第2話　夢と記憶

　夢を見た。

　今度は、俺（ロイ）のではなく、俺（ノーム）の夢だ。


　優しい笑顔をこちらに向ける女性――母ヘレナ・レスティと、穏やかな表情でそれを見守る父ロード・レスティ、そして腹違いの妹ミリア、家族四人で仲良く食事をしている光景。

　美味しい食事に、温かい家庭。

　皆、笑顔で溢れ、とても幸せそうだ。


　いや、事実、幸せだった。


　そして夢の場面が切り替わる。


　燃え盛る業火。

　焦った表情で何かを叫んでいる父ロード。

　俺（ノーム）も同じように何かを口にしていた。

　目の前に見える人影。

　それが母ヘレナのものであることが分かった。

　そしてその傍にある小さな影は、妹のミリアのもの。

　母は逃げ遅れたミリアのために、自ら火の海へ飛び込んだのだ。

　母は体中に火傷を負いながらもミリアを救い出した。


　皆、泣き喚いていた。


　また夢の場面が切り替わる。


　黒い服装を着た人達が次々と屋敷にやって来ていた。

　皆暗い表情をしており、中には涙を浮かべる者もいた。

　父ロードはまるで感情を一切失ったかのように、表情を変えることなく参列者の対応をしている。

　俺（ノーム）は茫然と突っ立っているだけ。

　妹ミリアの姿はどこにもおらず、母ヘレナの姿もなかった。


　ヘレナはあの時に負った火傷が原因で亡くなってしまったのだ。


　母ヘレナの死。


　その出来事が円満だった家庭環境に大きく影響することになってしまった。

　仕事に熱中するようになり常に険しい表情をするようになった父ロード。

　周りに八つ当たりするかのように問題行動を起こす俺（ノーム）。

　部屋に引きこもったきり出てこない妹ミリア。

　初めとは真逆な家庭の様子が、その後の夢として紡がれていった。


「――様、ノーム様！」


　誰かの声が聞こえ、目を覚ます。

　声をかけていたのは、意識を失う前に対応してくれていた使用人だった。


「お加減はいかがでしょうか、ノーム様」

「……ああ、大丈夫」

「あの、よければお使いください」


　使用人からハンカチを渡され、自分が涙を流していたことに気が付く。


　理由は明白だった。


　それにあの夢は過去に何回か見ているのだ。


　その度に激しく動転し、行き場のない鬱憤を辺りへとまき散らしていた。　


　いわゆるトラウマというものなのだろう。


　何度見ても、この胸の痛みが癒えることはなかったのだ。


「ありがとう」


　ゆっくりと涙を拭い、使用人にハンカチを返す。


　ロイとして目覚めたお陰か、大分落ち着いている。


　昨日までの俺だったら、最悪この使用人は職を辞していたかもしれない。


　それほどまでにノームという男は過激だった。


　今の俺の自意識が大分ロイの方へ偏っているのは、まさに不幸中の幸いだ。

　

