第一章 魔女の企み②

 二人は山道を進んだ。

 急勾配を歩くこともあった。人目のない山中であれば、魔女狩りの対象からは逃れられるだろうと、イスカは浮遊する魔法を使った。

 ガオスはそれを見て目を丸くした。

「すげえ。さすが空の魔女さんだ」

 イスカは得意気に、

「ふふん、どうだ? 少しは敬う気になれたか?」

「最初から敬ってたって。お嬢ちゃん」

「その呼び方が癇に触るのだ。イスカ様と呼んでもらいたい」

「だっておれよりは年下だろ?」

心像クリスタル純正の魔女は長生きなのだぞ。貴様よりは人生経験豊富だ」

「何歳なんだ?」

 年齢を尋ねてきたこの厚顔無恥に、イスカは素直に答えられずにいた。

 ほんの少し、年を低く伝えた。

「そ、そうだな。一〇〇歳と少しだ」

「すまん、呼び方変えるわ」

 そうか……、と期待しかけたイスカだったが、

「婆ちゃんって呼ばせてもらう」

「きっ貴様あああっ」イスカは憤慨を募らせ、地団駄を踏んだ。

「あ、怒った?」

 ふん、と鼻息を荒げながら、イスカはその後無言を貫いた。浮遊する魔法も使うのを止め、枯れ葉に覆われた道なき道を息を切らして進んだ。

 ――やはりこいつには仕置きが必要だな……。

 前を行く、長身痩躯の青年を見つめつつ、イスカの胸中ではある野心が芽生えていた。

 ――この空の魔女であるわたしの偉大さをわからせてやる……。


 夕刻になりかけたところで、野宿の準備をしだした。ガオスの袋の中には様々な道具があった。拾い集めた枯れ枝に火を起こす道具や、夜半をしのぶ毛布など、野宿には差し支えなく二人は焚き火を囲んだ。

 ガオスは近くの川で採ってきたという魚を焼いた。

 ほどよく焼けた魚を、イスカの目の前に差し出し、

「ほれ、食え」

「いらん……」

「なぜだ? 結構うまいぞ。毒なんて入ってないし……」

「貴様が食って、毒味しろ」

「どこのお姫様だ。毒なんて入ってねえって……。それにおれは魚とか肉とか野菜とか食えねえんだ……」

「じゃあ食事はどうしてる? 別に貴様に興味をもったわけじゃないが、一応聞いといてやろう」

「おれは油が主食だ。何せ体が鉄でできてるからな」

「油だと? それに鉄?」

「魔女の呪いだ。油はこうして……」

 傍らにあった袋から水筒を取り出し、蓋を開けると一口飲み込んだ。

「飲むとなかなかにうまいんだな……」

「魔女の呪いか……。貴様、だとして昼間あの木にどうやって登った?」

「ライトニングテイルみたいに、一瞬だけこの鉄化の呪いを解くことができるんだ」

 ほう、とイスカは聞く振りをして、背中に回していた手に魔法を宿す。

「心像は誰の心にもあるっていうだろ。五つの属性にわけられた、それぞれのクリスタルを擬人化させたのがあんたら最五さいごの魔女たちで、心像を保持した者は、精霊と関わりを持つことができ、魔法が使えるってのが常識だ。おれの場合、皮膚から体の内側にまで鉄で固まる魔法がかかってる。付加させている鉄は、ネガスーナっていう性質を持っているから、今飲んでいる油に、ちょいと魔法で一手間加えてるんだ」

「そうか……。ネガスーナの性質を油に含ませ摂取することで、なんちゃらテイルが発動できるということか。ネガスーナの性質は同じネガスーナを弾く作用があるというな」

「そ。体内にはネガスーナの力が保たれている。ライトニングテイルを使うとき、それを一気に解放するから、自然とネガスーナの性質を纏っている鉄の表皮を、少ない時間だけ解くことができるってわけだ。ずっと重みを感じていた鉄の体を解くと、その重みに鍛えられていた筋肉が存分に働く。羽のような身軽さを得るからこそ、あの動きができるってこった」

 イスカは、一瞬寒気を感じた。

 辺りを落ち着きなく見回す様子に、ガオスは不思議に思ったのか、

「どうした? 何か感じるのか?」

「敵対心を感じる……。火を消せ」

 砂を被せて消火すると、ガオスは立ち上がり、

「おれは何も感じねえが……。魔女ってのはこういうのに敏感だっていうな?」

 しっ、と人差し指を口に当て静粛を促すイスカは、暗闇に目を向けたまま、

「昼間、この少し丘陵になっている場所から周囲を見渡したとき、橋があったな。そこは道順に入るか?」

「ああ。あの橋を渡って、少し行くと昼間とは違う道に出る。そこを通って行くと、小さな村があるんだ。明日の目標地点はそこに夕方までに着くことだ……」

「その橋まで一気に駆け抜けよう。追っ手は昼間の連中のようだ」

「そりゃあ面倒だ。さっさと行くか」

 

