⒉
マチルダは、いい加減不安になってきました。いつまでたってもサンダが帰ってこないのです。
湖をのぞくと、下界はずっと暗くなって街の明かりがこうこうとともるのが見えます。オレンジ色の水たまりみたいだわ、と彼女は思いました。
下界に隠れようと言ったのはマチルダでした。サンダをからかってみたのです。自分では、はなっから、そんな気はありませんでした。
ところが、怒りんぼのサンダは、もともときりっとした目の光をさらに強めて、
「おれが臆病者だと思っているんだろ。」
と言いました。
「でも、うちのパパは、毎日どこかしらに稲妻を起こしているんだ! おれだって、いつかその仕事をするんだ! 怖いわけないだろ! 」
と、止めるのも聞かずに、湖に飛び込んでいってしまったのです。
マチルダは、みんなに知らせようかと思いました。天使の子どもが、ひとりで下界におりるなんて、きいたこともありません。でも、サンダだって、気がすんだらすぐに戻ってくるだろうとも思いました。
そうして、湖のそばで待っているうちに、ついうとうとと眠ってしまったのです。
気がつくと、すっかりおひさまがかたむいていたので、マチルダはあせりました。サンダが戻ってきたのなら、揺すってでも彼女を起こすでしょう。ほら、ちゃんと行って戻ってきたぜ!って。けれども、その姿はどこにもみあたらないのです。
「サンダー! もう、隠れんぼは終わりにしましょ!」
彼女は水面に向かって叫んでみました。
下の景色がゆらゆらと揺れ、近くにいた虫たちが、歌うのをやめました。
水に顔をつけなくちゃいけないのかしら。マチルダは思いました。そうしないと、聞こえないのかもしれないわ。でも、髪がぬれちゃうのはいや。だけど……。マチルダはもう一度、ありったけの声で叫びました。
「サンダー! 戻ってきてー!」
すると羽ばたきの音がして、声を聞きつけたミッチェルがこちらに飛んでくるのが見えました。
「マチルダ! どうしたんだ? 」
「ミッチ! どうしよう? わたし、あんなこと言わなきゃよかった。」
マチルダは困った顔で、舞い降りるミッチェルに言いました。
「サンダの奴、下界へ行ったんだな? どのくらいたつんだ?」
「わたし、待っているうちに眠ってしまったの。飛び込んだのは、隠れんぼが始まってすぐよ。」
「まったく。じゃあ、おれが探しに行くよ。さっきノーノさんがおまえの家に寄るって言ってたから、このことを知らせに行くんだ。そんで、サンダの家にも知らせなくちゃ。」
「でも……。」
マチルダはおずおずと言いました。
「ひどく怒られないかしら。うちのママはたかがしれてるけど、サンダのおうちはものすごく厳しいって……。クッキーのかけらをこぼしただけで、雷が飛んでくるって言ってたわ。わたしのせいで……」
綺麗な木の実の色の瞳をふせて、マチルダは悲しそうに言いました。
「わかったわかった。じゃあ、ここで待ってて。大急ぎで行ってくるから。」
ミッチェルが湖に向かって歩き出すと、マチルダが追いかけてきました。
「わたしも行く!」
「ええっ?」
「ここにいたら、そのうち誰かに見つかっちゃうわ。……帰ることもできないし。」
「まあ、ふたりで探したほうがはやいかもな。よし、行こうぜ!」
ミッチェルは水の向こうにゆらゆら動く、オレンジ色の街を見つめました。子どもは誰も行ったことがない場所へ行くなんて、なんだかわくわくします。反対にマチルダはちょっと怖い気がして、体を小刻みにふるわせていました。
「大丈夫か?」
ミッチェルが笑いながら言うと、
「決まってるじゃない。」
マチルダは言いました。
「なら、いいけど。」
そう言うと、ミッチは思いっきりジャンプしました。マチルダも、えいっと心を決めてあとに続きました。二人は綺麗な水柱を立てて、虹の湖に飛び込みました。
さて、先に湖に飛び込んだサンダはどうなったでしょうか?
彼は閃光をひらめかせ、大きな音をたてて、すさまじい勢いで落下していきました。そして、あたりで一番高いビルの上の鉄塔に、ひどい音をたててぶつかると、そのまま屋上に倒れて、気を失ってしまいました。
やがて、一人のおじさんが、壊れた鉄塔の元にやってきました。
「これはひどくやられたもんだ。」
工具箱を置いて、手袋をはめようとした時、鉄塔の影にころがっているサンダが目に入りました。
おじさんは、びっくりしてかけよりました。子供が雷に打たれたと思ったのです。その子は、背中に翼のついた服を着て横たわっていましたが、彼が抱き起こすとぱちっと目を開け、とたんに身をひるがえして離れました。
「お、お前は誰だ!」
サンダは叫びました。
「大丈夫かい? わたしはこのビルの管理人だよ。きみ、平気かい?」
「ビルだって? ビル?」
サンダはちょっと頭を混乱させて、口のなかでもごもご言ったあと、はっと気がつきました。そうだ、下界に降りて来たんだった。
あたりを見回してみると、ここはアルネリスと違って、なんだかごみごみしていて、とても空気が悪いように思いました。
「怪我はないようだが、どこから来たんだい? 大きな羽をつけてるね。お芝居でもあったのかな?」
「お芝居だって? いったい何の話をしてるんだよ?」
サンダは怒って言いました。
「お誕生会でもあるのかな……? まあいいさ、もう、家に帰る時間だろう? 一緒に、下まで降りよう。」
おじさんは、にっこり笑うと手を差し出しました。
「一緒に降りるって? これは、羽なんかじゃない、立派な翼なんだ。翼のないあんたが、どうやっておれと降りるんだよ?」
サンダはあとずさりしました。
「きみ、危ないよ。こっちへおいで。」
心配そうなおじさんを、サンダは険しい顔つきでにらむと、そのまま後ろ向きにジャンプしました。
おじさんは声を上げて、建物の端までかけよりました。何てことだ!
ここから地面までは、ゆうに五十メートルはあるのです。おじさんが、真っ青になって下をのぞき込もうとすると、翼を動かしたサンダが、目の前に浮いているではありませんか。
口をあんぐりあけて、固まっているおじさんを気にもしないで、サンダは大きく翼を広げると、ゆうゆうと飛んでいきました。
それからも、ちょっと大変でした。通りがかりの人々が、空を見上げてサンダに気づくと、腰を抜かしたり、両手を組んでお祈りしたり、何よりサンダが驚いたのは、バックから小さい箱のようなものを取り出すと、何やら音がして、小さな雷を起こす人々がいたのです。
それはただのスマートフォンでしたが、天使のサンダが知るはずもなく、彼は、フラッシュに目がくらんで電柱にぶつかりそうになりました。
空気はのどにつまるようだし、のどは渇くし、目はチカチカしてさんざんです。どこか安心できるところがないかと探していると、遠くに森があるのが見えました。
サンダは力をふりしぼって飛ぶと、背の高い杉の木の間に降り立ちました。
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