第2章 シルフィア連邦編

第13話 日課

 それは学園の再開まで残り数日となった日のこと。


「ノーム様、只今エルニア学園からご連絡がありました」

「何かあったのか?」


 すまし顔で尋ねる。


 しかし内心では長期休暇の終わりを告げるの連絡だろうと予想はついていた。


 期待と不安に胸を膨らませる。


「先日の反皇族派による事件の影響があり、皇族と公爵家、それに所縁のある家に対しては登校開始時期を延期させるとのことです」

「……え」


 予想に反して、長期休暇の延長の連絡だった。


 八歳時点の俺であったなら、自由に遊べる時間が増えたと喜んでいたはずだ。


 しかし今の俺はというと、軽いショックを受けていた。


 ある程度この生活に慣れてきたとはいえ、この屋敷内ではやはり気苦労が絶えないのだ。


 リビアさえ居てくれたらもっと気楽にできていたのだろうが、彼女は未だ療養中であり復帰は当分先。


 現状、俺が素を出せるのは地下で修行している時くらいのものだった。


 このままではストレスで倒れてしまいそうである。


「まあそうか……」


 だが生憎と学園の判断も理解できた。


 あんな事件が起こった後、しかも身内に犯人が潜んでいたとなるとそう易々と警戒を解くわけにもいかないだろう。


 事実、あの後宮廷は大騒ぎだったそうで、使用人から貴族まで宮廷に出入りする者全ての身辺調査を行ったという話だ。


 その中から不審人物が見つかったという報告は聞いていないのが幸いか。


 そして我がレスティ家にも警備として騎士が数人常駐するようになっていた。


 あまりの警備っぷりに監視されているのではないかとさえ思えるほどだ。


 いや、本当に監視の命も受けているのかもしれない。


 考え過ぎだろうか。


「期間はどのくらいの予定なんだ?」

「大体半年ほどと伺っております」

「半年……か」


 長い。


 正直、その間もこのままの生活を続けていくと考えると憂鬱になる。


 せめて話し相手か近辺だけで良いので外出許可が欲しい。


「ですが安心してください、旦那様の計らいで学園開始までの間、ノーム様には家庭教師を招くことになっております」

「……家庭教師?」


 思わず聞き返した。


 もちろん家庭教師の意味は知っている。


 自宅に教師が訪問して授業をしてくれることだ。


 庶民に馴染みはないが、金銭的余裕のある家では結構当たり前だそうで マナーなど主に生活に関することを教えてくれるらしい。


 俺にとっては未知なる分野。


 不安しかない。


「はい、今回登校延期となってしまった家には国から選ばれた教師がそれぞれ派遣されるとのことです」


 しかも国からお墨付きを受けた家庭教師とは、更に緊張感が増す。


 更に言えば情勢不安のこの時期で家庭教師に選ばれるくらいの人物。


 相当に清廉潔白の人が来ることが予想された。


 一体どんな人が来るのだろうか。


 全く予想できない。


「ここにくる教師はもう決まっているのか?」

「はい、恐らくは。ですが生憎と私の方には知らされておりません」


 生憎とその辺りの情報規制はされているようだ。


 もどかしい気持ちではあるが、必要な対策なのだと納得する。


「そうか、それでその教師はいつ頃到着する予定なんだ?」

「明日には到着するとのことです」

「また急だな……」


 文句を言いたくなるスケジュールだ。


 ただ今はあの事件後の対応でどこもかしこも忙しない。


 多少のことなら目を瞑ってあげよう。


「ああそうだソフィア、父上は今どこに?」


 そういえば最近父の姿を見ていない気がする。


「先日から宮廷の方に滞在しております」

「そうなのか」


 道理で見かけなかったわけだ。


 しかし宮廷にお呼ばれとは、流石は公爵貴族。


 この時期に呼ばれたということはあまり心地の良い仕事ではないのかもしれないが、とはいえ立派なことには変わりない。


 しかし俺もいずれはその仕事をしなければならないと思うと身震いする。


 このままノームとして生きていくことになったら、そういった貴族の社交場にも赴かなくてはならなくなる日がくるだろう。


