第3編「そのパーカー、どこに売っていたんです?」

 恋幸が衝撃的な初対面逆プロポーズをしてから、早いもので1週間が経つ。

 あの日から、彼女の執筆速度は急激に落ちる……どころか、筆が乗りに乗っていた。絶好調! というやつである。



(はぁーっ……前世の和臣様もとびきり美男子だったけど、今世でも眉目秀麗びもくしゅうれいな殿方だったなぁ……)



 24時間、寝ても覚めても恋幸の頭の中は今世の和臣……もとい、先週出会った名も知れない男性のことでいっぱい。だが、そのおかげで作業がたいへんはかどっているのだ。


 何を隠そう、恋幸の代表作『未来まで愛して、旦那様!』は、彼女が前世の記憶にもとづいて書きつづるラブストーリー。なお、和臣に許可は取っていない。

 もちろん死亡エンドは避けて、途中から「私があの後、無事に和臣様と結婚して夫婦になっていたら」のIf世界を連載しているのだが、生まれ変わった(かもしれない)本人と出会ったことにより妄想が次から次へ溢れ出して止まらないのだ。


 しかし……それはそれ、これはこれ。

 執筆が捗っているのは事実だが、『あの日』からモチダ珈琲店に行けていないこともまた事実であった。



(行きたい、けど……う、後ろめたい……っ!)



 人目もはばからず店内で堂々と求婚してしまったのだ、きっと聞こえてしまった店員が一人くらいはいるだろう。


 そして「ねー聞いてー! 知ってるー? よく来てたあのメロンソーダマン、いきなりプロポーズしててまじウケたんだけどー!」「えー!? ヤバくなーい!? ドン引きなんですけどー!!」などと噂話が広がっているかもしれない……という被害妄想が恋幸の頭によぎり、どうにも行く気になれなかったのだ。


 しかし――……恋幸の意思は、弱かった。



(でもでも!! そろそろモチダ珈琲のメロンソーダが飲みたい……っ! コンビニのフォンタ・メロンソーダ味じゃ満たされないよー!! 本家の味が恋しい……っ!!)



 メロンソーダマンは無駄に“つう”ぶったこだわりを持っているが、モチダ珈琲店のメニューに載っているメロンソーダは企業で契約を結び日本ソダ・ソーダから仕入れたフォンタを提供しているだけ……という話は、従業員だけの秘密である。



「ふーっ……とりあえず、お散歩に行こう……」



 恥も外聞がいぶんもかなぐり捨てて近日中にモチダ珈琲店へ行くかどうかはもう少し悩むことにして、恋幸は気分転換のために外へ出ることにした。

 時刻は正午少し過ぎ。ここ数日ずっと缶詰め状態で作業していたので、健康にも良いだろう。



「財布と、スマホスマホ……あれ? どこにやったっ、あっ! あった!」



 恋幸は、部屋でだらだ……のんびり過ごすため身につけていたパーカーを着替えるべきだろうかと考えて足を止めクローゼットに目をやるが「知り合いに会うわけでもないし、そんなに長時間出歩かないし大丈夫だよね! 誰も私の服なんかじっくり見ないし!」という結論に至り、そのままの格好でピンクのスニーカーを履き玄関を出るのだった。






 そして今、彼女は何かの奇跡で時間が戻ることを祈っていた。



「……ああ、やっぱり。先週、モチダ珈琲店でお会いした方ですよね? こんにちは」

(あっ、なっ……なんで、和臣様がここに……!?)



 彼の名前は『和臣』ではないのだが、まずは恋幸が祈りを捧げるまでの経緯を説明しよう。

 ……と言っても、特に大きなイベントが起きたわけではなく、単に「小腹を空かせた恋幸が立ち寄ったコンビニの外で偶然あの時の『彼』に鉢合わせした」という流れである。



(あわわ……えっ? もしかして、私に声をかけてくださった……?)



 もしかしなくても“そう”なのだが、目の前に再び現れた男性の存在は幻覚ではないだろうか? 本物ならなぜこんな時間にいるのか? そしてよりにもよってなぜ私は胸元に『寿司万歳』と書かれたクソダサパーカーを着てきてしまったのか? など、様々な感情が渦巻く恋幸の脳内は軽いパニックに陥っていた。


 そして、少しの思考フリーズ時間を置き彼女の口から出た言葉は、



「……なぜ、ここに現れた……?」



 確かに倒したはずの勇者がヒロインを助けに来た際、敵側の中堅幹部が唖然とした表情で呟くようなセリフで、場の空気は一瞬で凍りつく。

 しかし……二人の間に流れた静寂を先に切り裂いたのは、意外にも彼の方だった。



「……昼休憩ですので。少し、買い物に」

(あっ!)



 そっかなるほどお昼休み! と、恋幸の心は冷静にその言葉を飲み込んだが、なおも軽いパニック状態の続く脳が口から発するために用意したセリフは、



「であろうな……」



 江戸時代に住む武士の『それ』で、恋幸は先程からおかしな言動を繰り返してしまう自分自身が恥ずかしくてたまらない。まさに「穴があったら入りたい」という状況だ。



「……はい」

(返事をしてくださった……っ!!)



 しかし、彼が言動について深く触れないでいてくれることや、ドン引きした様子を見せないことだけは唯一の救いである。



「……ああ、そういえば……最近、どうしてモチダ喫茶に来ないんですか?」

「……えっ!?」

「週5で通っている常連だ、と耳にしました。しかし、今週は全く姿を見せていない、と。……なぜです?」



 晴れ渡った空のように透き通る彼の青い瞳が、眼鏡のレンズ越しに恋幸を映す。

 しかし表情は一切変化を見せておらず、その言葉に隠された真意を彼女がみ取ることは困難だった。


 いや……もしかすると、深い意味なんて無いのかもしれない。



「え、っと……その……い、忙しくて……」



 貴方に公開プロポーズをしてしまったからです、とは言えなかった。

 そもそも、彼がその話題に触れていないのだから、彼女がわざわざやぶをつついて蛇を出すような危険を犯す必要もないだろう。



「あっ、でも! 今週は時間ができたので、日曜日にまた行こうかなー……なんて!!」

「……そうですか」



 彼は相変わらず無表情で淡白な返事を返しつつ、手に持っていたレジ袋から缶のホットカフェオレを取り出して恋幸に手渡す。



「……? これ、」

「こんな所で呼び止めてすみません、寒かったでしょう」

「い、いえ……! 大丈夫です!」

「そうですか。では……また、日曜日に」

「はいっ!!」



 一礼して去る『彼』の後ろ姿を、恋幸は夢心地な気分で見送っていた。



(……あれ? 日曜日に、って……え? 実質、待ち合わせの約束しちゃった……? 和臣様、だいすき! すきすきっ!!)



 2月も終わりを迎え、もうすぐ春が来る。

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