第9話 なにものでもない恋

「私、あなたのファンです」

そんなこと言われたのは生まれて初めてだった。

なにものでもない私の描いた絵を、見つけてくれた。

まるで、地底に突然射し込んだ光みたいだった。


幼い頃からひたすら描いて描いて、予備校まで行って美大にようやく入れたけれど、そこは自分とは段違いの才能たちの集まりだった。劣等感とちょっとの浮上を繰り返して4年が過ぎ、予想通り就職には失敗した。華々しい場所に飛び立つ子、夢を抱いて海外に武者修行に行く子、いきなりフリーで勝負に出る子。

才能のようなもの、しかなかった私はなにものにもなれず、行きつけだったカフェの店員になりながら、それでも捨てきれない創作欲で絵を描いていた。

絵は、私の状況を知る優しいオーナーが額装して飾ってくれたけれど、ただカフェの風景に溶け込んだに過ぎなかった。

それなのに、彼女は気づいてくれたのだ。私の絵に。

 

「誰の絵かオーナーに聞いたら、あなたが描いたって教えてくれたの」

濃い色のパンツスーツを着て、長い髪を後ろでひとつに束ねた綺麗なお客さん。近隣のオフィスに勤めているのか、たまに来店する時はいつも一人で、忙しそうにノートパソコンで何かを入力しながら黙々とランチを食べる。注文とお会計の時くらいしか、話したこともなかったのに。


「もっとあなたの……上島さんの絵が見たいです」と彼女は私の名札に目を走らせて笑顔で言って、多田ほのみと書かれた名刺をくれた。

その後も来店するたび彼女は私に絵を見せてと言ってくれたので、やがて以前の作品や、新作も見せるようになった。

毎回決まって言ってくれる「亜季ちゃんの絵、私やっぱり大好き」という言葉を聞きたくて、私は毎晩スケッチブックを広げた。


今日、私はまた絵を見せる。


数日かけて初めてほのみさんを描いた絵。私は人物画は得意ではないけれど、どうしても描きたかった。


なにものでもない私は、きちんとした会社に勤め、キャリアを築いている彼女を好きになる資格もないと思う。

だけど、絵を描くのを辞められないように、彼女を好きになるのも止められなかった。


どうか好きでいさせて、あなたを描かせて。

今はそれ以上は望まないから。


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