第59編「見返りを求めちゃいけないって、知ってるよ」
「あっ!!」
その姿はさながら、大好きな飼い主が帰宅した時の犬のようだ。
少し離れた場所で腕を組んだまま壁にもたれ掛かっていた『その人』は、恋幸の姿に気がつくと姿勢を正して控えめに手を振り返し、自身の肩に掛かる長い髪を片手で払い
「
「ううん、待ってないよ。私がひなこに会いたくて早く来すぎちゃっただけ」
恋幸が小走りですぐそばまで駆け寄ると、千は綺麗にグロスの塗られた唇で
今日は3ヶ月に1回のオフ会――簡潔に言えば、こうして事前に待ち合わせをして太陽が沈むまで一緒に遊ぶ日である。
どこへ行くか、何をするかは完全ノープラン。気が向くままに食べ歩いたり、ウィンドウショッピングのみで解散する場合もある。
「えへへ。私も千ちゃんに会いたかった!」
「よしよし、ひなこは可愛いねー」
にこにこと素直にはしゃぐ様に千も口元を
一拍分の間を置いた後、眉根を寄せて瞳の奥に怒りの色を
「せ、千ちゃん? どうかし、」
「ひなこ。誰に何されたの?」
「えっ」
冷たく
――……いかにも『泣き腫らしました』ってサマの
彼女が怒りの
「ちっ、違うよ! 違うよ千ちゃん!」
「何が?」
「これは、あのっ……確かに泣いたんだけど、嬉し泣きだから! 何かされたとかじゃないから大丈夫!」
頭の
具体的な内容は伏せて恋幸が必死で
「ひなこは嘘ついてたら顔に全部出てわかりやすいもん。今のは嘘ついてない顔だったから、大丈夫ならそれで良し」
(顔に全部出るって、裕一郎様にも同じこと言われたなぁ……そんなにわかりやすい?)
「行こ。今日は何する?」
あっけらかんとした千とは対照的に、恋幸はいまいち納得しきれない気持ちを抱えたままスマートフォンのマップ機能を起動させた。
◇
「ありがとう千ちゃん!」
「どういたしまして。それ、早めの誕プレね」
「え!? 嬉しい!! ありがとう!!」
「いや、冗談冗談。ちゃんとした物贈るから」
ショッピングモール内で何店か服屋を
駅前の通り沿いに最近オープンしたばかりのその店は、常に行列ができており事前予約は受け付けていない。
インターネット上での販売もしておらず、たい焼きが外好物の恋幸は駅前で
しかしなかなか1人で行く勇気がない……という話を聞かされて、「え? 私と行けばよくない?」と申し出たのが千だった。
特別人気商品なせいもあってか個数制限が
「ほんと、ひなこは素直で可愛いなぁ」
しみじみと呟かれた言葉に
慌ててスカートの
「あはは、すごい風だったね。春一番ってかん……」
――……昨日、裕一郎に刻まれた所有印を。
「……っ、」
恋幸が
瞬間、千の瞳に飛び込んだのは
直後に考えたくもない“もしかして”が頭の中を
「はー、びっくりした!」
「……」
「千ちゃん?」
言葉を言い切らないうちに黙り込んでしまった千を映すのは、いつもと変わらない
「どうしたの? 大丈夫?」
好き、大好き。私が一番ひなこを知ってるし、ずっと見てきたよ。ずっとずっと、一番に応援してきたよ。私は、ひなこにとっての『一番』にしてもらえないの?
いま口を開けば、大切な親友に
少しでも気を抜けば
「……っ、ひなこ……」
「小日向さん?」
それでも必死に震える唇を持ち上げた時、深い
「倉本さん!」
「倉本……」
どこか聞き覚えのある名前に千がゆっくり振り返ると、そこに立っていたのはスリーピーススーツを着こなして短い黒髪を風に揺らす長身の成人男性だった。
彼女の目線では初対面。
だが
「ちーっす、小日向さん! お久しぶり? 多分、久しぶりっすね!」
「広瀬さん、こんにちは! お久しぶりです!」
「……
「はーい、はしゃいですんませ……、!?」
千を一目見た瞬間、縁人の心臓を一本の矢が射抜いていったのはまた別の話だ。
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