人、平民出の魔法使いらと軍を率いて果敢に戦ったと言われている。

 ――幽閉されているというのが事実であれば、皇帝の四人を捕えよという命令は一つ達した。残る四人がどこにいるかが問題なんだよなあ……。

 顎先に手を当て、思考に及びながら視線を横へ投げた。

 中庭に斜光が煌めいている。柱の並んだこの回廊にも陽光が差し込んでいた。

 その時近くの柱の影から現れたのは、皇帝の側近であるデノムという人物だった。

 光の差す中で、秀でたデノムの額が白く照っている。

「これはデノム大臣……」ガオスは胸に手を当てかしこまった。デノムは愉快げにガオスに話しかける。

「お祖父様の調子はどうだね?」

「相変わらず酒を飲んでばかりです」

 世間話でもするのかと、笑い声をあげるデノムを見て思ったが、デノムは急に小声になり、

「皇帝陛下はああ見えて慈悲深いお方だ。先の大戦で多くの民衆が苦しんだのも、戦争そのものが原因という見方もあるが、魔法という忌むべき存在があったからこそだというお考えだ。何年も前から魔女たちの粛清が行われ、世間ではそれを『魔女狩り』と称しているが……。皇帝陛下は魔法を使う者を全て滅ぼすつもりでおられる。中でも最五の魔女を捕えることは今の陛下にとっては悲願だ」

 ガオスよりも低い位置にあるデノムの目は、やけに黒く闇を滲ませていた。

「陛下はなぜ最五の魔女全員を捕らえろと?」

「君も見たことはあるだろう。魔王を倒した辺りから、月と太陽以外に現れた"第三の星"を……」

 デノムの言うとおり、ガオスもその星を見たことがある。城の外壁通路を歩いていたりすると、彼方の上空に、青白い星が浮いているのを常々見かける。

「陛下が最五の魔女を集めると言っているのも、恐らくあの星を出現させたのが彼女たちであると睨んでいるからだろう……」

「まさか最五の魔女の命さえも奪うおつもりで?」

「我々には遠く及ばない知恵と力を最五の魔女は持っている……。そして陛下ご自身のお考えは陛下ご自身にしかわからぬ。私が思うに、陛下はあの第三の星に国家の存亡がかかっていると見ておられるのだろう。であればあの星を作り上げたと言われる最五の魔女を捕らえることは必須条件だ」

「……そうですか。陛下は多くの民のためにそうお考えなのですね。魔法を扱う者を取り締まるのであれば、その矛先はいずれおれにも……?」

「まあ、鉄化の呪いを被った君自身は、いかに呪われようと私と同じ陛下の忠実なるしもべ。呪いを解かれることもなければ、取り締まりの対象にもならんさ」

「それなら安心です。……この命あるかぎり、皇帝陛下の命に忠実であるよう努めて参ります」

 くっくっとデノムは小さく笑い、

「成果を期待しているぞ。ガオス。君の祖父も喜ぶだろう」

 デノムとはそこで別れた。ガオスはデノムにある不穏な気配を感じ取っていた。

 ――皇帝に気に入られたいのはどいつも一緒か……。

 一瞬だけ背後を振り向くも、そこにデノムの姿はなかった。

 ――下手に成果を上げれば、おれも命を狙われる可能性があるってことだな……。

 出る杭は打たれる。そうなる前に、ガオスはある決意をしなければならなかった。


「四人の魔女は散り散りになっている。いくら皇帝の命令でもお前にはちと重荷じゃないか?」

 自宅に戻り、帰ってきた孫の顔を見るなりそう述べたのは、祖父のジンだった。

 小さな一戸建てのガオスの実家は、歩くと床が軋み、風の強い日は家中の壁が悲鳴を上げる。

「前々からお前は言っていた。そのうち皇帝から五人の魔女を捕えろと命じられるだろうと……」

 ジンの顔はいつも赤みがかっており、歩くのにも杖が必要なくらい年老いていた。ジンの顎に生えた髭は黒く頭髪も地肌が目立つが黒色だ。顔だけが一風赤く、それがジンであるという証であるのは近所でも有名だった。

「それが事実になったってのをなんで知ってんだよ」

「孫の顔色を見れば心積もりなんぞすぐ読み取れるわい」

 どうやら酒浸りの祖父でさえ見分けがつくほど、顔色が悪かったようだ。

「お前が選ばれたのも、元を辿れば魔王との戦争で生き残ったからだろう? そこはほんとワシの誇りだと思うとる。だがどうだ? 蓋を開けてみれば、無理難題。重責を担ったお前を哀れに感じるのはワシだけではないぞ?」

 酒を口にしながら喋るジンに、ガオスは眉を潜め、

「少し飲み過ぎじゃねえか?」

「いっそのこと、魔女を味方に付けて、反逆するってのも面白そうだな」

「おい、じいさん、酒はもう止めとけって……」

 向かいに座り、テーブルの上にあった瓶とコップをガオスは自分の方へ引き寄せた。

「おれだって好きでこの体になったわけじゃねえ。好きで陛下の命を受けたわけじゃねえ……。それなりに考えがあるんだ」

「どんな考えだ?」身を乗り出すジンに、ガオスは肩をすくめ、

「盗み聞きされたら困る。隙間だらけのこの家も任務を全うすれば、見栄えくらいはいいものになるんじゃねえか?」

「ワシの酒代も弾むってかあ……」

「その前に酒に溺れて死ぬなよ、クソジジイ……」


 翌朝、城へ向かうため、玄関の扉を開けようとしたガオスに来訪者が現れた。

 ベージュの外套を来て、帽子を目深に被るその人物は、一通の手紙をガオスに差し出し、

「過去のご活躍から、あなたを見込んで、ある方から任を拝しました」

 ガオスは手紙を指で挟み裏を見ると、差出人の名前がないことに気づく。

 来訪者はそれだけを済ますと、では私はこれで、と言って部屋から出ていった。

「何だったんだあいつは?」

 ジンが首を傾げる。

 封蝋を開け、手紙を読んだ。

〈明朝、一台の荷馬車がダガレクスから出立します。その中に水色の髪をした女の子が乗っているので、彼女を助けだしてほしい。彼女は空の魔女。あなたには彼女の目的地、ニーゼルーダまで彼女を護衛してもらいたい。報酬額はあなたが大戦で活躍して毎度受け取っていた額の五年分。この任務を受けたくなければ、あなたはただ自宅にいればいい。その代わり、デノムには命を狙われるかもしれない。 魔法使い、バーセル〉

 手紙はそこで終わっていた。

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