第2話 憧れの先輩は女心をわかってくれない

「ほんと、立樹たつき先輩って優秀ですよね」


 さっき送ったPull Requestの件を思い出しながら言う。


「さっきのPull Requestの件か?」


 付き合いが長いせいか、何のことかすぐわかったらしい。

 こういうところは察しがいいんだから。


「はい。五分しない内にレビュー結果返って来てビックリですよ」

「それ言うなら、由紀子ゆきこも凄いだろ」

「普通にリファクタリングしただけですけど」


 それに、元々が大学生の時に先輩に教わったテクニックの応用だ。

 「作業を省力化するには正規表現を活用するといい」と。


「百箇所以上の修正を一時間程度で出来るとか、新人のレベルじゃないぞ」


 褒めてもらえて少し嬉しいけど、それでも素直に喜べない。


「正規表現で置換すれば、大体一発じゃないですか」


 結局はそれだけの話だ。sedで数行のスクリプトを書いただけ。


「いやいや。多少は正規表現で行けるけど、手作業は残るだろ」


 それは確かにそうだけど。


「99%は正規表現で置き換えて、残りは手作業でやっただけですよ」


 正規表現で全自動とは行かないのは当然のこと。

 残りを手作業で修正すれば、全部手作業より効率がいいだけ。


「それに先輩もこれくらい出来ますよね」


 素直に喜べない一番の理由がこれだった。


「出来るっちゃ出来るけど。俺は仮にも三年目だしなあ」


 先輩は都内の某国立大学の修士を出て、今の会社に就職してから早二年。

 社内でも能力を認められているらしく、早くもチームリーダーになっている。

 私は同じ大学の修士卒で先輩と二年遅れで、今年春にここに入社。

 

「別に俺クラスの奴はゴロゴロ居るんだけどなあ」


 自己評価としてはせいぜい中の上だと。

 私は上の中くらいじゃないかと思うんだけど。


「謙虚なのは美徳だと思いますけど」


 この人は昔からそうだった。涼しい顔をして色々出来てしまう。


「まずいことでもあるか?」

「先輩が自分を下げると、私達凡人がしんどいんですけど」


 ため息もつきたくなろうもの。


「お前は新卒でも、抜群に出来る方だろ」


 真面目な顔をしていっているから本心なのはわかる。でも。

 

「先輩と比べてしまうとまだまだですよ」


 昔から追いつきたかったけど、まだまだ道のりは遠い。


「でもなあ。所詮、俺は一点突破型だしな」


 本気なのか謙遜なのか。


「だからもう。先輩のスキルが凄いことは、自覚してますよね!」


 もし自覚してなかったら、それこそ罪だ。


「凄い、ねえ。まあ、多少は、そうなのかも、しれない、な」


 なるほど。こういう所はさすがに照れるんだ。

 たまに見る照れ顔は先輩の可愛いところだ。


「照れてますね?」

「多少はな。では、俺も結局一皮むけば、ただの人間だし」

「確かに昔の先輩は単に変な子でしたね」


 昔の事を思い出して、思わず笑みが溢れる。


「そうそう。変なたっちゃんですから」


 かつての先輩のあだ名。私は一度も呼んだことがないけど。

 結局、二年歳が離れている私は「先輩」が抜けなかった。

 同い歳の昔なじみがあだ名で呼び合っているのが羨ましかったっけ。


 そうこうしている内にお蕎麦が到着。


「ほら、蕎麦食べようぜ。俺も普段こういう高級なお蕎麦食べないし」

「節約家ですもんね。いただきます」

「いただきます」


 一緒に手を合わせて、頼んだ天ざる蕎麦セットを食べ始める。


「おいし!やっぱり、立ち食い蕎麦とは違いますね」


 少し機嫌が悪くなっていたけど、それをわすれる程の美味しさだ。

 喉越しさわやかでしっかりコシもあって、立ち食い蕎麦とは全然違う。


「あれはあれで好きだけどな」


 と苦笑しながらの先輩。


 私が東京に来て驚いたのは、立ち食い蕎麦屋の多さだった。

 特に、夏の暑い日や冬の寒い日にはよくお世話人になっている。


「ところで、先輩」

「ん?」

「今週の土曜日、空いてます?」


 もう何度目だろうか。そんなお誘いをかけてみる。


「空いてるけど、どうかしたのか?」


 先輩はピクリとも表情を動かさない。

 もっと嬉しそうな顔をして欲しいのに。


「デート行きませんか?」


 いつもの言葉。 


「遊びに行く、じゃなくてデートを強調するのはなんでだ?」


 強調する理由。先輩が好きだから。それだけなのだけど。

 

