第8編「職権濫用? 人聞きが悪いですね」

 気づけば3月も残り半分。

 暖かくて過ごしやすい日が少しずつ増え、恋幸は最近ようやく魔のモンスター【KOTATSU】の討伐ハントに成功した。


 そんな彼女は今日も今日とて部屋に引きこもり、先日清水さんからダメ出しを受けた原稿の修正作業に勤しんでいたのだが、一旦手を止めて椅子の背もたれに体重を預けながら大きく背伸びをする。

 それから「はあ」と一つ息を吐き、取り出したのはスマートフォン。



『改稿、なんとか間に合いそう! ほっ……!』



 こなれた手つきで恋幸がTbutterに呟きを投稿すると、さっそく通知欄に「つぶやきへの返信1件」と表示される。その『相手』が誰なのか検討のついている彼女は、思わず口元をほころばせた。



『いつもお疲れ様です。お体ご自愛くださいね。』

(やっぱり友楽さんからだ……!)



 ふふ、と笑う恋幸が余裕でいられたのは、友楽からの返信に表記された日付を見るまでだ。

 左下の小さな字で主張している『今日」は、



(ささささ、3月15日……!? しまった!! もうを過ぎているゥ……ッ!?)



 焦りと困惑が脳を支配し、冷静に正確な判断を下すことが困難になってしまった彼女の行動は早い。

 そう……とにかく早いのだった。


 裕一郎からもらった名刺を取り出し、電話番号を打ち込むまで――……その間、わずか1分。



『……はい、倉本です』

「もっ……わたっ、わ……我が名は小日向恋幸也……そなたを四半刻しはんこく後、我が聖地にいざなおうぞ……」

『……イタズラ電話ですか? 切りますね』





「なぜ普通に言ってくださらないんですか」

「くっ、倉本様の声を聞いたら……急に恥ずかしくなっちゃって……」



 あれからきっちり四半刻(30分)後……2人は、恋幸の聖地(モチダ珈琲店)にて落ち合っていた。

 自身の手元に目線を落としたままもじもじする恋幸の返答を聞き、裕一郎はわずかに首を傾げる。



「……? 恥ずかしい? なぜですか?」

「だって、その……倉本様は声もかっこいいから……」

「……」



 何も言い返されなかったことから「もしかして、気を悪くさせてしまったのかな?」と不安を抱きつつ顔を上げた恋幸の目に映ったのは、整った眉を八の字にして片手で口元を隠す裕一郎の姿だった。


 その頬が少しだけ赤く色づいているように見えるのは、気のせいだろうか?



「……あの、倉本さ」

「貴女は、」

「は、はいっ!!」



 背筋をピンと伸ばし次の言葉を待つ恋幸だったが、裕一郎は目を逸らし唇を引き結んでしまう。


 やはり、不快にさせてしまったのだろうか? それとも、世辞の上手い女だと軽蔑されてしまったのだろうか? 本心かどうかなんて、私にしかわからない。

 突然二人の間に流れた静寂に様々な不安が頭の中を駆け巡った後、少しの間を置きゆっくりと移動した彼の目線は、彼女の輪郭をなぞってその瞳をまっすぐ見据える。



(あ、やっぱり綺麗な色……)

「……貴女は私をどうしたいんですか……」

「……えっ?」

「たまたま昼休憩だったので電話に出ることができましたが、今日は平日だと気づいていないんですか?」

「……、……ああっ!?」



 一気に血の気が引き勢い良く立ち上がる恋幸を見て、裕一郎は「そんな事だろうと思いました」と呆れ顔で小さなため息をこぼした。



「あわわわ、わた、わわわ、」

「落ち着いてください」

「すーっ……はーっ……わ、私!! すみませんお仕事の邪魔をして!! 今、何時……14時!? 昼休憩終わってますよね、すみません!! 私なんか放っておいて大丈夫なのでお仕事に戻ってください!!」

「ですから……いったん落ち着いてください」

「!?」



 じわじわと目尻に涙のこみ上げる彼女の片手を優しく握り、裕一郎は「謝る必要はありません」と優しい声音で言葉を紡ぐ。

 恋幸はたったそれだけで力が抜けてしまい、客席のソファーにぽすりと腰を下ろした。



(手、裕一郎様の手……っ! おっきい……男の人みたいな手だ……)



 みたいな、ではなく裕一郎はしっかり『男』である。



「今日は、午後から半休に変更しました」

(半休に“変更しました”……?)

「ですので、こちらの仕事に関して貴女が心配すべき事は何もありません」

「そう、なん、ですね……良かったぁ……」



 安堵した恋幸がへらりと笑った瞬間――まるで引き寄せられるかのように裕一郎の片手が彼女の頭に伸びた。

 そして優しく撫で始めたものだから、恋幸の思考はフリーズ不可避。何が起きたかありのままに話すことすらままならなかった。



「……失礼。ペットに似ていたものですから、つい」



 彼はそう言って手を離すが、恋幸の心は今の一瞬で『ペット』というワードに奪われてしまい、らんらんと目を輝かせて裕一郎の顔を見上げる。



「ペット、飼ってるんですか!?」

「……ええ、まあ」

「いつからですか!? 種類は!? お名前は!?」

「うちに迎えたのは3年ほど前で……ああ、いえ。それはまた機会があればお話するとして……今日の要件はなんですか?」



 彼が目線を向けると、恋幸は途端に唇をきゅっと閉じて再び俯いてしまった。


 次の言葉を待つ裕一郎がお冷を持ち上げた時、氷のぶつかり合う音に紛れて鼓膜をノックする小さな声。



「……た、……に、……かけ……て、」

「……?」



 首を傾げる彼の瞳に、真っ赤な顔で言葉を紡ぐ恋幸の姿が映った。

 色素の薄いブラウンのビー玉には涙が滲み、いわゆる『上目遣い』の効果を体験した裕一郎は心の中で(なるほど?)と呟く。



「……あ、明日……どこかに、い、一緒に……お出かけ、したく、て……で、でも! 明日も平日だから倉本様にはお仕事がある事にさっき気づいたので、また別の機会に誘」

「構いませんよ」

「……えっ?」

「明日ですよね? 問題ありません。待ち合わせ時間と場所の希望はありますか?」

(ほゃ……)



 いえそんな! 仕事ですよね!? また都合の良い日があれば教えてください!!


 建前だけのそんな言葉は、裕一郎の整った顔を見ていると消え失せてしまう恋幸であった。



「えきまえ……じゅういちじ……おねがいします……」

「どうしました? 何だか知能レベルが下がっていませんか?」

「だいじょぶです……」

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