「本日も地下室ですか?」

「まあそうだな」

「畏まりました、明日は家庭教師がお越しになる日、どうか無理のないように」

「了解」


 ソフィアの言葉に頷きながら、いつものように地下室へと向かった。


「砂塵操作」


 とはいえ未だに俺は操作魔法を完璧に使いこなせていないので、やることは前と変わらない。


 クルクルと渦巻く砂埃。


 前ほど支配から逃れる砂粒は少なくなっているが、やはり多少の漏れはある。


 操作魔法を完璧にする必要があるのかと問われれば、正直ってその必要はないと答える。


 何しろこの特訓の目的は操作魔法を完璧にすることではなく、あらゆる魔法の基礎ともいえる操作魔法を経ることで、全体的な魔法精度を上げることにあるからだ。


 何事も基礎が大事。


 いくら多彩な魔法を知っているとしても、その初心だけは忘れてはいけない。


 ただもう一つ付け加えるのならば、この環境では攻撃魔法を練習することができないという理由もある。


 自由に外に出ることができない弊害とも言えよう。


 世知辛いものだ。


「水流操作」


 後、もう一つ取り組んでいることがあるとするならば、水属性魔法と土属性魔法の同時使用だ。


 しかしこれが何とも難しい。


 複数の魔法を同時に唱えることだけでもかなりの難易度だったのだから、その難しさは理解しているつもりだった。


 だが正直に言って難しさの次元が違う。


 複数魔法の練習をしていた頃の感覚としては、難しいながらも練習を続ければいつかはできるだろう、そんな感覚だった。


 言うなれば右手と左手で別の作業をするようなイメージだ。


 だが今回に関しては難しさのレベルが違う。


 無理に例えるなら、左手どころか、足でも同等の作業をするイメージだ。


 それも両足。


 ハッキリ言って無茶だ。


 実際これができる魔法師は滅多にいないのだ。


 秀才と呼ばれる部類の二等級魔法師でもできる者は少なく、それこそ使いこなしているという目線で言えば、あの一等級魔法師でも少数しかいないだろう。


「――今日はこれくらいかな」


 自分の魔力量の減り具合と集中力も鑑みて俺は判断した。


 焦りも無理もする必要はどこにもない。


 それに明日は教師が来る。


 できれば万全の状態で臨みたい。


「お疲れ様です」

「ありがとう」


 いつものようにソフィアからタオルを受け取り食堂へと向かう。


 丁度夕食の時間。


 完璧な時間配分だ。


 ここまでの流れはもはやルーティーンと化している。


 たった一か月で良くここまで順応できたものだと自分を褒めたい。


 そして夕食後は自作の事件簿を確認し、記憶と覚悟の整理。


 思い出せること、自分のやるべきことを今一度確認するのだ。


 毎日行っているわけではないが、これからも定期的にやっていこうとは思っている。


 未来を変えられるのは俺だけ。


 次の大災害は、今から二年後に起きる魔人によって引き起こされた学園襲撃事件だ。


 多くの命が失われた前代未聞の大事件。


 被害は今回の比じゃない。


 何としてでも止めなければならない。


 もう二度とあの惨状は見たくなかった。


「どうなさいましたか?」


 メモに向かって難しい顔をする俺に向かってソフィアが声をかけてきた。


「いや、何でもない」


 事情を話すわけにもいかず、俺は首を振る。


 そしてそのままベッドに潜り込んだ。


 今直ぐ何かできるわけでもない。


 今はただただ地道に力を付けていこう。


「そうですか? ではおやすみなさいませ」

「おやすみ」


 ソフィアに挨拶を済ませて就寝する。


 ここまでが俺の日課だった。


 明日からはこの通りにはいかないのだろう。


 だがそれは同時に楽しみである。


 家庭教師、一体どんな人が来るのだろうか。


 俺は期待と不安に胸を膨らませながら就寝するのだった。

 

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