「私って今までまともな恋愛したことがないんですよ」


 でも口から出ていたのは本音とは別の言葉だった。


「お前くらい美人で、物腰も柔らかいとなれば引く手数多だと思うけど」


 確かに、それは事実だ。背が低くて、胸がそれなりにあるせいか。

 容姿がそれなりに良いせいか。男の子から想いを寄せられた事は多い。

 先輩が好きだったので、全部をお断りしていたけど。


「それと私が好きになれるかは別問題じゃないですか」


 本当は先輩が好きなのに、ついそんな言葉を返してしまう。


「じゃあ、俺を何度もデートに誘ってくる理由は?学生時代は違っただろ」

 

 本当は違わないんだけど。先輩は鈍いからなあ。


「社会人になって思うわけですよ。恋愛出来ないままでいいのかなって」


 ため息を吐く。回りくどい理由をつける私と気づいてくれない先輩の両方に。


「最近、恋愛したがらない二十代は増えてるらしいし、いいんじゃないか?」


 そんな他人行儀じゃなくて、もうちょっと違う反応が欲しい。

 我ながら面倒くさい女だと思う。


「先輩は知ってると思いますけど、これで結構寂しがり屋なんですよ」


 それだって、好きな先輩の声を聞きたいというだけなのだけど。


「時々、夜に電話したがるのも、そういうことだろうしな」


 しかし、先輩は平然とした様子で、やっぱり気づいてくれない。


「はい。なので先輩相手なら、恋愛が出来るかなって期待があるんです」


 本当に我ながら回りくどい。素直に、気になるからと言えればいいのに。


「じゃあさ。これまで四度デートしてみて、どうだった?」


 そこで平然と聞いてきますか。


「正直、わからないです。先輩と遊ぶのは楽しいですけど」


 本当は、いつも楽しくて仕方ないのだけど、恥ずかしくてそっぽを向いてしまう。


「しかし、決定打にかけるというわけか」


 違うんだってば。ただ先輩に気づいて欲しいだけ。

 

「はい。だから、次のデートは気合いれようと思います!」


 ああ。どんどんドツボにハマっていっている。


「あと、なんていうか。ム、ムードの出そうな場所を選ぶとか」


 言ってて、私は馬鹿じゃないかなって思う。

 予想通り、先輩がくっくっと笑いを堪えている。


「笑わないでくださいよ」

「意外だっただけ。でもムードか。遊園地でも行くか?」

「観覧車で告白とかよく聞きますよね」

「そうそう。そういう奴」


 夕方に観覧車で二人きり。実にいいシチュエーション。

 でも、それだと私はガチガチになって告白が出来そうにない。


「観覧車でとかベタじゃないですか」


 だから、やっぱり本音と裏腹にそんな事を言ってしまう。


「お前も、こだわるなあ」


 仕方ないなという表情の先輩。

 確かに私の事ながらややこしい。


「というわけで、ネカフェでデートとかどうですか?」


 以前から考えていたデートスポットを提案してみる。


「ネカフェデートって……ムードと正反対じゃないのか?」


 暗く狭い周囲がうるさい。先輩はそんなイメージなんだろう。

 しかし、最近のは違うのだ。最近のは。


「最近のネカフェはこんな風に、オシャレ感あるのも多いんですよ!」


 先輩にページを見せる。

 鍵付き完全個室に、防音。DVDやブルーレイが再生出来るPCもあるし。

 画面を投影出来るスクリーンまである。

 受付も、ホテルの受付かと思う豪華さだ。

 これなら普段の雰囲気でゆっくり出来るに違いない。


「じゃあ、ネカフェデートにするか」


 よし。心の中でガッツポーズ。

 決めた。ネカフェで距離を詰めて、そして告白するのだ。


「はい。でも。立樹先輩も服とか気合いれてくださいね!」


 普段、立樹先輩は服にズボラな方だ。

 でも、今度のデートはもう少し気合いを入れてくれると助かる。


「ええー。めんどくさいんだけど」


 案の定やる気なさげだった。


「お互い、気合いいれないとムード出ないじゃないですか!」


 ムードというより告白するなら、普段と違う雰囲気がいい。

 ただそれだけ。


「わかった、わかった」


 あー。この調子だと、先輩は適当に服を選んで来そうだ。

 ま、でも、仕方ないか。そんな人を好きになっちゃったんだし。


「じゃあ土曜日はよろしくお願いしますね」

「ああ、よろしくな」


 こうして、五度目のデートはネカフェデートになった。

 本当に今度こそ決めてやるんだから。

 

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