第11話 プリズム

 昼休みのオフィスは閑散としていた。

 コピー機から吐き出される資料を見ながら、とりあえず今のところはうまくやれていると思った。今日は経営会議での発表があり、朝イチで最終資料を部長に説明し、会議に出席、その後は先月の営業速報値をまとめた。午後はその資料を使ってミーティングだ。

 その時、後輩の佐伯凛がコーナーにつかつかと入ってきた。

「河野先輩、なんかあったんですか」

と、ふいに言うから、びっくりして凛の顔を見つめた。相変わらず無表情だ。

「先輩はいつも始業30分前には来ているのに、今日は遅刻ギリギリでした。お昼も食べてないですよね。目も赤いし」

 瞼の内側に涙が溜まるのがわかった。下を向いたがこらえきれず、涙が床にぽとぽとっと落ちて、黒く染みを作った。

「……飼っていた文鳥が、今朝急に死んじゃったの」

 話し出すとどんなに抑えようとしても声が震えた。


 飼ってまだ1ヵ月の幼い桜文鳥だった。昨夜まで元気だったのに、今朝、突然足が立たなくなっていた。手のひらに乗せてさすり、「!」と名前を何度も呼びかけると一度目を開けて小さく羽ばたき、そのまま静かに死んでしまった。

 信じられない思いでタオルでくるみ、ケージ内に横たわらせた。何が悪かったんだろう、なぜ急に死んでしまったんだろうと考えながら出社し、仕事をこなした。

 うまくやれていると思ったのに──凛は気づいていた。

 目元を拭って背の高い凛を見上げると、彼女は唇を噛み、涙を目に溜めていたのでまた驚いた。


「そんなことがあったのに、仕事してたなんて。

 もう今日は帰って、思う存分泣いてください。課長にはうまく言っておきます」

 一気にそう言うと、凛は目をこすった。


「課長に怒られちゃうよ」

と呟くと、凛は苦しげに首を振った。

「私は動物を飼ったことがないので、河野先輩の悲しみを全部は理解できていないと思います。──でも、私は先輩の味方でいたいです。後は私に任せてください」


 凛は、数的なセンスが抜群だがいつも無表情で無愛想で、何を考えているかわからなかった。言葉選びが下手で、誤解を生じることもあるから裏でフォローが欠かせない「手がかかる後輩」だった。


 でも今は──凛に私は救われていた。

 私を責めるのでもなく、鳥ごときにと呆れるのでもなく、ただ私の悲しみをわかろうとしてくれる凛に。


 木の葉を初めて家に連れ帰ったとき、見慣れた自宅がきらめいて見えた。会社と自宅の往復だけだった日常に、プリズムのような輝きをくれた小さな命。

 凛もまた、業務をこなすだけの忙しないオフィスの中で、きらめきを放つ存在なのかもしれなかった。


 ──ただ私が気づかなかっただけで。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る