「……ノーム様？」


　ハンカチを受け取った使用人が、俺の方を見てポカンと呆けていた。


　訳が分からず首を傾げる。


　何か変なことをしてしまっただろうか？


「……どうした？」


　このまま見られ続けるのも気分が悪いので、遠慮なく言葉を発した。


　使用人はビクッと身体を震わせ、表情を変える。


「も、申し訳ございません。ご気分は如何でしょうか？」

「いや、何も」

「そ、そうでございましたか」


　何やら使用人の様子がおかしい。

　怯え、驚愕、安堵の感情が見え隠れしている。


　明らかに動転している彼女へ、声をかけようとした。


「大丈夫か――」


　しかし次の肝心な言葉が出てこない。


　使用人の名前――ん？　あれ、名前……何だっけ？


「あのー……」


　突然、言葉を止めた俺に、恐る恐る使用人が声をかけてくる。


「い、いや、何でもない。名前をど忘れしてしまっただけだ」

「名前……ですか？」


　再びキョトンと使用人が首を傾げた。


「一体どなたの？」

「え、貴方のだが」

「私の……え？」


　再び固まる使用人。


　あれ、もしかして名前を知らないことを不思議がられているのではないだろうか。


　確かに今の俺はノームというよりロイであり、その影響でノームとしての記憶にどこか欠損があるのかもしれない。


　だとすると、この状況はあまり宜しくないのではないか。


「ええっと、何か？」


　今度は俺が恐る恐る言葉を投げる。


「い、いえ、ノーム様からお名前を尋ねられたのは初めてのことでしたので、少し驚いてしまいました」

「あー……そうだったっけ？」

「はい、間違いございません」


　内心頭を抱える。

　しくじったというより、今までの自分への呆れからだ。

　一体どんな生活を送ってきたら、自分の身の回りの世話をしている人の名前を知らないことになるのか。

　ロイだった頃は、このくらいの歳で村全員の名前すら知っていたというのに。


「そ、そうだったか。いや、名前くらいは知っておきたいと思って」

「そ、そうでございましたか。私の名前はリビアと申します。よろしくお願いいたします」

「リビアか、こちらこそよろしく」


　そう言って反射的に手を差し出した。


　しかしリビアから手は伸びてこない。


　少し経って、俺は青ざめた。


　当然だ。


　あのノームが、使用人に対して手を差し伸べることなどあり得ないのだ。


　ノームとしての記憶でも、ロイとしての記憶でも、あり得ないことだった。


　悪徳貴族。


　ノームを一言で表すならばその言葉が最適と言えるほど悪評高い人物だったのだ。


　恐る恐るリビアの顔を見る。


　彼女は固まっていた。


　困惑した視線をこちらへ向けてくる。


　不味い、流石に変だと思わている。


「い、いや、あの……リビア？」


　上手く口が回らない。


　こういう時どうしたら良いのかなんて、分かるわけもなかった。


　しばらくの沈黙の後、リビアが何かを決心したような表情で口を開いた。


「あの……失礼を承知で申し上げますが――」


　一つ一つ、噛み締めるようにリビアは言葉を紡いでいく。


「――貴方様は本当にノーム様なのでしょうか？」


　……まあそうなるよな。


　まさかこんな早々にバレてしまうとは思いもしなかった。


　驚きというより、呆れの感情が強い。


　ただ俺の落ち度もあったが、リビアの直感も大分優れていると言わざるを得ない。


　世話係というのは案外、こちらのことを見ているものなのだろう。


　何だか今までのことを思い出して、申し訳なくなってきた。


「……ええっと」


　だがしかしこの状況はハッキリ言って良くない。


　何しろ俺は中身が入れ替わっていることをバレるのは良くないと判断していたからだ。


　その理由は簡単で、父ロードの存在がある。


　ロードは妻であるヘレナを亡くしてから一切家庭には関与しなくなった。


　それどころかいずれ俺を勘当することにもなるのだ。


　まあそれはノームの悪評が原因ではあるだろうが。


　とはいえ父にこのことがバレてしまえば、何かしらのアクションがかかるのは明白だった。


　研究材料として差し出されるか、元に戻るまで監禁されるか。


　はたまた未来通り勘当されてしまうか。


　いずれにせよ、良い結果にはならないだろう。

　　

「……どうしてそう思ったんだ？」


　半ば諦めの気持ちで尋ねた。

　せめて理由だけは聞いておくべきだと思ったからだ。

　

「……おかしいからです」

「おかしい？」


　リビアの発言にオウム返しをするしかない。


「率直に申しますと、今のノーム様はいつもと全てが異なるのです」

「全てか……」

「所作や口調、態度雰囲気といった感覚的なものまでもがいつもと異なっているように感じるのです」


　まさに単純明快で、全て的を射ていた。


　これ以上ない理由だろう。


　確かに今の俺は昨日までのノームと全てが違う。


　ノームの記憶を持ったロイと言っても過言ではないだろう。


　そんな状況で自分のことをよく知る人間と会話などして、バレないわけがない。


　名前を尋ねてしまったのも、手を差し伸べてしまったのも、そもそも言葉を交わしてしまった時点で、こうなる結末は決まっていたのだ。

　

「……なるほど」


　特に否定する気も起きず、納得の言葉を発した。


　もっとも口調や態度だけを以前のノームのようにしても、他に違和感が出てくる箇所なんて無限にあるだろうから、結局は気づかれていたのかもしれないが。


　とはいえ反省すべき点は多くある。

　反省せねば。


「……申し訳ありません、一介の使用人風情が失礼なことを」


　我に返ったように、頭を下げるリビア。


　些かへりくだり過ぎかと感じるが、自分の今までの行いが招いた結果だ。


　ロイの自意識下でやったことではないが、俺であることは間違いない。


　しっかりと反省するべきだろう。


　ただ例えばだが、リビアからの疑いを晴らすためならば、ここで怒り狂ってしまえばいい。

　いつものようにだ。

　そうすればリビアからこれ以上の追及は受けることはなくなる。


　もちろん若干の疑いは残るだろうが、解決にはなるはずだ。


「いや、俺が言うようにいったんだから気にする必要はない」


　だが生憎と今となっては、そんなことできるわけもなかった。


「……そ、そうですか」


　リビアの表情に戸惑いが広がる。


　こうなってはもはや疑いを晴らすことは不可能になった。


　こうなったからには後戻りはできない。


　俺は大きく息を吐き、言葉を発した。


「話が変わるが、リビア、正直俺のことをどう思っていた？」

「……はい？」


　ポカンとするリビア。


　まあ仕方がない反応だ。


　俺だって突然そんなことを言われたら同じ顔をする。

　

