第一章 魔女の企み①

第一章 魔女の企み




 馬車が道を行く。

 馬が二頭と屋根付きの荷台という変哲のない荷馬車だ。

 荷台には数人の男女が乗り合わせ、誰も口をひらかず、黒色のフードを目深に被っている。

 水色の髪の少女もその中の一人。

 馬車の行き先はかつて仕えていた国の中枢とは、反対の方角だった。

 少女はそっと外に視線を投げた。

 日射しが強く照らされる野道。舗装が覚束ない隘路だったために、石が転がっているのか、肩や腰が執拗に揺らされ、乗り心地は最悪といえる。

 とはいえ誰も口を利かない。

 ふと脳裏を過去のある出来事が過った。

 水色の髪の少女が抱く、いつまでも大切にしていたいあの頃の思い出。

 あの瞬間共に戦い、散っていった仲間たちの回顧が、少女の胸を締め付ける。

 ぐっと胸元で手を握り、その痛みを紛らわすために、屋根付きの荷台の天井を見上げた。

 途端、自分の首筋辺りがちりちりと疼いた。

 黒と赤のイメージ――。

 突如、馬車の外から大きな破裂音がした。

 馬のいななきと、馬車が横転しそれら大音響が少女の耳をつんざいた。

 引っくり返る荷馬車。蹄鉄の音が野道に響くのを耳にしながら、砂埃に包まれた中を首をすぼめて水色の髪の少女は何とかその場から逃げ出した。


 山の麓で起きた襲撃によって、馬車に乗っていた幾人かの命が奪われたようだ。

「ボス、死んでるやつもいますが……」

 馬車を襲撃した謎の悪漢たちは見たところ十名はいる。爆発の原因はこの山からタイミングよく投げられた爆弾だろう。

「まあ死んでいてもなんとかなる。食い扶持には困らねえ」

 白髪交じりの男が、両側に体格のいい護衛を二人つけて冷酷なことを口走る。悪漢の中の一人が言う。

「たしか六人て聞いてましたぜ?」

 横転した荷台の屋根はわずかながらに炎を上げ、その中から体格の大きな男たちが四人、乗り合わせた気を失っている人々を、肩に乗せたり脇に抱えたりしながら出てきた。

 二人だけ魔女の生存は確認できたか、と水色の髪の少女は高い木の枝の上に立ちながら思い、一部始終を見守る。

 人質となった魔女五人のうち二人を地へ放る男たち。

 その二人は頭や腹部など体から血を流し、息はしていないようだった。

「死体も持ち帰るぞ。心像クリスタルを取り除ける専門家が知り合いにいるからな。心像は金になる。物好きが宝石代わりに集めてるんだ」

 心像クリスタル――。

 万人の胸奥にあるとされる、魔力の結晶のことだ。

 この世界の人間にはそれが備わり、才能の有無や鍛練にもよるが、魔法という秘術を誰しもが扱えるようになれる。

 その結晶を具現化した心像は、人の心を奪うほどの美しい宝石と言われ、社会の裏では高額で取り引きされているという。そうした施しを行えるのも、同じ魔法を使える者でないと不可能だと言われている。

 男たちは素早い身のこなしで放った遺体を再び抱え、馬車の後方に辿り着いていたもう一台の馬車にその遺体を運んでいった。

「大昔からこの世界を構築し守護してきたと言われる源素の心像……。『最五の魔女』と呼ばれた、地水火風空の五人の魔女だ。心像なんてもんは俺らの胸の奥にもあるらしいんだが、ま、こんな悪事を働く人間にそんな神秘的なものなんてありゃしねえだろうな」

 白髪交じりの男が、下っ端の男たちに説明をする。

「使おうと思えば誰でも魔法が使えるっていう話よ。何年か前からの魔女狩りで、今はほんの一握りしか魔女は存在してねえらしい。この馬車には魔女の中でも最高位と呼ばれる空の魔女が乗ってるって情報があったんだがな……」

 白髪交じりの男と手下と思われる男たちは煙が少なくなってきた周囲を見回す。

 それを俯瞰する水色の髪の少女は、枝の上にしゃがんで葉の繁りに身を隠した。

「ご丁寧な説明だな……」

 横から声がしたので、その方向へ視線を向けた。

 一人の長身の男がそこに突っ立っていた。

 逆立てた赤い髪、それは背中の体毛から繋がって生えているように見えた。黒い胴衣に身を包んだ姿は、戦士とも魔女とも判別しにくい。目鼻立ちはくっきりとして、大きな目は好奇心にはやる子供のように無垢な色を含んでいる。黒い大きな袋を背負い、一見するとただの旅人にしか見えなかった。

 同じ木の枝に立ってはいるが、枝は男の方へくほどカーブを描き今にも折れそうだった。

「ああやって自分の方がお利口さんなんですって、周りの手下に見せつけてるんだよなあ……」

 独り言か、それとも自分に語りかけているのか、水色の髪の少女は一瞬戸惑った。そこで赤髪の男はようやく水色の髪の少女に声をかけた。

「あんた、今朝方ダガレクスを出たって人で間違いないかい?」

 あ、ああ……、水色の髪の少女は声を濁しつつそう答え、続けてこう言った。

「空の魔女、イスカだ。……その赤髪……英雄ガオスだな……」

「そ。あんたをニーゼルーダ国へと護衛する役目を、大魔法使い、バーセル様から仰せつかった」

 大魔法使いバーセル。十年ほど前、ダガレクス帝国と周辺三ヶ国が手を結び、闇の世界から軍を引き連れ進行してきた魔王軍と戦った。当時、魔女の血統でもない限り魔法使いにはなれないと言われていたが、バーセルはそんな定着してしまった常識を覆した平民出の人物で、戦争で多くの魔獣を倒したと言われている。

