清楚系後輩な新入社員が、「デート行きませんか?」と誘って来たのだけど
久野真一
第1話 後輩女子と俺は昔なじみ
カタカタカタカタ。黙々と、キーボードを叩き続ける。
時期は七月上旬だけど、空調がほどよく効いていて快適だ。
【『RecommendationEngineクラスのメソッドを修正』
『ytomishima commented 1 hours ago』
先日、課題にあがっていたRecommendationEngineのリファクタリングです。
@tkusunoki レビューお願いします。】
Slackは多くのIT系企業が導入しているビジネスチャットだ。
(由紀子の奴、やけに早いな)
そう思いながら彼女が出したPull Requestの内容のレビューに入る。
今は社内プロダクトのコードレビューを書いている最中だ。
ソースコードのレビュー作業という奴は自分でコードを書くより数倍気を遣う。
class RecommendationEngine {
...
- public void getRecommendationFor(User user, List<Product> recommendation) {
- ...
- }
+ public List<Product> getRecommendationFor(User user) {
+ ...
+ }
...
}
Cに慣れていたと思われる前任者が妙なJavaコードを書いたのがきっかけ。
Javaなのに引数で返り値を返すなよと正直思ったものだ。
しかし、一度組み込まれてしまうと、なかなか修正しづらかったのも事実。
新卒にやってもらうタスクにはちょうど良かろうと、由紀子に頼んだのだった。
しかし、修正箇所が多いので、半日はかかると思っていたのだが……。
(よく1時間程で、これだけ修正出来たな)
修正内容は100ファイルくらいに及んでいる。
メソッドの呼び出し箇所が100箇所くらいあるから当然なのだけど。
にしても、この修正を1時間でとかあいつ、どんだけ手が早いんだか。
【修正は大体問題ありません。ただ、細かいところなのですが……】
新入社員の
ytomishimaというのが彼女のGitHubのID。
一方、俺のIDはtkusunoki。
彼女らしく、大枠の修正は問題ないが、細部でいくつか指摘したくなったのでコメントを書き加える。あんまり細かいところを指摘し過ぎると本末転倒という思いもあるが、細部にこだわってこそ良い製品が出来るのだという思いもある。
プログラマーというのはとかく一人で黙々とコミュニケーションを取らずにキーボードを叩いているイメージがあるけど、実際は山程コミュニケーションが必要な職種だ。
「よし!そろそろ、昼飯行くか!」
レビューコメントを書き終えて、背伸びをする。デスクワークは本当に肩が凝る。
(今日のお昼はどこ行くかな)
もう七月初旬で、初夏と言っていい天気と気温だ。
冷たいお蕎麦やうどん、とかが美味しい季節。
しかし、冷やし中華もいいかもしれない。
一人、お昼について悩んでいたのだが。
【
Slackの
早くも周囲からは期待の新人と見られている才媛でもある。
DMは他の社員に見られたくないメッセージを送る時に使う機能だ。
【いいけど、リクエストでもあるか?】
【何でも大丈夫ですけど、冷たいお蕎麦がいいですね!】
【じゃあ、蕎麦屋にするか】
返信を返して、少し考える。
(たまには、ちょっと豪華なもの奢ってもいいかもな)
幸い、俺はお金には困っていない。
先輩社員として日頃の頑張りを労ってもいいだろう。
【あ、そうそう。今日はおごっちゃる】
【いいですよ。別に、気を遣わなくても】
由紀子はそういうのをきっちりする方なのだ。
しかし、こっちはこっちで気が済まない。
【遠慮するな。新卒にしては十分な成果上げてくれてるし】
これは本音だ。
研修を終えた彼女が正式配属されてまだ一ヶ月。
既に教育係としての俺の手を離れたとはいえ。
彼女の向上心と、学習速度の早さは驚異的だ。