　しかしこう尋ねる以外に思いつかなかったのだから許して欲しい。

　

　巧妙な物言いで情報を引き出すなんて真似はロイもノームも苦手分野なのだ。


「正直に答えてくれて大丈夫だ、本当に」


　リビアを後押しするように言葉を続けた。


　リビアはしばらく悩んでいる様子だったが、一つ息を吐いてゆっくりと口を開く。


「……嫌いでした」

「…………はい」


　分かっていても心にくるものがある。


　あれだけの傍若無人を見せてきたのだ。


　間違っても好かれているわけがないというのに。


「も、申し訳ありません！」


　リビアは発言の後に、みるみる顔が青ざめ頭を下げてきた。


「い、いや、正直に言ってくれて助かる。ちなみに父のことはどう思っている？　もちろん本音で」


　リビアには申し訳ないが、畳みかけるように次の質問もぶつけた。


「旦那様ですか？　ええと、旦那様とは滅多に顔を合わせないので特にこれといった感情はありません」


　特に嘘をついているようには見えない。


　もしリビアと父に俺のように深い関係があったら事態はもっと最悪だっただろう。


　ひとまず不幸中の幸いか。


「正直に答えてくれて助かった」


　あまり貴族の使用人事情は知らないが、屋敷には多くの使用人が働いているイメージがある。


　つまりリビアは俺ことノーム専属の世話役であり、父には父で別の世話役がいるということになるのか。


　であればこちらとしては好都合だ。


　本題に入るとしよう。


「リビア、これから言うことは他言無用で頼む」

「ノーム様！　頭をお上げください！」


　俺の態度にリビアが声を上げた。


　しまった、またしてもロイとしての癖で頭を下げてしまった。


「あ、ごほん。それでリビア、話は聞いてくれるか？」

「え、ええ……何でしょうか？」


　すっかりと疲れた様子で頷くリビア。


　申し訳ないがもう少しだけ話に付き合ってもらう。


「もう気づいているようだが……俺は昨日までのノームじゃない」


　ついに意を決して口を開いた。


「…………はい」

　

　リビアは一層難しい表情で頷いた。

　それもそうだ。

　俺だってそんな顔をする。

　誰であれそうだろう。


「今朝、夢を見たんだ。記憶と言ってもいい」

「夢ですか？」


　リビアは首を傾げながら、尋ねてくる。


「ああ、とある人物の生涯だ。そしてその人物こそが今の俺を形成している人格と言ってもいい」


　嘘は言わない。


　ここで大事なのはリビアを納得させること。


　かつ敵意を抱かせないことだ。


「ええっと、つまり……ノーム様の身体を乗っ取ったと？」


　リビアの回答。

　俺は少し訂正を加える。


「いや、こちらの故意でこうなったわけじゃない。それに意識に関しては乗っ取ったというよりは目覚めたという表現の方が正しいかもしれない」

「なるほど？」


　まあ直ぐに納得してもらえるとは思っていない。


　俺でさえまだ現実を受け入れ切れていないのだ。


「まあ……好き好んで乗っ取ろうとも思いませんか」


　ボソッとリビアが呟いた。


　いや、まあ事実なのだが、やはり心に来るものがある。


「と、というわけで、リビアには協力して欲しいんです」

「協力、ですか？」

「俺は元の身体に戻りたい、だから戻れる手立てが見つかるまで父にバレないようにして欲しいんだ」


　目的も嘘偽りなく告げた。


　今は俺が死んだ時より、十年ほど過去。


　つまり今、この時間にもロイは生きているのだ。


　とすれば元の身体に戻ることも可能。


　この記憶を持っている状態ならば、最悪の未来も防げるかもしれない。


　後はリビアの判断に任せるだけだ。


「……分かりました、協力致します」

「い、いいのか？」


　思いのほかの即決に驚いて尋ねる。


「はい、二言はありません。それに先ほども言いましたが、私ノーム様のこと嫌いだったんです。まあというより使用人みんなが嫌っていましたが」

「あ、ああ」


　ゆっくりとリビアが述べていく。

　相変わらずの嫌われっぷりに俺は苦笑いしかできない。


「ですが今のノーム様は前のノーム様とは全くの真逆、協力しない理由などありません。何なら元に戻らなくても良いのですよ？」


　初めての笑みを浮かべるリビア。

　予想外の不誠実な理由に俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。

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