 イスカの元にバーセルから伝書鳩で手紙が届けられた。手紙には城内の抜け道が記載されており、それを元にダガレクス城から逃げ出してきたというわけだ。手紙には護衛をつけるとあり、この赤髪の男の言うことの意味がすぐに理解できた。

「バーセル殿も顔が広いな。まさか皇帝に英雄と称された人物が、ニーゼルーダまでの護衛とは……」

 心強い人物との旅になるなと、イスカは少し安心した。

「しっかし……」

 ガオスはイスカの頭から足先まで何度か視線を往復させると、

「ちっこい女だな……。あんた本当にそれで空の魔女?」

 は? とイスカは呆気に取られそうになった。

「ふてぶてしい態度だな、貴様……。わたしはれっきとした、本物の空の魔女だ」

「あの襲撃からよく逃げられたもんだ」

「空の魔法で体を身軽にできてな。馬車が横転した際はその魔法で上手く荷台内から逃げ出せ……」

 その時だった。今にも折れそうだった枝がとうとう、イスカかガオスの重みに耐えきれず折れてしまったのだ。

 太い枝の折れる音がすれば、当然、眼下にたむろしていた悪漢たちはそれに気づく。

 ガオスが地に落下したのち、遅れてイスカが地へと着地した。

 すでに十人に及ぶ強奪者たちがガオスとイスカを囲んでいた。

 その中から白髪交じりの男が、割って入ってきた。

「この男はなんだ? 商売敵か? この女を横取りする気のようだな」

 ひっくり返っていたガオスは、背中をバネのように跳ねさせ、立ち上がった。

「おれにはおれの仕事があるもんでね。わりいけど……」

 とガオスが言いかけた矢先、男たち数人が小型ナイフを素早く投げつけた。他にもボウガンを持っている者がおり、至近距離で矢を放った。

 ガオスの咄嗟の動作だったのかはわからないが、傍らにいたイスカを身を呈して守った。

 ガオスの胴衣、あるいは表皮そのものが硬い何かの物質であるかのように、ナイフも矢も金属音を立てて弾いた。

 なっ……、瞠目する男たち。イスカから離れ、ガオスは何も動じていない様子で男たちに視線をくれると、

「仕掛けてきたのはそっちだ。やるってことはやられるって覚悟があるからだよな?」

 白髪交じりの男が悲鳴を上げて逃げ出した。手下の男どもも一様に逃げようとするが、

「ライトニングテイル……」

 赤髪の青年がそう呟いた。魔法か何かの詠唱のようにも聞こえたそれは、イスカの視界に光の帯を引き、一瞬にして男たちは地へと伏した。

 イスカが気づいた時には、ガオスが先刻いた場所へと戻ってきていた。

 ふう、とガオスは額を拭いながらため息をついた。

「貴様……魔法が使えるのか……?」

「前時代の人間だからさ、おれ」

「前時代?」

「今は、ダガレクス帝国によって、魔女狩りも終息に向かいつつある。魔女狩り過渡期よりも、前の時代……。まだ魔法を使うことが許された、魔王軍との戦争の時代のことをおれは前時代って呼んでる」

「およそ、八年前くらいか……」

「そんとき、おれは討伐に買って出た戦士だった。魔王軍の残党狩りだ。ダガレクス軍に混じって魔物を殺しまくっててな……」

 頼もしい部分があるのは間違いない。バーセルが集めた情報で、このガオスという男を雇うという話になったようだ。この男にはそれなりに働いてもらわなければ、バーセルの顔が立たないし高額な報酬の対価にもならない。

 しかし、先の悪態がイスカを不安にさせた。

「んじゃあ早速行くかあ、お嬢ちゃん」

「その呼び方はやめろ……。わたしにはイスカという名がちゃんとある。それに、他人とはいえ、わたしのせいで巻き添えを食らった、同じ馬車に乗り合わせた者たちの怪我が心配だ。すまないが……」

 言いながら、イスカは麓へと下りようとした。荷台で燃えていた火は消えていたが、悪漢たちの話では死者もいるとのことだった。

「まあ待ちなって。この倒れてる連中は死んだわけじゃねえ。殴ったりして気絶させてるだけだ。そのうち目が覚めるし、怪我人に構っていたらまた狙われるぞ。この道は人通りは少ないが、あんたが魔法を使っているところをもし誰かに見られでもしたら、こうして助けた意味もなくなる」

「さっき使った、なんちゃらテイルを使えばいいではないか」

「あれはそう頻繁に使っていいものじゃないんだ。おれにも限界がある。……行くぞ……」

 ガオスはイスカの首に前から腕を回して、イスカを無理矢理歩かせた。

 頑丈そうな筋肉。先ほどナイフと矢を弾いた鉄のような腕にイスカの腕力では敵いそうになく、

「はなせ! 薄情者! わたしはあの人たちを助けたいんだ!」

「いいから、行くぞ! おれだって雇われの身だ。運ぶ荷物を紛失したら、飯が食えなくなる」

「荷物だと、貴様……! わたしは空の……」

 と自らの立場を叫ぼうとしたが、ガオスはもう片方の手で、イスカの頭を抑えた。

「イスカなんて本名名乗ってるようなもんだろ。狙ってくださいって言ってるようなもんだろうが!」

 ガオスに怒鳴られながら引きずられ、話すこともできなくなったイスカは、渋々と抵抗するのを止めた。

 ――おのれ……! そのうち痛い目に遭わせてやる……!

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