今日は夏の祝祭。アルネリスの街は、大忙しです。

 朝から飾りつけ、ワインやごちそうの準備で、街中が大変な活気に満ちていました。


 ミッチェルやサンダ、マチルダも、もちろん手伝いに走りましたが、他の天使に比べ、二倍も忙しいのです。なぜって、今日こそ、コレッジョ宮殿から魂を持ち出し、アンナータに返す決行日だったからです。


 夕方になって、ファンファーレが鳴り響くと、街を流れる水路で、そらイルカたちがジャンプを始めました。彼らは、透き通った優美な体を、夕日でアプリコットに染めながら、街中に喜ばしい祝祭の始まりを告げるのです。


 サンダは、コレッジョ宮殿にほど近いところに立っている、大木の枝に隠れていました。耳には稲妻の形の、金のピアスをしています。宮殿前の水路では、さっき、空イルカが跳ねたばかりでした。


 門番たちは、槍を持ったままにこにこしていましたが、イルカが去ると、こんな日に仕事なんてとぶつぶつ言い合い、今日のシンクロナイズドフライングでは、どこのチームが勝つだろうかとか、たわいもないおしゃべりをしていました。


 空に星が浮かび始めたころ、ミッチェルが息を切らして、サンダのいる枝まで登ってきました。

「遅いぞミッチ。」

サンダがささやくと、

「途中で親父に会ったんだ。どさくさにまぎれて抜け出すのに時間がかかった。竪琴弾きたてごとひきは?」

「まだだ。」

「そっか、門番はひとり?」

「中にもうひとりいるよ。でも、竪琴弾きの腕がたしかなら、出てくるだろうぜ。」

「そうだな。……これ、食うか?」

 ミッチェルは、小さな白パンを何個か差し出しました。


「お、いいね。」

「落とすなよ。」

二人は木の上で、枝に体をぴったり沿わせて、もぐもぐやりはじめました。


「ルチアーノとマチルダは、湖で待ってる。」

 ミッチェルが言うと、サンダはパンを口へ放りこむのをやめました。

 コレッジョ宮殿の水路のせせらぎは、今は綺麗な幾何学模様を浮かび上がらせていました。


「マチルダは、あいつに惚れてんのかな?」

「ん?」

「ルチアーノだよ。みんなしてわーきゃー騒いでるけどさ。あんなの一体どこがいいんだ? たしかに頭はよさそうだけど、背が高いだけの……何だよ。」


 ミッチェルがまじまじと見つめるので、サンダがするどい瞳を向けると、ミッチェルはにやっとして言いました。

「……なるほどな。そういうのは、言ったほうがいいぜ。」

「はっ? 何をだよ? 」

「好きなんだろ? 」

サンダは怒ったような顔をして、一瞬、黙りこむと言いました。

「……ミッチなら、言うのかよ?」

ミッチェルは、一瞬考えて、あかるく笑って言いました。

「ぶつくさ言ってるよりましだろ? 」

「誰がぶつくさ言……」

「しいっ! 誰かこっち来たぞ!」

 ふたりはあわててパンをほおばると、身じろぎもせずに、葉の影から通路をのぞきました。


 白い、やわらかな服を着た人がこちらに向かってきます。その手には銀の竪琴を持っていました。

 あれが、ルチアーノの言っていた竪琴弾きに違いありません。門番も、気がついてそちらを見ています。


 その人は、黒く豊かな髪に、きらきら輝く星をちりばめていました。細面に涼やかな目元をして、体の線にそったドレスをまとっています。


「いい祝祭の夜ですね。」


 宮殿の近くまで来ると、その人は門番に話しかけました。声が、夜の闇に深く甘く響きました。


「ええ、いい夜ですね。夜番に当たったのが残念です。」

門番も、微笑みながら返事をしました。


「あら、交代はありませんの? ……それは残念ね。

……あたくし、今夜ソロで竪琴をご披露することになってしまいましたの。もしよろしかったら、仕上げの練習におつきあい下さいません? 会場の近くでは、落ち着かなくて。」


「それはうれしいですね。ぜひお聴かせ下さい。」

「ありがとう。それでは。」

 竪琴弾きは微笑むと、階段に浅く腰掛けて、音色の調整を始めました。ミッチェルは、雲でできたイヤーマフをサンダに渡し、ふたりでそれをかぶりました。


 夜風はいい匂いがしました。さわさわと揺れる木の葉の間から、竪琴弾きが旋律を奏でるのが見えました。

 月の光に、時々、漆黒の髪がきらきらと光りました。細い腕が上下して弦をかき鳴らすと、月下美人の花でさえうっとりとして、眠ってしまいました。


 ふたりはすっかり感心して、優雅な演奏に目を奪われていました。


 門が開いて、中からもうひとりの門番が姿を現しました。門番たちは、建物に寄りかかってメロディーを聴いていましたが、やがてまぶたをすっと閉じると、すうすう寝息を立て始めました。

 サンダが体を起こすと、ミッチェルはそれを止めました。演奏は、ちょうど終わるところでした。


 弾き手は立ち上がると、眠っている門番ふたりを見て微笑みました。

 それから、ルチアーノから聞いているのか、ほんのちょっとあたりを見回して、誰かを探すようなしぐさをしましたが、ミッチェルたちの姿が見えないと知ると、そっと去っていきました。


            

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