 夜の森を、イスカの魔法で作った明かりを頼りに走った。イスカの肩の上に灯した松明のような明かりだ。この灯火が敵に感づかれてしまう恐れもあるが、渡った橋を壊してしまえば、追手からは逃れられる……、イスカのガオスに対しての仕返しはそこに布石があった。

 橋が見えてきた。夜中でも月明かりでなんとか目にできる。

 橋の下の川は急流でガオスの長身でも頭が浸かるくらいだ。

 ガオスの見ている前で、イスカは宙を飛んだ。

 ふわっと着地したのは橋を渡った先だ。ガオスが遅れて橋を渡ってきている。

 ――今だ……。

 にやりとイスカは闇夜に紛れて頬に笑みを刻んだ。

 木造の橋の支柱に手を触れ、稲妻を走らせた。するとあっという間に火の手が上がった。

「お前、なにやってん……」

 そう叫ぼうとするガオスをよそに橋が大きな音を立て、崩落した。

 体が重ければ、川底で動けなくなる。いくらその重りが解け、ライトニングテイルを使用したとしても、時間がかかるだろう。

 してやったり……。

 誇らし気な笑みを浮かべて、月夜の下で腰に手をやりふんぞり返って見せるイスカだった。

 しかしガオスの自分に対する態度がいかに傍若無人であっても、イスカも悪党ではない。

 ガオスがいなければ困るのは自分だ。だからこのしつけは、ガオスが反省の色を見せたら即座に止めようと思っていた。

 川岸にしゃがみ、川の中にいるガオスに語りかける。

「聞こえているかは知らんが、どうだ? これでわたしに対しての態度を改められるだろう。貴様は重い。だからわたしの空の魔法で助けてやらんこともないのだがな……」

 そこで背後から、荒々しい息づかいが聞こえてきた。

 イスカは嫌な予感がし、恐る恐るその方向へ目を向けた。

 魔獣と呼ばれる、魔王の置き土産だ。

 魔王死すとも魔獣死なず……。魔王を倒した勇者が魔王の断末魔として聞いたのがその台詞だったという。

 その魔獣は小柄なイスカを丸飲みしてしまいそうな、巨大な猪だった。突き出た鼻と顎、つり上がった双眸は闇に怪しく光り、頭部には二本の角が前方に飛び出、今にも串刺しにされそうだった。

 じりじりと猪が近づく。イスカは今になって自分の失態に後悔した。

 ――あいつがいないと死んじゃうじゃん、わたし……!

 顔を蒼白にさせて、昼間の仕返しのことばかり考えていた自分を胸中で嘲笑った。

 振り返り川の底へ呼びかける。

「おっおいっ……。お荷物様が窮地だぞ。対価が支払えなくて、食い扶持がなくなってもいいのかっ……」

 助けを乞うても水中のガオスからは返事がない。背後で唸る大きな鼻息が、イスカを焦らせる。

 猪に今一度視線を向けたところで、体が硬直しだしてしまった。

 猪が片方の前足をかきはじめた。勢いをつけるかのごとく、このまま猪の餌になってしまうのか。

 猪が突進した。

 迫り来る猪に恐怖で目の縁に涙が溜まる。顎は小刻みに震え、今にもぶつかってきそうな猪の威圧感に、イスカはただ目を瞑ることしかできなかった。

 川が飛沫を上げた。

 月光にその舞い上がった人物のシルエットが映える。

 空中から一気に急降下し、足蹴が猪のすぐ近くに炸裂。尾を引くように白い帯状の光が暗夜に瞬いた。

 地を粉砕する大きな音。辺りに土煙や石などの破片が飛び散る。

 猪は鳴き声を上げ、森の奥へと帰っていった。

「仕留め損ねたのか?」

「無駄な殺生はしたくない質でね」

「わ、わたしが危機に陥っていたのだぞ? 一匹殺すくらいなんてこと……」

 ガオスはイスカの頭に濡れた手を乗せた。

「空の魔女様なんだから、あれくらいの魔獣簡単に倒せたんじゃないのか?」

「か、かつて伝説の魔女がこう言った。魔法も使う者の心次第で、邪にも正にもなる、とな……」

「つまり邪ってのは今回の場合、臆病風に吹かれたってやつか……」

 水浸しの手で、イスカの髪をくしゃくしゃにするガオスは、一度ため息を吐き、

「わりい、呼び方変えるわ……」

「なに?」イスカにしてみれば思っても見ない申し出だった。今こそこの自分を敬称で呼んでくれるのか。その期待も、次のガオスの一言ですぐに消えた。

「ヘタレ魔女って呼ぶことにする」

「せっせめてお嬢ちゃんと……」

 懇願むなしくガオスは前を歩き始め、

「ほら行くぞお、ヘタレ魔女お」

 イスカは肩をしょげさせた。

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