第6話 たったひとり
その人は鈴木
人望がある、弓道部女子部長。
鈴木は他にもいるし、印象的な名前だから、先輩たちは「めいちゃん」、私たち後輩は「芽生沙先輩」と呼ぶ。
でも、あの人――坂本佳織先輩だけは、「すず」と呼ぶ。
最初、誰のことを呼んでいるのかわからなかったけれど、坂本先輩の視線の先には芽生沙先輩がいて、そしてとびっきり嬉しそうな顔で手を振っていた。
「坂本先輩は芽生沙先輩のことをすずって呼ぶよね」
と同じ1年の真希に話した時、真希はそういえば、と呟いた。
「他の先輩もすずって呼んだら、坂本先輩がダメっていったらしいよ」
どうしてなのか、私はなんとなくわかった。
坂本先輩は、自分だけの呼び名で、芽生沙先輩を独占しようとしているんだ。
二人はクラスも別だし、部活動中も部長として後輩の指導や庶務にも忙しい芽生沙先輩と、エースとしてひたすら練習に励む坂本先輩はほとんど話もしてないように見える。
でも、いつも部活が終わると、坂本先輩は芽生沙先輩の支度が終わるのを部室の外で待ち、彼女が現れると「すず!」と呼ぶのだ。
すると芽生沙先輩は花が開くように笑顔になって坂本先輩の元へと走っていき、二人は肩を並べて帰っていく。
週末、二人が街を歩いているところを偶然見かけた。
芽生沙先輩はいつもの真面目な部長という雰囲気を一変させ、肩を大胆に出した水色のオフショルダーのTシャツに白いショートパンツを着て、髪を垂らし、お化粧もしてとても華やかだった。
坂本先輩はシンプルな白Tにダメージデニム。長い髪はポニーテールにして、大きなイヤリングが揺れている。
二人はぴったり寄り添って、弾けるように笑い合って歩いていた。何を話しているかまではわからなかったけれど、「すず」って何度も坂本先輩がいうのが聞こえて、そのたび芽生沙先輩は坂本先輩の目を見て微笑んだ。
耳に、坂本先輩とお揃いのイヤリングが揺れていた。
――これが本当の芽生沙先輩なんだ、と思った。
坂本先輩に「すず」って呼ばれる時、芽生沙先輩は一番自分らしくいられるんだ。
いいな。
私にも、たったひとり、その人だけの呼び名で私を独占してくれる人がいたならな。
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