【でも、私はまだまだ新卒のぺーペーですし】
あくまで譲らないつもりらしい。
【じゃあ社員としてじゃなくて昔のよしみってことで】
社員としてだとだと首を縦に振らないとわかったので、こっちを持ち出す。
【わかりました。ゴチになります】
目の前に居たら礼儀正しくお辞儀をしているのが想像出来る。
そのくらいには彼女の事はよく知っていた。
外に出る準備をして、席を立つ。
「それじゃあ、ちょっとお昼行ってきます。って、富島さんは?」
同じ島の同僚たちに一声かけると、
「お疲れ様です。富島さんはもうお昼に行きましたよ」
二十代後半の同僚が答える。
「ああ、なるほど。先に一階で待ってるってことですね」
社内では上下に関わらず敬語がデフォルト。
上下で区別をつけると悪しき慣習がはびこるという俺の提言の成果でもある。
「
微笑ましげに見つめてくるのは、やはり同僚の女性社員さん。
物腰が柔らかくて、調整役として各方面で重宝されている。
「大学時代の先輩後輩ですから、そんなものですよ」
高校以前を言うと絶対妙な目で見られるので、それだけを返す。
ともあれ、今の我が社は風通しが良くて、過ごしやすい。
「絶対にあの二人、それだけじゃないと思うんですけど……」
「ですよね。なんだか、やけに親密というか」
遠ざかっている中で、コソコソと噂話が聞こえてくる。
まあ、勘違いされるのも無理ないんだけど。
「あー、もう。クソ暑い」
ビルの一階に降りて、ため息をつく。
我が社は都心の11階建てビル一つがオフィスになっている。
エンジニア部門は計100名程だけど、全社員1000名超の規模だ。
だから、待ち合わせはビル一階が定番なのだけど暑い。
外に比べたらマシだけど空調が効いてる7Fに比べると雲泥の差。
「あ、待ってましたよ。立樹先輩」
歩いてきた由紀子はちょこんとお辞儀をする。
落ち着いた茶色のミドル丈のスカートに、水色のブラウス。
ジョギング用のスニーカーなのが少し浮いているが歩き易さ重視らしい。
「由紀子はこの暑さなのに元気だよな」
既に俺は汗をかきはじめているのに、こいつは平然としている。
「立樹先輩が暑がりなんですよ」
「空調の効いた部屋に慣れるとどうしてもな」
「とにかく、行きましょうか」
一路、蕎麦屋へ。
「あーもう。夏とか消滅すればいいのに」
ギラギラと照りつける太陽に悪態をついてしまう。
じわじわと身体中から汗が滲み出てくる。
「いいじゃないですか、夏。私は好きですよ」
「夏が大嫌いなのは知ってるだろ?」
「先輩はただ暑いのが嫌いなだけですよね」
「それはそうなんだけどな」
俺は単に暑さに弱いのだ。
件の蕎麦屋まで歩いて五分。少しの辛抱だ。
ついてそうそう、さっさと店内に入る。
あー、涼しい。
「なんか、想像してたのと違いますね」
案内されたテーブル席で、由紀子はきょろきょろ。
「立ち食い蕎麦屋とでも思ったか?」
「正直……。こういうお店、ランチには高そうですし」
「たまにはちょっと奮発するのもいいだろ?」
今回、こいつを案内した蕎麦屋の価格帯は下は二千円台。
上は三千円台のもある。
ランチに行く店としては少々高い。
「昔から、時々気前よく奢ってくれますよね」
「ケチるところはケチる。使うところは使う」
結局お金というのは役立ててなんぼだ。
「そういえば、中高の時は色々奢ってもらいましたね」
どこか遠い目をする由紀子は、かつてを思い出しているのか。
「可愛い後輩へのささやかなサービスだよ」
彼女に限らず、仕事に真摯に取り組む後輩は応援したくなる。
「もう。先輩は口が軽いんですから」
少しくすくすと笑った後。
「ところで、以前に先輩のインタビュー記事読んだときも思ったんですが」
こちらを真剣な目で見つめてくる。
「ん?」
何が言いたいんだろう。
「ほんと、先輩って優秀ですよね」
どことなく、少し落ち込んだ声色で言う由紀子。
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